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手漉和紙のインパクト――上坂一夫の作品
木戸英行[郡山: CCGA現代グラフィックアートセンター] |
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●学芸員レポート 越前和紙のふるさと、福井県今立町の岩野平三郎工房を訪問した。1300年の歴史を誇る越前和紙の中でも、岩野平三郎工房は日本画用和紙や宮内庁のさまざまな行事に使用される和紙の生産者として有名な由緒正しい工房だ。大学の古美術研究旅行で訪れて以来20年ぶりの訪問となる。 今回の目的は、今春予定しているアイルランド人画家リチャード・ゴーマンと岩野工房とのコラボレーションの打ち合せのためだ。リチャード・ゴーマンは、1998年に伊丹市美術館と三鷹市美術ギャラリーで個展が開催されているのでご存知のかたもいるかもしれない。現在、お隣りの郡山市立美術館とCCGAの共同事業で2003年3月に新作の絵画シリーズによる展覧会を計画しており、そこに和紙を使った作品をあわせて出品するのだ。 ゴーマンと岩野工房の間には10年以上にわたる交友関係がある。前述の伊丹・三鷹展の折にもコラボレーションが行われ、同展で発表されている。次回の郡山・CCGA展も同様なプロジェクトだが、ミラノ在住の作家に代わって事前打ち合せに行ったのである。 工房見学の後、本題の打ち合せは工房の職人の一人と宿泊先に場所を移して食事を取りながらすることになった。その人物が、これから彼について書こうとしている上坂一夫氏だ。 上坂氏も福井県今立町出身。岩野工房に勤めて今年で20年になる手漉和紙の技術者であり、自らも和紙作品を制作する工芸作家でもある。ゴーマンを岩野工房に紹介したのは上坂氏で、彼に技術的な手ほどきをし、コラボレーションで中心的な役割を演じてきた。ゴーマンと岩野工房の10年以上にわたる交友と言うより、正確には上坂氏とゴーマンの交友関係なのだ。 さて、必要な打ち合せが完了すると、彼は持参した数冊のアルバムと作品集を見せてくれた。アルバムは、リチャード・ゴーマンのコーディネートで2000 年にアイルランドで開催された、上坂氏の和紙作品の展覧会の模様の写真、作品集はその時彼が自費で作ったものだ。その展覧会のことはゴーマンから聞いていたが、作品を見るのは初めての経験だった。
作品はあらかじめ染めた楮で漉いた複数の和紙を重ねる手法で作られた平面作品で、こうしたたとえは適切でないかもしれないが、ヘレン・フランケンサーラーやケネス・ノーランドなどのアメリカ抽象表現主義のステイニング技法による良質の作品を想起させるような見事なものだった。アルバムの素人写真と作品集の図版からでもその美しさは十分に伝わり、地元の中小規模の公募展以外にはこれといった発表歴も実績もない彼の展覧会をアイルランドで開こうとしたゴーマンの気持がよくわかる。 ところが、感想を正直に伝えても彼はぴんとこない様子。先に上坂氏が工芸作家と書いたが、実際は、彼自身には作家という意識が希薄なようだ。たしかに、自宅裏に専用のスタジオ (彼は「小屋」と言っていた) を構え、作品を制作しつづけてはいるものの、それはあくまで手漉和紙職人という本業の片手間に行うものであって、作品で名声を得ようとか、プロフェッショナルの工芸作家を目指そうという気持はさらさらないらしい。
本音を言えば、ぼくは和紙を使った美術作品や和紙工芸があまり好きではなかった。和紙そのものが嫌いなのではなく、手漉和紙をことさら特別視する風潮が嫌だったのだ。たとえば、CCGAでアメリカ現代版画作品を展示すると、そこに使用された手漉きの「洋紙」を見て、和紙と勘違いする人が非常に多い。もちろん専門的な知識や情報をもたない一般の来館者がそのような勘違いを犯すのは無理もないし、それを非難するつもりも毛頭ないが、手漉紙=和紙という図式の中には、繊細な手仕事が日本人の専売特許でもあるかのような思い込み、無意識な民族主義的驕りを感じてしまうのだ。さらに悪いのは、質の低い自称アーティストたちによる、安直な和紙素材の作品が美術、工芸を問わずあまりに多いことだ。つまり、和紙である必然性がまったく感じられないか、逆に和紙のテクスチャーにどっぷり漬かっただけでどこにも造型的な新鮮さを見いだせない作品のことだ。 [きど ひでゆき] |
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