本来アテネ郊外のオリーブ園を意味するギリシア語「アカデメイア」は、プラトン以後学問の伝統へとその意味が転じていった。こうして中世期までには、神学、哲学、文学など、ほとんどすべての学問領域がアカデミーの中へと包摂されていく。話題を美術へと限定すると、最古のアカデミーは1563年にフィレンツェに創設された「アカデミア・デル・ディセーニョ」とされるが、造形表現におけるオーソドキシーの確立と、若年層への普及教育を主目的とする今日的なアカデミーの嚆矢としては、1648年にルブランによって創設されたパリの王立絵画・彫刻アカデミーを挙げねばならないだろう。その後英国のロイヤル・アカデミーの創設、ディシプリンとしての美術・美術史学の成立などを経て、各国のアカデミーは大学制度の中へと回収され現在に至っている。日本の美術アカデミズムと言えば、岡倉天心らによって創設された東京美術学校(現在の東京藝術大学)が真っ先に挙げられるが、もちろん、諸々の美術アカデミズムを経由することは作家となるための必須要件ではない。逆に、美術アカデミズムの要請するオーソドキシーは、しばしば前衛の先端的な価値観と対立するものなのである。
(暮沢剛巳)
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