前回の投稿で私はこの展示を考える上で、2つのテーマに着目していると書きました。今回から数回に分けて、「建築のコンテクスト」について私たちが議論してきたことを書いていきたいと思います。
ここに建築を写した一枚の写真があるとします。それは、雑誌に載っているプロの写真家が撮ったものでも、素人が撮ったものでも良いですが、私たちがそこに目撃しているものとは一体、何でしょうか。その写真を見るとき、私たちは建築家がデザインした「形」に注目しつつも、同時にそこに現れた建築の「周辺」にも無意識のうちに目を向けています。そして、それが非日常的であると捉えられた場合、ついには意識的にその「周辺」を観察し始めるのです。
このことは、私がポルトガルの友人と日本の建築作品を写した写真を眺めているときに、自然と気付かされることです。彼らはしばしば建物そのものよりも、東京の雑居ビルの風景や人々の服装に興味を持つのです。その建築の周辺が異国の風景であれば、それは当然のように観察対象となり、そこにその国のリアリティの一端を垣間見るのでしょう。
周辺の風景という意味での地形的コンテクストは建築写真を通した二次体験からだけではなく、実際に建築を訪ねる体験を通しても意識されるのではないかと思います。建築を見るために、あるいは観光で車や電車を使ってはるばる遠方まで出かけた経験のある人であれば、誰もが経験することだと思いますが、写真で見た時の印象と実際に訪れた時の印象にズレが生じることがあります。それにはいくつか理由があると思いますが、私の経験上、それまで写真では捉えることができなかった建築の立つコンテクストについての情報を得るからだと思います。そこで初めてその建築を理解し、より「正確な」批評を行うことができるのではないでしょうか。
建築の立つ周辺には地形的コンテクストがあるということを、私たちは写真というメディアを通して、そして、建築を訪ねる旅を通して再確認します。ポルトガルの建築をどのように日本で紹介することができるかを考えた末に、これが私たちが辿り着いた最初のヒントでした。