1928年商工省は「工芸指導所」(国井喜太郎所長)を開設。工芸指導所は、世界恐慌によって悪化した経済に対応して、各地の産業をデザインによって活性化することを目的に動きだしていた。工芸指導所はもののデザインを量産に見合う合理的なものにするためのさまざまな試みを行なった。この組織には、木檜怒一や蔵田周忠の影響を受け、剣持勇ら東京高等工芸学校の出身者が数多く参加していった。工芸指導所を開設させたのは、商工省の官僚であった岸信介、吉野信次たちであった。彼らは1930年代に入るとはっきりとした産業合理化政策を推し進めていき、その政策は、デザイナーが考えていた規格化や合理主義のデザインを巻き込み、それを新たに再編していった。
(紫牟田伸子)
関連URL
●岸信介 http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/kakuryo/56.html
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