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岡山県立美術館自主企画特別展『戦後岡山の美術――前衛達の姿』
柳沢秀行[岡山県立美術館] |
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また手前味噌ながら、今作っている展覧会について書かせてください。 この展覧会は、戦後1945年から1970年代までの岡山の美術状況を、主として前衛的な活動から振り返るものです。戦後50年となる1995年頃に戦後日本美術を取り上げた大規模な展覧会がいくつか行なわれましたが、地方の前衛を取り上げたものとしては、1988年福岡市美術館『九州派展』、1997年高知県立美術館『こんなアヴァンギャルド芸術があった!高知の1960年代』、それからそれを地方と言うべきか否か?、『具体』を取り上げた芦屋市美術博物館や兵庫県立近代美術館の活動があるくらいです。 まあ、九州派に土佐派に具体。それに比べれば、いったい当時の岡山にどんな動向があったのかも、ほとんど手探り状態。ぼちぼちとみなさんにお話をうかがったり、資料を見せていただいておりましたから、まあなんとか展覧会の形にはなるなと思っておりましたが、作家の皆さんもまわりの学芸員さん達も、それに私自身も、半分は資料展かな?と思っていたのが、正直なところ。 ただこれまで岡山の街中をうろうろし、作家さん達ともあまりなれなれしくならないお着き合いを通して岡山の美術状況を肌で感じてくると、やはりいずれは戦後岡山の美術をおさえなくっちゃ、それに岡山県立美術館がどうした位置に立っているのかをその中でおさえなくっちゃ、という思いを募らせておりました。 さて、事前の予想に反して、準備を進めていくうちに、そこにはとんでもなく大きく豊かな鉱脈があるのを発見。 展覧会は3部構成。第1部を、洋画王国、日展王国と呼ばれた岡山美術界の礎となった洋画家達を、表現者のみならず、時代の土壌を培った者という観点と重ねて紹介。もちろん日展偏重や公募展横並び配備はしません。第2部は昭和30年代の前衛的な美術活動を、坂田一男と彼の主導したA・G・O(アバンギャルド岡山)から、さらに年若い20歳代の若手達の活動を取り上げます。このパートが、これまで何も手が着いていない状況のため、何があったのかの確認から始めて、それから作品探し。ところが…。 そして第3部は、昭和40年をすぎる頃から急に潮が引くような状況と、あわせて作家達がこの状況をいかに捉えたか、同時にその頃から、それまでのスタイルを大きく展開させた林三従(前号でご紹介)、香川昌久のコンセプチャル系と、丸太を輪切りにする寺田武弘(こちらも後楽園でのガーデン展でご紹介)の二つの傾向を紹介して、展覧会を終えます。>
●学芸員レポート 1月19日に『文化芸術振興基本法を考える』というシンポジウムが開催された。パネリストは秋元雄史(直島コンテンポラリーアートミュージアムチーフキュレーター)、加藤種男(アサヒビール環境社会貢献部副理事担当部長)、宮島達雄(アーティスト)。コーディネーターは熊倉純子(企業メセナ協議会シニア・プログラムディレクター)。いささか拙速ぎみに議員立法で成立した同法案をみんなで知りそして討議しようという動きが、岡山でNPOミーツを主体に起り、第1回勉強会として京都橘女子大学助教授の小暮宣雄さんを招いたのが昨年12月。さらにこの動きを美術に限定せず、より幅広い人たちに当事者としての意識をもって参加してもらうと、ミーツの枠を取り払って別枠の実行委員会を立ち上げ、このシンポジウムが開催された。 パネリストの顔ぶれをみれば、このシンポジウムが特定の立場からのガス抜き的、あるいは啓蒙的な性格でないのは明らか。壇上では同法案をめぐりながら、文化支援、文化振興の手綱を国が握るのが民に託すのか、その場合、それぞれの問題や利点を出しながら活発な応酬が繰り広げられた。 会場も200名の定員がほぼ埋まる盛況。それに壇上のやりとりが実に充実していたため、みな満足かつ、実行委員会が狙ったとおり、しっかりとこの問題を我が事として受止めた様子。なおこの勉強会とシンポジウムの内容をまとめた冊子も制作される予定。 入手等については「文化芸術振興基本法を考えるシンポジウム実行委員会(藤原)」yasue@ik-fujiwara.co.jpまでお尋ねください。 私自身は、会場が勤務先のホールとなったため、裏方としてちょっとだけお手伝いさせていただいたが、実行委員長の藤原康江さん(これまた以前にご紹介しました)筆頭に、年若いスタッフ達が一生懸命ホスト役となり、なれないステージ上で緊張しながら身体を張っている姿に感動。(あのういういしさを取り戻したい。最初からない?)。 すばらしいシンポジウムが開催されただけでなく、それが20代の若者を中心に運営されたことに岡山の明日に大きな希望をもちました。 [やなぎさわ ひでゆき] |
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