現象学を中心に哲学を修めつつ心理学も並行して研究していたモーリス・メルロ=ポンティは、ゲシュタルト理論の成果を取り入れた『行動の構造』(1942)を著し、生物の行動を要素に分析するのではなくひとつの全体として捉える視点を提示した。それに続く大著『知覚の現象学』(1945)では、自然主義的な態度と主知主義が一見対立しながら主観と客観の二項対立を保持する点では表裏一体であることを指摘しつつ、失ったはずの四肢の感覚を生々しく体験する幻影肢という症例を引き、そのどちらの立場にも回収できないような、身体による経験の両義的な性格を追求する姿勢が明確にされた。経験する主体は空間内に孤立する存在ではなく、空間そのものを成り立たせる媒質であり、他者とともに不断に生成するものである、というメルロ=ポンティの思考は、その後ソシュールの言語理論への接近によりさらに一般化され、61年著者の急逝後に編纂された『見えるものと見えないもの』と題された遺稿群では特異な発展をたどる。同書では、主体の内部と外部、能動性と受動性がそこから生じてくるようなただひとつの存在の裂け目として「肉」という独自の用語が用いられている。絶筆となった『眼と精神』(1961)は知覚の過程と絵画制作とのアナロジーについて論じ、非常に魅惑的な筆致でセザンヌの絵画を語っているが、こうした視点の萌芽は『知覚の現象学』ですでに形成されていたと言ってよいだろう。
(飛嶋隆信)
●バM・メルロ=ポンティ『知覚の現象学』(竹内芳郎+小木貞孝訳、みすず書房、1967)
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