今回から「Small」の章に入ります。まずは冒頭のテクスト、「レス・イズ・モア」(“Less is More”)を読んでいきたいと思います。これは、1985年のミラノ・トリエンナーレにおけるOMAのインスタレーションについて書かれたものです。
ご存じの方も多いかと思いますが、”Less is More”(「より少ないことが、より豊かなことである」)とは、近代建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエの有名な言葉です。トリエンナーレでのインスタレーションは「Small」の章にふさわしい小さな作品ですが、それに与えられた「レス・イズ・モア」というタイトルは、建築の重要性は必ずしもスケールに比例しないという警句のようでもあります。
1985年当時、ミースの代表作であるバルセロナ万博のドイツ館、すなわち「バルセロナ・パビリオン」(1929)が再建されようとしていました (1986年に再建完了)。コールハースはその復元を「ディズニーとどこが違うのか?」と批判し、トリエンナーレでのインスタレーションにおいて、この建 物の「真の歴史」を描くことを試みました。
コールハースが行ったのは、万博以後のパビリオンの足跡を克明にたどることでした。彼の調査によると、ミースのパビリオンは、まずドイツに見捨てられ、スペインのアナキストに利用され、アナキストにも見放されて廃墟になり、ベルリンに移送され、ナチス政権によって大理石が流用され、戦後には東ドイツの運動場のロッカー・ルームとして再生しました。最後に、西側の学者がパビリオンを「再発見」することで、コールハースの描く「真の歴史」は幕を閉じます。
これらの考古学的な断片をコールハースはトリエンナーレの展示会場において再構成しました。ただし、直交座標系の美学が支配するパビリオンは、展示会場の形に合わせて極座標系に変換されています。
形態を優先させるのではなく、その物語を優先させる。伝説的なミースのパビリオンを歪めることで、コールハースは(彼が言うところのディズニー的な)形態的復元に対するカウンター・プロポーザルを提示したのだと思います。
ミースのバルセロナ・パビリオンに対するコールハースの態度は、「ノスタルジーnostalgia」ではなく「記憶memory」を志向する、彼の歴史認識をよく表していると思います。この考古学的な態度は、昨年のベネチア・ビエンナーレにおいてOMAが行った”Preservation”(「保存」)というテーマ展示にまで通底しているように思います。「ノスタルジー」と「記憶」は、コールハースが継続的に思考を続けるテーマであり、たとえば、ハンス・ウルリッヒ・オブリストとの対話(『コールハースは語る』筑摩書房)などにも見ることが出来ます。
次回は、「レス・イズ・モア」に続くテクスト「ミースをつくった家」を読んでいきたいと思います。