1913年のアーモリー・ショーの成功に活気づけられた独立芸術家協会が、アメリカの前衛芸術の活性化を目指して17年4月に開いた展覧会。出品者数1200、総作品数2500を数える大展覧会であった。展覧会の原則はフランスのアンデパンダン展にならい、「無審査、懸賞無し」で、6ドル支払えば誰でも出品可能とした。このアンデパンダン展が後に有名になった理由は、マルセル・デュシャンの《泉》の登場舞台となったためである。この展覧会の実行委員長でもあったデュシャンがR.
Muttの名義で男性用小便器を作品として送りつけ、それが無審査を標榜していた委員会によって展示を拒否されたのである。デュシャンは委員長を辞任、「リチャード・マット事件」という抗議文を出す。《泉》は反芸術の代表、あるいは【レディ・メイド】の典型として伝説化されるが、アンデパンダン展そのものは、その伝説化に一役かっただけで、当初の目的は果たせずに消滅することとなる。
(平芳幸浩)
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