「礼拝的価値」が従来の芸術の一回性をその成立の契機とするのに対し、「展示的価値」は複製技術の登場により一回性を失った芸術が、いかなる状況にも置かれうることにより大衆の知覚を引き受けるようになったことをその契機とする。これらは、W・ベンヤミンが代表的論文「複製技術時代における芸術作品」(1936)において用いた語であるが、彼は「展示的価値」を貶めるのではけっしてなく、むしろアウラなき芸術がもつようになったこの価値を積極的に評価する。そのような芸術の典型を映画やダダイズムにベンヤミンは認めた。この評価は、現代資本主義的生産のなかでの芸術の変遷の分析、つまりマルクス主義的な立場をベンヤミンがとっていたことに起する。その彼にとって、「礼拝的価値」を堅固した大衆の組織化こそがファシズムであり、一方、複製技術による「展示的価値」によって大衆の欲求をそれぞれに満たすのが共産主義であったとすれば、複製技術時代の芸術の変遷は「発展」にほかならなかったのである。
(保坂健二朗)
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