2010年5月末の山車の制作がはじまりました。
木材を運びこみ、全て一からの作業です。
合板を重ね合わせて車輪をつくり、山車に飾りつける彫り物、からくりなどの山車の駆体部分の制作をミラクルファクトリーの3人が担当しました。
時にはまちの人達に手を借りながら作業は続きます。まちの人達も山車の様子が気になって、アイスを片手に様子を見にくる人もちらほら。
長者町の方による山車観察ブログにも様子が綴られています。
http://ameblo.jp/nagoya-chojamachi/entry-10690060108.html
10月のゑびす祭りに向けて、9月5日に山車の試走が行われました。
山車もスタジオから飛び出すはじめての機会です。まちの青長会(若手経営者陣)の方々が曵き手として集結し、山車の練歩きが始まりました。
10人程度の人手がいれば直進や、方向転換もできるはずだったのですが、、、回転がうまく行かず思ったように進みません。
このまちには戦争で焼失してしまった後は山車や神輿がなく、まちの人たちもなかなか感覚がつかめません。また、みんなの意見もばらばらで、なかなか意思の統一が図れず、なかなか予定通りに進みません。
巨大な何かに協力して立ち向かう、これは「まちづくり」に似ているなとも思います。試走後、まちの人達との会議を行い、ゑびす祭りではスムーズに格好良く山車の練歩きができるように何度かにわけて夜集まって練習することになりました。
全国の山車の引き回し技法を勉強し、長者町バージョンに改良し、あらゆる想定をしながら練習を行いました。
だんだんとスムーズに山車を動かせるようになってきましたが、お祭りの実行委員長や町会長などからはお祭りで事故が起きたらと不安の声が募ります。
練習の成果を確認してもらい、当日に挑むことになりました。
ゑびす祭りは2日間で10万にもの来場者がありました。
山車の練歩きは、予定通りに進行し、アーケードをくぐり、無事に帰還しました。練歩きに合わせて行われて演奏された音楽は、今回の山車のために作曲されたもの。また山車に搭載された自転車の漕ぎ手も当時の長者町の労働着のステテコと腹巻で参加しています。
お祭り終了後、長者町の意向により、山車を保存、活用していくこととなりました。一度全て解体された山車は、今年の秋に行われるゑびす祭りに組み立てられ登場する予定です。保存、修復、組み立てのための募金も行われ、毎年グレードアップしていくことと思います。