一般的にはゲアハルト・リヒター、ジグマール・ポルケ、コンラート・リューク(フィッシャー)が、1960年代前半――特に63年から64年にかけて――企図した活動およびそのコンセプトを指す。63年4月29日付の手紙の中でリヒターが使用したのが最初とされ、そこには、「ドイツ版ポップ・アート」たる彼ら3人の芸術が「現代のマスメディアをきちんとした文化現象」とみなすものであると記されている。実際にポルケやリヒターが当時のマスメディアに取材した作品を残しているのは事実だが、このコンセプトの下に行われたイヴェントはあまりない。ほとんど唯一の例として知られているのが63年にデュッセルドルフの大家具店ベルゲスで行なわれたアクション展《ポップと生きる――資本主義リアリズムのためのデモンストレーション》である。以後この概念は、作家自身よりもむしろギャラリストやメディアによって使用されることが多くなる。なかでも64年にベルリンにオープンしたルネ・ブロック・ギャラリーのオーナー、ルネ・ブロックは、この用語をオープニング・タイトルに採用し、60
年代を通じて使用しつづけた。元来用語は、旧東側の概念である社会主義リアリズムに、旧西側の用語である資本主義を結びつけたアイロニカルな表現である。ブロックにとってこの言葉は東と西に分断された戦後ドイツ、とりわけベルリンの象徴だった。ルネ・ブロックの定義に従えば、「資本主義リアリズム」には上記3人のほかヴォルフ・フォステル、クラウス・ペーター・ブレーマー、カール・ホルスト・ヘーディッケらが含まれる。なお日本では赤瀬川原平もこの言葉を使っており、冷戦時代の現象としてドイツ以外においても発案、使用された可能性がある。
(浅沼敬子)
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