Nadegata Instant Party《全児童自動館》  その4

ひきつづき「アーティスト・イン・児童館2011 Nadegata Instant Partyプロジェクト《全児童自動館》」について。「子どもらしさ」を求める視線と「楽しいこと」という壁に囲われる児童館の中高生たち。彼らが子どもや中高生という殻を脱いで「小さな大人」になることで、その抜け穴を通ることができるんじゃないか、という希望をぼくは見ています。

ガチの文化祭ではなく

2010年からの約2年、ぼくもNadegata Instant Partyのメンバーも、放課後の中高生の気ままで不安定な生活に翻弄されながら交流を図り、試行錯誤を続けていきました。「児童館」という彼らの居場所も、言わば「壁」がつくりだす安心感によって守られています。 音楽を楽しみ、ケータイでつながり、1人になりたくない孤独を抱え、健やかにスポーツに興じることも、歓喜することも、塞ぎこむことも、ときには傷つけあうこともある。 めまぐるしく動く彼らの感情に触れる中で構想され、2011年2月末に発表されたプランは、しかし直後の震災を経てその実施をストップしました。この東京という中途半端な被災地の中で、何を立ち上げることができるのか、その判断を保留した数カ月後、プロジェクトの実施を2012年3月に定めます。

2011年12月、ナデガタの言わば熟達した正攻法である「お祭り」「映画」の2つを駆使した枠組みをつくることになりました。12月末の説明会では、なんとなく参加した子たちに「“児童館の文化祭をつくる過程を追ったドキュメンタリー映画を撮る”、という体でみんなには文化祭をつくってほしい」と先に伝え、今関わっている子たちは、なんだかわからないけどそれを了承したうえで「映画」と「文化祭」をつくっています。ナデガタは、震災以後の半分嘘みたいな現実を生きる東京の若者たちとそのリアリティを共有しながら、「映画」と「文化祭」をつくっていきます。

1月25日に書かれた《全児童自動館》の構造

1月25日に書かれた《全児童自動館》の構造

本物の文化祭はステージも演目も模擬店も、たいていのものはロークオリティでD.I.Y、すでにある「楽しいこと」のコピー、パロディでできています。それでもパフォーマンスを見に来るお客さんとして友達や家族がいて、受け入れ合うことで素敵な環と充実した体験ができるのが、文化祭のいいところです。

しかし、今回の「文化祭」はちょっと違います。1つはそれ自体が「ドキュメンタリー映画を撮りたい」というナデガタの希望(=口実)に基づいたもので、本来は無かったものであるということ。ガチの文化祭にたいして、こっちは半分冗談なわけです。もう1つは客層が多岐に渡ること。地域のお祭として遊びに来る子どもたちや中高生、そしてその親や近隣の住民の方もいれば、アーティストの作品として鑑賞しにくる方も、教育系の事例として見学に来る方もいらっしゃるでしょう。そうした方々は、ガチの文化祭で見られるような「立派な」パフォーマンスではなく、全く別のものを期待しているでしょう。

音楽家の安野太郎さんと一緒に曲をつくる高校生、とそれを見る小学生

 音楽家の安野太郎さんと一緒に曲をつくる高校生、とそれを見る小学生

「見えない壁」を使って遊ぼう

「子どもらしさ(あるいは中高生らしさ)」や「楽しいこと」は「見えない壁」となって彼らを囲っている。それは教育という制度や、マーケットというシステムが巧妙に仕組んでいる壁です。その中で彼ら中高生が「楽しいこと」を享受し、「らしさ」に応答することで安心感を得ているのも事実です。文化祭はその安心感を生む仕組みの1つかもしれません。

文化祭と映画の話し合いの風景。話の脱線の連続。

 「文化祭」と「映画」の話し合いの風景。話の脱線の連続。

これに対してナデガタがつくる「文化祭」は、それらの「楽しいこと」や「中高生らしさ」を否定するのではなく、そのまま活かしたり、参照したりしながら別のものに見立てていく”仕組み”をつくりだしていくことでしょう。それは教育の、マーケットの、あるいはメディアが使っている仕組み、ぼくがしきりに言っている「見えない壁」のパロディであるように思います。社会がつくり出した仕組みと、それをパロディ化したナデガタの”仕組み”が拮抗するところで、亀裂が走るのを期待するばかりです。

3月17日(土)の「文化祭」当日は、純粋に楽しい1日になると思います。パフォーマンスとして、あるいは地域のお祭りとして、いろんな楽しみ方があるはずなので、一日いてもあきないはず。 ぼくの想像では、本番中、幾度と無く”中断”が起こります。その時、誰もが知っている文化祭の雰囲気がガラリと変わる瞬間がきっと訪れるはずです。それを見逃さないでください。

中高生にとっては、このプロジェクトに参加したところでメジャーデビューできるわけえでも、賞がもらえるわけでも、受験や就職に有利になるわけでもありません。ぼくは「これが最先端のアートで、君たちはその作品の作り手になったんだよ」などと価値付けをするつもりもありません。児童館での遊びの拡張版だと思ってほしいです。ただ、どうやってナデガタが”仕組み”をつくりだしているのか、そのプロセスを見ておいてほしいなと。そうしてぼくらが囲われている「見えない壁」を使って遊ぶ方法を、次は自分たちで実践してみてほしいというのが今回のプロジェクトに込めたぼくの願いです。

さて、これから10日間、Nadegata Instant Partyが中村児童館での怒涛の制作が始まります。これまで長々と書いてきたようなことも、ひょっとしたら全部覆されるかもしれません。

3月17日、ここに生まれる小さな奇跡をお見逃しなく。

http://zenjido.jidokan.net/

ブロガー:臼井隆志
2012年3月7日 / 11:54

コメントはまだありません

コメントはまだありません。

現在、コメントフォームは閉鎖中です。