1928年、東京高等工芸学校の教員をしていた建築家の蔵田周忠を中心に、小林登、松本政雄、豊口克平らが参加して結成されたグループ。蔵田は1931年、ドイツに留学し、ドイツ工作連盟やバウハウスの思想を強く受けており、「形而工房はリアルな大衆生活に結びついて、科学と経済によって吾々の[時代]の生活工芸の研究製作をなすものである。常にそれらは生活事象及材料、構造の調査及研究と、市場とを結び付けた大量生産の具象化を目標とするものである」と述べ、規格化による生産の合理化を目的としたデザインを目ざした。形而工房の活動は、アパートメントの調査、椅子の設計を行ない、実際に婦人雑誌社などと提携し、製造販売を手掛けるなど、実践的な活動を行なっていた。また、雑誌『国際建築』の別冊として、機関紙『ラポルト』を3号まで刊行し、その活動は1940年頃まで続いた。
(紫牟田伸子)
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