第一次大戦渦中の1916年、チューリヒには合理主義を嫌悪する厭世的な気分が満ちていた。かの地でそのような気運に対応する反芸術運動を展開しようとしたルーマニアの詩人T・ツァラは、辞書に無作為にナイフを突き立てたところ、その刃先はフランス語では「木馬」を、スラブ系言語では「相槌」を意味する「ダダ」という一語を刺していたという。これ以降、ツァラがH・バルやJ・アルプらと創始した「ダダ」は明確な根拠を持たない、反芸術的な文芸運動として始まったが、F・ピカビア、K・シュヴィッタース、M・レイ(M・デュシャンを含める場合もある)らがその先鋭的な主張に刺激を受け、「アサンブラージュ」、「コラージュ」、「フォトモンタージュ」などの技法を駆使した造形作品を矢継ぎ早に発表した。なお、造形運動としてのダダの展開はほぼパリ一都市に限定され、この運動に参加した作家の大半は、20年代以降その理念や技法を「シュルレアリスム」へと継承していく。
(暮沢剛巳)
関連URL
●アルプ http://www.artchive.com/artchive/ftptoc/arp_ext.html
●デュシャン http://www.dnp.co.jp/museum/nmp/nmp_j/people/m-duchamp.html
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