ロシアで行われていたMars500という520日間にわたるプロジェクトが、11月4日に完了しました。このプロジェクトは約25年後に想定された有人火星探査を模擬したプロジェクトで、ロシア、フランス、イタリア、中国から集められた6人のクルーが、ロシアの研究所内に作られた宇宙船を模擬した隔離空間の中で520日間生活するというプロジェクトです。520日というのは、地球⇔火星間を往復するのに必要な最短の日数です。
こうした、人間が実際に有人探査に出る前に地上で模擬トライアルを行う、”Analogues to Simulate Extreme Environments of SPACE” 的なプロジェクトは、欧米を中心にこれまでも何度か行われてきました。僕自身が南極や宇宙を目指すようになったきっかけも、1990年代に米国アリゾナで行われたBIOSPHERE2プロジェクトのリーダー、ジョン・アレンとの出会いからでした。
男女8人の研究者たちが、海や熱帯雨林、砂漠といった地球のあらゆる自然環境要素を閉じこめた〈ミニ地球・BIOSPHERE2〉という施設のなかで、水や食料、空気さえの補給もなしに2年間を生き延びた壮大なプロジェクトに僕は魅せられ、自分の肌でその生活を感じたくて、南極での越冬を実現させたのです。
実はもうひとつ、南極に行くもっともっと前に、1週間という短期間ではありましたがMars500と同じような施設に入ったことがあります。冒頭の写真、クルーたちが520日間の生活を終えて施設を出てきた場面ですが、どうですか?次の写真。どことなく似ていませんか。
この写真は、JAXA・筑波宇宙センター内にある「閉鎖環境適応訓練施設」の前で撮影したものです。日本の宇宙飛行士選抜の最終選抜試験にも使われる施設としても知られていて、最近ですと講談社から出ている小山宙哉さんの「宇宙兄弟」という漫画の中でも「閉鎖BOX」という名で出てきました。この施設の中で、僕を含めて3人のクルーと一緒に、与えられたミッションをこなしながら実験被験者として約一週間の共同生活を送りました。人工的に作り出された狭い閉鎖空間の中での集団生活に、人間はどのようなストレスを感じ、作業パフォーマンスに影響が出るのかを調べたるために行われたこの実験に、被験者として参加できたことは当時の僕にとって大きな経験でした。
余談ですが、いま店頭に並んでいる「We are 宇宙兄弟 vol.4」という漫画「宇宙兄弟」のムック本の中で、「南極経由、宇宙行き。〜宇宙に行くために、わざわざ南極に留学した男の物語。〜」という、「どんな男だ!?」と思わずツッコミを入れたくなるようなタイトルの僕のエッセイが掲載されています。僕が南極に行く前に、宇宙飛行士の向井千秋さんから頂いた「君は宇宙よりも遠いところに行くんだから頑張ってね!」というエールの意味をひも解くエッセイです。
小山宙哉「宇宙兄弟」ムック特設サイト:We are 宇宙兄弟 vol.4
南極から帰国後、僕は富士山測候所やエベレストBCへ足を運び、そこでも長期の隔離された生活を体験してきました。もはや完全に「隔離マニア」です(笑)僕はもしかしたら、新手の引きこもり、もしくは永遠の家出少年なのかもしれません。
ところで皆さんは、地球には「地上の三極」とよばれる所があるのをご存知ですか?その三極とは、南極、北極、エベレストの3つです。どこまで本当か知りませんが、僕が親しくおつき合いさせてもらっている山屋さんが酔っぱらいながら言ってました(笑)。ちなみに山屋さんとは、山岳ガイドや強力、山小屋経営などを生業としている方々のことですね。
僕は南極点到達やエベレスト登頂を果たしたわけではありませんが、それでも南極・昭和基地で越冬し、エベレストBCで登山隊をサポートし、まあ、一応極地生活の二極を制覇したと言ってもいいんじゃないかと勝手に思っています。そうなると残るもう一極「北極も制覇したい!」と思うのが男のロマンってやつですよね。
実はさっそく、もう目をつけている場所があるんです。その場所は、北極圏カナダ領のクイーンエリザベス諸島のひとつ「デヴォン島」。世界最大の無人島としても知られるこの島は、宇宙業界の人たちからは「地球の火星」としても知られています。夏に露出する、赤茶け乾燥した剥き出しの大地。島に存在する巨大なクレーター。無人探査機から送られてくる写真の中の火星にそっくりな、そのデヴォン島の条件にNASAが注目し、いまデヴォン島ではHaughton Mars Project(HMP)という有人火星探査のためのトライアルが行われています。僕はこの春にNASAに直接出向き、HMPのプロジェクトリーダーに「僕をデヴォン島に連れていってくれ」と直談判してきました。偶然にもそのプロジェクトリーダーは、フランスの南極観測基地で越冬した経験のあるひとで意気投合し、快く迎え入れてくれました。僕の遠征費は自分で持つことを条件に、この夏のHMPプロジェクトへの参加を許可してもらい話を進めていたのですが、NASA本体の手続きがプロジェクトリーダーが想定していたより複雑で困難だということが分かり、ひとまずこの夏の参加は見送りとなりました。僕自身も遠征費をうまく作ることができず厳しかったという現実もありました。
しかし諦めていません。今後の実現に向けて、HMPプロジェクトリーダーとも話を進めています。ただそこに行くだけではなく、時間はかかりますが、極地居住という形で一緒にプロジェクトに関わっていくことも検討しています。極限環境下での隔離された生活は、決して一般の方々にとっても関係のない世界ではないと僕は思っています。今回の東日本大震災を通して改めてそう感じました。地球環境問題を考えていく上でも、隔離された狭い空間での生活や循環を考えること、そこから学べることは沢山あると思います。このブログを読んで下さり、僕の趣旨に賛同して、もしご協力頂ける方がいらっしゃいましたら是非ご支援のほど、よろしくお願いします。
・・・最後に、冒頭のMars500のクルーたちの写真について。
クルーたちの視線の先にあるものが目に浮かびます。一週間の隔離生活を終えて「閉鎖BOX」の重い扉を開けたとき、外には実験に関わったJAXAの方々がみな集まってくれていて、大きな拍手で僕らを迎えてくれました。長い越冬生活を終えてペリコプターで砕氷艦「しらせ」の甲板に降り立ったとき、船長以下乗組員の皆さんが艦上に一列に並び、大きな拍手で僕らを迎えてくれました。僕はあのときの感動は一生忘れられません。そして例え遠く離れ、長く隔離された生活を送っていても、自分たちだけで生きてきたわけではないのだ、そのことを実感し、自分の勘違いと想像力の乏しさを恥じました。Mars500の520日の生活の中でも、施設内部でも外部との関係の中でも、いろいろな摩擦があったようです。Mars500の扉を開けた6人のクルーたちの、驚きの表情、安堵の表情、喜びの表情、充足の表情、開放された表情、照れくさそうな表情・・・一枚の写真の彼らの表情の中から僕は色々なことを想像し、そしてあの場に立っている彼らを、心から羨ましく思うのです。