designの語源は「ドローイング」を意味するイタリア語disegno、フランス語dessin。18世紀から19世紀にかけてヨーロッパを席巻した産業革命によって機械による大量生産が導入されるにつれ、従来ひとりの職人の腕にまかされていた物の製造が、複数の専門家を擁する工場へと移行していく。この過程のなかで、物の製造段階とデザイン・プロセスが分離し、同時に製造に先立つ物品計画の必要性が生じ、そこから現代的意味でのデザイン、専門家としてのデザイナーという概念が誕生した。その後イギリスでは、加速化する産業革命と消費文化普及の一方で、立ち後れたデザイン水準が工業製品の品質を低下させ、その経済的波及、つまり欧州交易圏での地位低下を恐れた政府がデザイン教育と産業見本市への投資によってデザイン振興を計る。その結果、19世紀中ごろから各地で万国博覧会が開催され、その副産物として産業博物館が創設される。アーツ・アンド・クラフツ運動が開花したのもこの時期で、いまだ装飾パターンと様式の問題に拘わっていた19世紀的デザインに対し、合目的性、フォルムの真理を唱え、20世紀への架橋となり、物の美的性質、機能的合理性を追求するその後のさまざまな近代デザイン運動に影響を及ぼすことになる。機械時代の生産、都市における消費活動と密接な関連を持ち、合理性と客観性を重んじるモダン・ムーヴメントは30年代までには西欧を中心に普及し、インターナショナル・スタイルといった呼称も生んだが、実際はモダニズムの多様な解釈のもと各地で独自の発展を遂げている。しかし、このモダニズム主導のデザイン概念がブルジョワ的、啓蒙的洗練さに基づいていたがゆえに、60年代のポップ・カルチャーの台頭以降、父権に導かれた支配的文化に対する抵抗というかたちでの見直しの時期に入る。さらに80年代には機械時代から情報社会へといった社会的変化にともなって隆盛したポストモダン思想がデザイン分野に皮相な解釈のまま導入され、折衷主義的装飾を都市に氾濫させることになる。現在においてはその反省から、より現実的に社会と関わっていくための手段としてデザインを考える見方が主流で、環境問題、福祉なども含め、総体的視野にたったシステム・デザインを行なうことが期待されている。
(宮川暁子)
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