J・ハーバーマスによれば、パブリック・スフィア(公共圏)は近代西欧において成立した事実概念であると同時に、現状を批判的に捉えるための規範概念でもあるとされる。1962年に出版されたハーバーマスの著『Strukturwandel
der Öffentlichkeit』(邦題『公共性の構造転換』)の英訳『The Structural Transformation
of the Public Sphere』が出たのは1989年のことで、これによって「Öfentlichkeit」の訳語として当てられた「public
sphere」が英米言語圏で流通することとなった。それまで通用してきた類似概念には「public life」という用語があり、「public
sphere」はこれに新しい意味を付与するものとして採用されている。ハーバーマスにとって「Öfentlichkeit」とは国家と社会の分離という近代的基本構図においてその両者の間に存在する空間であり、中世末期にブルジョワジーの家族的親密圏の中に発生し、やがて文芸的公共圏、さらに政治的公共圏へと発展して、議論する公衆がつくりだす世論によって支配が合理化されるリベラルな統治国家の組織原理となったものである。しかし、本書で問題にするのはむしろ後期資本主義において崩壊過程に入ったそれの分析でありその再建である。つまりマスメディアによる消費的公共圏の出現によって脱政治化された公共圏は再び諸組織による代表的具現の場へと後退したとされ、公共圏の「再封建化」がそこでの問題となる。そして美術の分野にこの問題系を敷衍しているのがいわゆるパブリック・アートを巡る論争である。とりわけ初期のトラディショナルなパブリック・アートに対する批判的検証がハーバーマスの分析を経た結果であることは想像に難くない。それらは一貫して、トラディショナルなパブリック・アートを権力の示威装置とみなし、その表象するイメージとしての公共性を偽りの公共性と断罪する。そしてもう一度「パブリック・スフィア」とは何か、アートはそれにいかに関わりうるのかという問いを設定し続け、論争的な活動を展開しているのが現在のパブリック・アートの状況、いわゆるニュー・ジャンル・パブリック・アートと言われるものである。とりわけエイズや人種、民族問題など従来パブリックの語のもとに隠蔽されてきたマイノリティーに関わる問題を扱いつつ、「パブリック・スフィア」の見直しを実行している。
(宮川暁子)
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