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デジタル技術が表現できるもの
歌田明弘 |
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東京都写真美術館で今月24日までやっている「デジタルフォレスト」展を見た。「デジタル作品を通し、森や自然と人間の持つ五感を再考する試み」とのことで、「映像工夫館展」とも銘打たれ、「森」に代表される自然を視聴覚メディアを使って表現する4つの作品が展示されている。作品のなかには興味深いものもあったが、全体としてみると、何かが欠けている、というより、デジタルで何ができて何ができないか、現在のデジタル技術の限界が感じられ、いささか逆説的ながら、その点こそがもっとも興味深かった。 まずは展示を紹介してみよう。 猪又健志と山本努武による「Talking Tree〜1本の流木から〜」と題された作品は、木曽川で採取したという大きな木の切り株に触れると、前面の壁に投射された木が揺れる。切り株に刻まれている年輪に触れることで、巨木が物語る歴史を感じとろうというわけだ。経済産業省とデジタルコンテンツ協会が共催しているデジタルコンテンツグランプリ2002年度のアート部門のインスタレーション賞を受賞した作品である。 タマシュ・ヴァリツキーは、96年に「NTTインターコミュニケーションセンター」で展示した「トリロジー」のように、遠近法にこだわる作品を発表してきたが、「デジタルフォレスト」展の「Aquarelle 2000」も遠近法にたいするこだわりを感じさせる作品だ。植物の映像をクリックしていくと次々と拡大されていく。入れ子細工ともフラクタル図形ともいえる遠近のラビリンスを視覚化している。 「デジタルフォレスト」展ではそのほか、ジャングルから大都会の街角まで世界各地へ出かけていって収集してきた音を聞かせるサウンドバム・プロジェクト 、パチンコやパチスロの会社サミーとNHKエンタープライズ21の異色の組み合わせによるパチスロやパチンコの液晶モニターを使ったCG作品「液晶の森」、クラゲや深海の生物などが暗い空間のなかで三次元映像となって浮かび上がり動きまわる「VRの森」を展示していた。 「Talking Tree」は“触る”、「Aquarelle 2000」と「液晶の森」「VRの森」は“視る”、サウンドバム・プロジェクトは“聴く”という位置づけで、自然と五感の関係が探られている。 デジタル技術によって、触り、聴き、視ることはできるようになっても決定的に何かが欠けている。欠けているのは自然のアウラとでも呼ぶべきものだろう。木を触り揺れ動く映像を見ても、木々の匂いや風のそよぎを感じとることはできない。 60年代始め、マクルーハンは、テレビに代表される電子メディアが台頭してくるのを見て、グーテンベルク時代の活字文化は目からの情報ばかりを偏重していたが、そうした視覚による抑圧の時代は去り、五感が回復できる楽園がやってきたと信じ、『グーテンベルクの銀河系』を書いた。しかし、それから40年が経ったいまでも、人工環境で五感を回復することは容易ではない。視覚、聴覚、触覚それぞれの感覚を切り離して表現してみても五感の回復は遠いし、自然の再現はままならない。自然を模せば模すほど隔たりがかえって感じられてくる。 さしあたりデジタル技術ができること、自然にもまして巧みにできることは、自然が具象化することがむずかしい抽象的なフォルムを表わすことなのかもしれない。前回書いた携帯電話を逆手にとったアート、あるいは次回取り上げるつもりの「時間」のように、現実に見ることのできないものを形にするときにこそ優れた能力を発揮する。将来はともかく、デジタルの現状はそういうことなのではないか。 デジタルフォレスト展は、自然や五感とデジタルの関係についてそんなことを考えさせられた。 [うただ あきひろ] |
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