こんにちは、水野です。
第9タームとして、8月末までここartscapeにてブログを担当することになりました。
何卒よろしくお願い致します。
このブログではファッション批評家で現在、京都服飾文化研究財団(KCI)のアシスタントキュレーターの蘆田裕史くんと共に来年1月に刊行予定のファッション批評誌「ファッショニスタ」の編集日記的なものを書いていこうと思っています。
が、ファッションデザインの批評活動以外にも様々な活動に携わってますので、関連する諸事情と共に書いていけたらと思っています。
例えば、FabLab Japanが前タームにブログを書かれていましたが、どういう縁か僕もメンバーとして関わらせてもらっています。気づいたら、FabLab Japanのサイトに名前がありました(笑)
今回はそこで、FabLab Japanとファッションの関係性みたいなところから話ができたらと思います。
まず、上のyoutube、TED TALKにでていたJohanna Blakelyという方のファッションにおけるコピーライトの話です。ファッションデザイナーが過去のデザインをリテラルに参考にする行為(古い服を分解して、型紙をコピーしてしまうなど)の逸話が話されています。
そんな行為は、Marc Jacobs のドキュメンタリーにも記録されています。
古い服を使い回すというよりもコピーするカルチャーがある一方、トレードマークとしてのアナグラムは堅固にその権利が守られ、シャネルやルイヴィトンの偽カバンなどがいつも問題になるのは、その形ではなくトレードマークの模倣が問題になっているから、といえるでしょう。
しかし、お隣中国では現在、そんなトレードマークすら度外視した、Shanzhai Design(山寨・さんさいと日本では認知されているようです)がものすごく流通しています。AppleやSonyなどのプロダクトのみならず、ファッションもすごい沢山のデザインがあります。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%AF%A8
Adidasのロゴを、AdadasとかAdedasとかAdidusとかに微妙に作り替えるその機転。ニコ動などのMAD系、カオスラウンジ的創造性をどこかに感じます。
ファッションデザインの創造性を考える時、その文化が本質的に模倣や引用などによって支えられてきたが故に、型紙などカタチにコピーライトを強く求めて来なかったが故に、産業として寛容であったが故に、ファッション業界はどんどん新しいものをつくり、消費を加速してきました。Blakeleyもプレゼンの中で「オープンソース化されている産業はそのサイズも大きい」ということを指摘しています。
しかし、私たちがその結果目の当たりにしているのは、ファストファッションという産業体系でもあります。オープンソース化が進み、だれでもコピーできるデザインが流通すればその物的価値は下がり、「どうせ廃れるなら安いものを」「安くても高くてもデザインは一緒」という意識が蔓延しています。
その一方で、現在P2P的な共感中心のコミュニケーションによる、小規模なビジネスにも焦点があたり始めています。それは、コアな客層だけに高い水準のデザインを提供したりしますが、そこには参加型デザインであったり、エディションがついていたり、時には1つしか存在していないかったりと、何らかの付加価値が付随しています。つまり、ある種の回帰がそこにはあるようにも思えるのです。プレタポルテからオートクチュール、ないしはその以前にまで戻るかのような流れです。
Shanzhai Designのような加速する状況下で、パーソナルファブリケーションを考える状況が生まれる。このブログは、ファッションデザイン「から」考えることによって様々な社会的課題について見ていくことから、ファッションデザインそのものについても考え、批評するためのタネというかネタをご紹介できたらと思います。
それでは今後とも、宜しくお願いします。
み