今回から『S,M,L,XL』の「Medium」の章に入ります。「Medium」は中くらいのサイズの建築に関わる章であり、OMAが実現した建物としては、 ハーグのダンス・シアター(”Netherlands Dance Theater”, 1987)、ロッテルダムの美術館(”Kunsthal I”, 1988) などが含まれます。今回は、章冒頭の「フィールド・トリップ: (A)A メモアール」というベルリンの壁に関するテクストを取り上げたいと思います。
AAスクールでの課題として、レム・コールハースは1971年に「建築としてのベルリンの壁」という都市リサーチを行いました。現地に赴き、初めて壁と対峙し、27歳のコールハースは大きな衝撃を受けます。
「閉じこめられていたのは東ベルリンではなく、西側の”開かれた社会”だったのだ。…私は壁が都市をぐるりと取り囲み、逆説的にそれを”解放”していることを悟った。…また、壁は不変ではなかった。それは私が考えていたような単一の存在ではなかった。それは”状況”であり、絶え間なく、ゆっくりと展開していた。壁のある部分は無骨に明快に計画されており、別の部分は即興的だった。」(『S,M,L,XL』p.218-219)
ベルリンの壁は、しばしば「東西ベルリンを分割する、南北に延びる境界線」と誤解されることがあります。しかし実際はベルリン全域が東ドイツに含まれており、壁は「東ドイツの中に西ベルリンを囲い込む環」でした。コールハースもこの点を勘違いしていたのです。
「壁による囲い込みが逆説的に解放を与えていた」という発見は決定的でした。以前のエントリーで取り上げた卒業設計「エクソダス」は明らかにこの発見の建築化と言えますし、コールハースが1980年代から現代に至るまで追求し続ける「ヴォイドの戦略」という方法論は、この「逆説的な解放」の発見から生み出されたと言えます。
また、「壁が単一の存在ではなかった」という発見は、「形」と「意味」の結びつきに関して、若きコールハースに深い影響を与えました。壁という「形」から多様な意味、解釈、現実が表出したという事実は、「形が意味を表現する」という近代建築の教条を疑う十分な根拠となったのです。
ベルリンの壁は都市計画スケールですが、本書では「Medium」に分類されています。コールハースにとって、「Large」とは巨大さによって内外の均衡が崩れた建築(内部の大きさを外部が表現できなくなった建築)を指すと考えられます。それゆえ、どんなに線的に長大でも、ベルリンの壁は「Medium」なのです。同様のことが、巨大な床面積にも関わらず「Medium」に分類されている、フランクフルト空港のオフィス・シティ(”Project for Office City, Frankfurt Airport”, 1989, 実現せず)にも言えます。オフィス・シティは、延べ床面積22万㎡、全長が2.5kmで、長い壁が折りたたまれたような形をしています。
蛇足ですが、オフィス・シティでも見られるように、「壁」はコールハースのライトモティーフとなり、繰り返しOMAのプロジェクトに現れるようになりました。最近では2010年春夏のプラダのキャット・ウォークがそのバリエーションと言えるでしょう。
次回は、「Medium」の章の、「基準プラン」というテクストを読んでいきたいと思います。それではまた。