意外なことにニューヨークで初めて万国博覧会が開催されたのは1939年と比較的最近のことであるが、同博覧会やそれに先んじて開催された1933年のシカゴ万国博覧会を検証してみると、アメリカ型の万博がヨーロッパ型のそれとは違った側面を持っていることが明らかになる。後者がもっぱら国威発揚や先端技術の誇示を目的としていたのに対して、アメリカでの万博は林立する企業パヴィリオンや未来都市のイメージなど、むしろ民間が主導権を握る局面が目立つからである。事実、2年前のパリ万国博覧会と比べても、同博は第2次大戦への予見が希薄で、支配的であったのは、「明日の世界」というテーマに対応した、大恐慌のどん底から脱したあとの楽天的な雰囲気であったが、その雰囲気にはとりわけアメリカで高い地位を認められることになる、広告業者とインダストリアル・デザイナーが大きく介在していた。ところで、同博の主会場となったのは「ペリスフェア」と呼ばれた円形ドーム(これは1964年の万博でも再度主会場となる)だが、そこから同心円状に拡大する会場構成は、むしろ新古典主義的な都市計画を彷彿させるものであり、博覧会そのものの未来志向が、実はある種の退行を孕んでいたことにも注目しておくべきだろう。
(暮沢剛巳)
|