今回は「Small」の章の2つ目のコンテンツ、「ミースをつくった家」(”The House That Made Mies”)から始めます。前回の「レス・イズ・モア」に続き、このテクストも近代建築の巨匠ミース・ファン・デル・ローエについて書かれたものであり、ミースが設計した未完の作品、クレーラー邸(1912)についての、コールハースの母からの「伝聞」に基づく奇妙な記録です。
コールハースの母がお茶の席で「友達の祖母」(クレーラー夫人)から聞いたという「お話」が、このテクストの中心です。
「あるとき、彼女(クレーラー夫人)は一人の建築家に家の設計を頼んだ。彼女はその案の原寸大の模型をキャンバス布でつくらせたが、結局反対を決めた。その理論上の家のすぐ近くを列車が通り過ぎるから、という理由で。…」(『S,M,L,XL』p.62)
原寸大の模型までつくったにも関わらず、家を建てることができなかったアンラッキーな建築家こそ、26才の若きミースでした。しかし、コールハースはこの経験がミースに決定的な影響を及ぼしたのではないか、と考察します。重厚な古典主義的建築を表現するためにつくられたにも関わらず、キャンバス布製の原寸大模型には「軽さ」と「白さ」という性質が現れてしまった。これが透明で反重力的な、後のミースの建築のフラッシュフォワードとなったのではないか、と。
この「お話」が事実かどうかは、実はわかりません。テクストの最後には、建築家フィリップ・ジョンソンの言葉を借りて、すべてが作り話である可能性が示唆されます。しかし「お話」の細部の真偽はともかく、1:1(原寸大)というスケールにおいて、模型が予言的建築に変貌するという考察はきわめて重要です。スケールが変わることにより、建築の意味が根本的に変化するという問題は、『S,M,L,XL』に通底するテーゼだからです。
ところで、前回紹介した「レス・イズ・モア」と今回紹介した「ミースをつくった家」以外にも、「Small」の章にはミースへのオマージュが見え隠れします。例えば、「ふたりの友達のための家」(”House for Two Friends”, 1988。『S,M,L,XL』p.65-79)や「ヴィデオ・バス・ストップ」(”Video Bus Stop”, 1991。『S,M,L,XL』p.194-197)などは構成やディテールにおいて、ミースからの影響を露骨に示しています。
『錯乱のニューヨーク』において、コールハースはル・コルビュジエを半ばピエロとして登場させました。それに比べて、ミースへの態度はきわめて真摯で情熱的です。あるところで、コールハースは次のような告白をしています。
“I do not respect Mies, I love Mies”(「私はミースを尊敬しているんじゃない、愛しているんだ。」)
ミースへの「愛」は、コールハースのバックグラウンドを理解する上での核心のひとつと言えるでしょう。ミースに関する記述が『S,M,L,XL』の「Small」の章に凝縮されているという事実は、きわめて興味深く思います。本書の内容を先取りすると、「Large」の章に収められている「ビッグネス」というエッセイにおいて、スケールがある臨界点を超えた巨大建築では従来の建築的操作が無効になる、とコールハースは述べます。これは裏を返せば、スケールが臨界点を超える以前の「Small」においては、従来的な近代建築のヴォキャブラリーは未だに有効である、ということではないでしょうか。そのように考えると「Small」の章に、ミースという「近代建築を象徴する存在」が繰り返し登場することも、理解できるように思えます。
「Small」の章には、このほかヴィラ・ダラヴァ(”Villa Dall’Ava”, 1991)というパリ近郊の住宅や、OMAの日本における唯一のプロジェクト、ネクサス福岡(”Nexus World Housing”, 1991)に関するテクストなどが収録されています。後者はコールハースによる日本旅行記の体裁をとっており、若き伊東豊雄も登場します。
次回から、「Medium」の章に入ります。それではまた。