1999年、長野県信濃美術館で、近代書道の基礎を築いた書家比田井天来を、近代書道の幅広い流れのなかに位置づける書道展「比田井天来と日本近代書道の歩み」展が開かれた。この展覧会の第3部「天来の系譜」において、前衛的な書家井上有一の作品《噫横川国民学校》(1978、群馬県立近代美術館蔵)と《骨》(1959、東京国立近代美術館蔵)の2点が展示されたが、これに対し、戦争観や作風が全く異なる作品と一緒に展示されているのは、有一の人格権の侵害だとして管理する遺族らが撤去を求め、美術館がこれらの作品を撤去し、カタログから図版を削除して和解した問題。天来の門人上田桑鳩に師事した井上有一は、天来の孫弟子にあたるが、1952年、桑鳩と絶縁しており、生前、天来らの作品と一緒に展示されるのを断ったことがあるという。だが、美術館がその出発点において、宗教画や肖像画など本来美術作品として制作されたのではないものを美術品として収集・展示し、20世紀においてもプリミティヴ・アートのように制作者の意図を超えた解釈をキュレーターがしてきたことを考えれば、この事件のような作者とキュレーターの立場の衝突は、簡単には答の出せない「美術館」という制度自体に関わる問題であると言える。
(鷲田めるろ)
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