1913年、アメリカのM・ラッセルとP・H・ブルースが共同で発表したマニフェストのなかで述べられていた自己規定。いずれもパリ留学の経験があるこのふたりの抽象画家は、初めて訪れた当時(1907)のフランスで、新印象派の色彩理論や制作原理、「オルフィスム」の形態言語から強い影響を受け、帰国後にそのアメリカ的な展開を目指して「シンクロミズム」を名乗ったのである。現在「シンクロミズム」は、それぞれ性格が異なっている二人の作品を、色彩の属性を媒介として結びつける理念とされており、ともすればそこに最も強く影響を与えているのは、霊感を形態言語へと直結させたR・ドローネーやF・クプカの画法であろう。この動向は当時のアメリカ絵画に大きな影響を与え、M・シャンバーグやT・H・ベントンらの追従者を生み出したが、その流行も第一次大戦の終戦とほぼ軌を一にして終焉を迎えた。
(暮沢剛巳)
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