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時間の視覚化とメディア・アート
歌田明弘 |
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「美術館好き」の人はあまり行くことがないのかもしれないが、テクノロジーとアートの結びつきに興味がある人は、お台場にある「科学未来館」の展示も気にかけていたほうがいいかもしれない。とくに企画展は、科学展示なのかアート作品なのか見まがう……というよりもどちらでもある催しがときに行なわれている。 一昨年行なわれた「ロボット・ミーム」展は、メディア・アートの世界を切り開いてきた藤幡正樹氏やロボット・デザイナーの寵児となった松井龍哉氏なども加わっていた。花とロボットを組み合わせたり、ショパンの曲に乗ってバレエをする妖艶なロボットが登場したりと、たんなるロボット展とはひと味違う展示になっていた。 常設展示も、情報科学技術のセクションでは、インターネットで情報が運ばれていく様子を、白黒多数の球が転がる巨大な装置を使って視覚的に再現するなどアート的な作品が並んでいる。また、全天周型バーチャル・リアリティ「CABIN」もおかれている。「CABIN」は天地左右前面の五面スクリーンを使ってリアルな立体画像を出現させる先端技術である。東京・初台の「インターコミュニケーションセンター(ICC)」でもかつて常設されていたが、いまはコレクションに入ってしまった。科学未来館は日本で「CABIN」を一般の人が体験できる数少ない場所である。アグネス・ヘゲドゥシュやジェフリー・ショーらによって創られたICCの《CAVEの共同[形]成》のアーティスティックな完成度とは比べものにならないながら、宇宙ステーションが天空を舞う優美な三次元立体画像を見ることができる。 今月末まで行なわれている「時間旅行展」も、たんなる科学解説を超えたいっぷう変わった展示になっている。外界の音も自分の呼吸の音もしない真っ暗な無響空間に入って時間の長さを感じとってみたり、視覚と聴覚にたいする刺激のずれによって生まれる錯覚を体験できる。あるいは、ゾウとウマという体の大きさや心拍数が違う動物における時間の流れの差を感じとる。そのような体験型展示の一方で、ビッグバン以来の宇宙の歴史を視覚化したビジュアル型の展示もある。 科学未来館はボランティアの解説員を募っているが、定年退職した元エンジニアとおぼしき男性解説員が、説明しながらも、いったい何のためにこんな展示をしているのか図りかねているのがおかしかった。展示は教育という実用の範疇を超えてしまっていて、無用の用、つまりは一種のアートと化している。数学者の広中平祐氏が山口大学の学長を務めていたときに作られた学部横断型の研究所、時間研究所がこの展示の科学的側面を支援しているが、「クリエイティヴ・クルー」としてあがっている名前を見ると、メディア・アーティストの岩井俊雄氏や、97年のアルス・エレクトロニカでGolden Nica賞を受賞した「センソリウム」のプロジェクトに加わっていた西村佳哲氏などが入っている。メディア・アートふうなのも当然だろう。 時間をめぐるメディア・アートといえば、今年のメディア芸術祭で審査員特別賞を受賞したライフスライス研究所の活動も興味深い。この研究所は、デザイナー、建築家、映像作家、コンポーザー、教育者などで構成されるネットワーク組織だそうだ。5分に1回自動的にシャッターが切れる小型デジタルカメラを使って、カメラの装着者のライフスタイルを視覚化する試みをしている。受賞作は、あるサラリーマンの3か月の生活を一定間隔で撮影した「ライフスライス」をカレンダー状にしたCG作品「ライフスタイルカレンダー」と「ライフスタイルワールドマップ」である。「ライフスライス」は写真でも映像でもなく「記憶のレントゲン」だと作者は言っている。同研究所のサイトでも、一定間隔をおいて自動的に撮影できるGPS内蔵カメラを提案したりしている。朝、充電器からはずして首からぶらさげ、そのまま一日過ごすのだそうだ。 人間は、書くという手段を獲得して、移ろいやすい生を記録し残すことができるようになった。近代になってカメラが生まれ、テープレコーダーが生まれ、さらにそれらの機器がハンディになっていつも携帯して歩くことが可能になった。そのうえコンピューターという膨大な記憶ができる装置も個人の手に入るようになった。いまや1人1人の生をそっくりそのままとどめて目の前に再現してみせることや、見ることも体験することもできなかった時間の諸相を復元することができるようになってきた。そうした時代のありようこそがメディア・アートという新しい形のアートを生んでいる。「ライフスライス」のような作品は、そうしたことを実感させてくれる。 [うただ あきひろ] |
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