さて、「自主規制」という言葉があります。管見ながら私の感覚では、これはほとんど表現の自由と規制に関わる問題において使われる言葉です。何らかの社会的なトラブルを引き起こす可能性を考えて、本来達成したいものがあるにもかかわらずそれを自ら制限するという言葉です。この言葉は極めて複雑な使われ方をしています。実際には法による威嚇への対応や市場原理による制限という要素が多かったとしても、「何かを我慢する」という規範的制約要素、あるいは社会倫理への抵触に対する配慮の要素があれば、それを「自主規制」と呼んでしまうことができます。
こうした自主規制は以前から存在していましたが、昭和初期ごろまではある種の信仰や世界間に基づいた、その意味で実体を伴ったものでした。妖怪譚などもその一種でしょう。ところが戦後社会においては、検閲の秘密化/不可視化を経て、自主規制そのものの政治的/社会的規範としての独自に発展を生んできました。その捉え難さは、不可視の共同関係によるあらたな規範的規制を作り出してきたともいえます。
「さらなる自主規制を求める」とか、「自主規制が不十分だから法規制が必要である」といった政治的言説が生まれる理由の一つは、はっきりしないタブーをはっきりしないまま守るための自主規制が存在することによります。個人の恣意的統治ではなく、法による統治でもない、社会的タブーによる統治という不思議な状態が作り出されてきたともいえます。
岡本太郎は、こうした規範的な自主規制に対抗するアイコンとしての自らの立場をわきまえつつ、芸術家の責任を果たそうとしたのだ、と私は考えています。法規範のような目に見えるものではなく、不可視の規制を打破して行くことを、活動の原動力にしていたのではないか。その戦いは当時も今も、様々な共感と誤解と批判を生み続けている――私はそのように思います。
もっと言えば、『岡本太郎は、プロの絵描きであると同時に、「芸術家の責任を果たすこと」を原動力にしたヒューマニストではなかったか?』というのが私の見方です。私は今さら美術家としての岡本太郎の限界を論じるとか、作品を批評したとしても、岡本太郎を理解することはできないと思います。また、それだけでは、震災を経た現在の地点から岡本太郎を見直す意味を見いだせません。