批評家マイケル・フリードが論文「芸術と客体性」(1967)で提起した対概念。鑑賞者の芸術体験における時間の構造を、モダニズム芸術とミニマル・アートとで対比させ、前者は「いかなる時間とも関わらないかのよう」である一方、後者は「演劇的」だと批判される。
前者の例としてはケネス・ノーランドの絵画やアンソニー・カロの彫刻を、後者の例としてはドナルド・ジャッドやトニー・スミスの作品や言説を挙げている。瞬時性は、ボードレール以降、モダニズムの規範であった。瞬時にその全体が視覚的に把握できることが、媒体の自律化と純粋化をめざすモダニズム芸術において重要なのだということは、クレメント・グリーンバーグがすでに明らかにしていたが、フリードはそれを鑑賞者と時間という観点から改めて論じた。それは、絵画において純化しなければならない媒体の特性としての平面性をめぐるグリーンバーグの議論から、フリードが批判するジャッドの理論が生まれたり、グリーンバーグは認めないが、フリードは認めるフランク・ステラのような画家が登場したことに起因する。また、フリードの言う「瞬時性」は「連続的で全体的な現在性」であり、永遠を凝縮した現在であり、その現在は永遠に創出される。一方、「持続」は、鑑賞者の体験の持続であり、彼はミニマリストの理論に「時間の終わりの無さ」や「不確定な持続」を見出すのだ。これはモダニズム芸術を享受する時間が変化しない時間であり、永遠だったのに対し、ミニマル・アートのそれははかない時間であるということだ。また、モダニズム芸術の作品そのものが「どの瞬間にあっても完全に明示的である」のに対し、ミニマル・アートの作品において経験されているのは作品の時間ではなく、作品に関わっている鑑賞者自身の経験の時間なのだ。ミニマル・アートが作品と鑑賞者との関係を問題にしていて、作品それ自体では自律しないという、フリードが「演劇的」と形容し、批判する「客体性」が、ここでは時間概念において、批判されているのだ。
(三上真理子)
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