ファッションショーについて

こんにちは、水野です。

前回、ファッションとコピー文化についての話をFabLabの流れから書きましたが、今回、その延長戦としてファッションの業界紙WWD2011年6月6日号に紹介されているファッションショーとメディアについて話をしていこうと思います。

2011年6月6日号のWWDの表紙になっているのは、ファッションブランド・Theatre ProductsのARファッションショーです。Theatre Productsは2011-12秋冬のコレクションの新作発表に、ARを利用しました。AR三兄弟とのコラボレーションとして住宅の平面図に模したマーカーをウェブカメラで読み込ませることでショーをモニタ上に浮かび上がらせる、という趣向のショーを行いました。

http://vimeo.com/22637375

ARを使ったショーのことも含めて、WWDでは「コレクション・ムービーは、ランウェイの代わりになるか?」という特集が組まれています。それは、「ショーという生の体験をどう代替メディアによって見せることができるのか」に収斂した内容になっています。

ファッションショーはインスタレーションアートのように現在扱われ、デザイナーの世界観をオペラ的な総合芸術として考えられています。しかも、それは集客人数や開催する場所、回数も相まって極めて特権的なものです。そのような流れは90年代、イギリスやアントワープ出身の「コンセプチュアル」なデザイナーらによって特に強化されたように思います。Fashion Theoryという学術誌でも、以前デザイナーのショーについての論文が掲載されていました。

http://www.bergpublishers.com/?tabid=1861

もともと、1911年にパリのオートクチュール組合がコピーの氾濫を恐れ、組合の中でファッションショーを一つのシステムとして確立したという歴史的な流れをふまえても、やはり「いま・ここで」という条件を大切にしているのでしょうか。それをふまえ、90年代は「コンセプチュアル」なデザインが氾濫し、「スペクタクル」なショーこそ「スペキュタクラー」だ、という風潮があったのです。

しかし、その流れもだいぶかわってきたように感じます。
例えば東京ガールズコレクションのように、コンベンションホールなどのイベント会場において、たくさんの一般客がチケットを購入し、 アイドル的なモデルを生で見れるショーを体験し、ケータイで見ている物を購入ということに象徴されています。

このような流れは先のミラノコレクションが「民主化」され、一般人も鑑賞できるようになったことに影響を及ぼしたのかもしれません。文化社会学的研究としての「ライブ」や「ロックフェス」的な属性の確認、フラッシュモブとの関連性など、様々なネタと関連しているようにも思えます。

そこで重要なのは、ウェブにおける情報公開とその伝播、交換のスピードです。今や、ショーはほぼライブでウェブ上で鑑賞できるようになっています。服だけを純粋に見て「最新のモード」を理解するだけなら、デザイナーの世界観の身体的経験などどうでもいいと思っている人もいるのかもしれません。ウェブで服を購入する人の一部には、試着もせずにかう人もいることでしょう。試着するにも近くで売っていないから「疎外」された「情報弱者」になってしまう、というのもおかしい話です。

ウェブデザインも様々な形で進化し、映像配信や写真にもデザイナーの世界観や創造性を反映したものが多く見受けられるようになってきました。

デザイナーによる新しいデザインの発表方式やメディアには、あるDIY的な精神が見え隠れするように思えます。ソーシャルメディアの利用や自身のサイトを通して、既存のシステムとしての「東京コレクション」の会場や期間に頼らずとも自身の活動を広めることがウェブ2.0以降、できるようになってきたという事の現れでしょう。

ショーを情報空間で行うことは、確かに身体性を欠いたものです。ハプティックな情報も生で知覚できる情報よりも少ない。しかしながら、共感してくれる多数の消費者へ直接届くメリットは大きなものです。情報空間でやるにしても現実空間でやるにしても一長一短のメリットがありますが、デザイナー1人のもつ発言力がメディアによって強化されていることは間違いないはずです。

ファッションは70年代のDIYカルチャーの中でも重要な位置を占めました。パンクファッションのみならず、メッセージTシャツがその代表といったところでしょうか。メゾン・マルタン・マルジェラだけでなく、キャサリン・ハムネットやヴィヴィアン・ウェストウッドなど、様々なデザイナーがこれまでメッセージTシャツをつくり、その力をうまく利用してました。

日本ではそれが、DCブームと関連して政治的メッセージではなく、自己の装いとしての「様装」(これ面白い造語ですね)が中心になっていました。しかし、今度の震災も含めて、「ファッションができること」をたくさんの人が考える契機が訪れています。その中には、「なぜつくるか」、「何をつくるか」だけでなく「どう伝えるか」という話もでてきました。

現実空間と情報空間の相互に好影響を及ぼすメディアの在り方は、デザインの民主化を投げかける。「なぜつくるか」を再考しながら、「どう伝えるか」だけを考えずにショーの在り方が今後も問われていくといいなあと思います。

みみ

ブロガー:水野大二郎
2011年6月10日 / 16:54

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