彫像の三次元性とそれが置かれた空間の三次元性との質的な差異を生み出すべく、彫像を支えるかたちで置かれる台。碑や柱等の基壇を指すこともある。西洋では、それが置かれた場所から、脚にあたる「Pedestal」(英)、「
Pi仕estal」(仏)や、靴にあたる「Sockel」(独)といった語で呼ばれる。彫像の主たる表現対象が人体であった時期においては、その有機的構造との対比から台座は非有機的、抽象的な形をとった。したがってそれに付される装飾という場合を除き、台座自体が表現対象となることはほとんどなかった。だが、近代以降、彫像の表現対象が非有機的な性格を強くしたため、当然その際台座はかつてのままでは本来の機能を果たしえない。そこで台座もまた芸術家の表現対象として認識されるようになった。例えばC・ブランクーシは、台座そのものをも自らの表現対象とし、かつてドイツの美学者T・リップスによって彫像と同一素材で形成されるべきとされた台座に対し、彫像とは異なる素材を与えることもあった。現代においては、A・カロのように台座をなくし彫刻そのものを床におき、空間と彫刻との関係を批判的に作品に取り込むといった姿勢が見られる一方で、ギルバード・アンド・ジョージの「リヴィング・スカルプチュア」のように(無機的な)台座を使用することで彫刻という形式を強制的に成立させるといった姿勢が見られる。が、いずれにせよ、「台座」が彫刻というジャンルにおいてニュートラルな存在ではありえないということを示す点では一致しているといえよう。
(保坂健二朗)
関連URL
●C・ブランクーシ http://www.ocaiw.com/bracusi.htm
●A・カロ http://www.groundsforsculpture.org/c_acaro.htm
●ギルバード・アンド・ジョージ http://www.gilbertandgeorge.co.uk/
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