1960年の第12回読売アンデパンダン展に出品された、工藤哲巳《増殖性連鎖反応》などの作品について、批評家東野芳明が日常的な物体や記号の使用という共通点を挙げたうえで「反絵画」「反彫刻」と括って論じたことから一般化した語。工藤をはじめ、ネオ・ダダイズム・オルガナイザーズ、ハイ・レッド・センターのメンバーや、三木富雄など読売アンデパンダン出品作家の作品を形容する際に用いられることが多いが、必ずしもこの語によって特定の動向や作家が同定されたわけではなく、むしろ曖昧な概念であったがゆえに、以後批評の場でこの概念を巡る論争を引き起こした。それは主に、宮川淳による東野への問題提起というかたちで現われた。反芸術の位置づけとして、「日常的な物体やイメージを通して〈事実〉の世界の骨格を回復しようとした動き」とする東野の論理に対して、宮川はこれを芸術概念内部での二元論、抽象か具象かを出るものではないと批判し、彼自身はそれに芸術と非芸術の境界を最終的に無化する「日常性への下降」と同時に「それにもかかわらずいよいよ鋭くなる芸術と非芸術との間の断絶」を看て取り、不在の芸術の存在可能性という不可能な問いを提示したのだが、結局この論争はそこから何の進展もなく不毛に終わることになる。しかし逆にこの議論の行く末は後世に持ち越されたとも言える。つまりこの用語を巡る同時代的論争をも歴史的状況として翻ってみる姿勢もとりうるのであり、その場合、反芸術をネオ・ダダの延長線上に位置づける東野と、両者の根源的な差異を唱える宮川の論理上の差異は、ネオ・ダダとの距離という同一線上に還元される可能性も秘めているのだ。そこで同様に欠落しているのは、日本独自の美術の状況における反芸術の位置づけであり、1997年に水戸芸術館で行なわれた展覧会「日本の夏 1960-64 こうなったらやけくそだ」展、あるいは椹木野衣の著書『日本・現代・美術』などによって、作品だけでなく、批評も含めた当時の状況全体から反芸術の捉え直しが現在行なわれていると言える。
(宮川暁子)
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