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メディア・デバイスが規定する塔体験──「ザ・タワー──都市と塔のものがたり」レビュー

大山顕(住宅都市整理公団総裁)

2012年04月15日号

 東京タワーと東京スカイツリーの大きな違いのひとつは、前者の映像体験が「見上げる」ものであるのに対し後者は「望む」ものである点だと思う。

 イメージセンサのサイズが小さくかつレンズ技術が発達した結果、望遠側が充実したデジカメをみんなが持つようになっているところへ登場したのがスカイツリーだ。日本橋から東の地域、たとえば馬喰町あたりを歩いていると、通りのずっと向こうにスカイツリーがヌッと姿を見せることがあってびっくりする。そして写真に撮る。
 一方、東京タワーのよくある写真はといえば、ほぼ真下から脚のひとつを画面に入れパースを強調したものだ。画像検索で「東京タワー」とググるとそういう絵ばかりがヒットする。
 タワーという象徴性の高い建造物においては、メディアを通して見る体験が占める割合が大きく、現在のような写真を撮ってネット上でシェアする時代にあっては、みんなの手元にあるデバイスが見え方を規定するのではないか、ということだ。
 ところで、ぼくの友人には鉄塔マニアが何人かいる。 ぼく自身は団地マニアなのだが、団地につきものの「塔」といえば給水塔だ。そのほかにも、ぼくは清掃工場の煙突や背の高い立体駐車場など「塔的なもの」を追いかけて写真に収めてきた。正直、スカイツリーにはあまり興味を持てないのだが、もともとこれら塔的なものへの関心と、前述のメディア・デバイスが規定する塔体験の仮説をもっていたので、今回のこの「ザ・タワー──都市と塔の物語」展は楽しみだった。
 東京スカイツリー完成記念特別展と銘打たれたこの展覧会は、プロローグとして塔の起源としてバベルの塔と五重塔などの仏塔の解説から始まる。その後「都市の塔の誕生前史」として「登る塔のない都市・江戸」のパートでは愛宕山にかつてあった「愛宕塔」や、娯楽に特化した富士塚と呼ぶべき「富士山縦覧場」などが解説される。
 そして明治23(1890)年に建てられ、関東大震災で倒壊した浅草の凌雲閣や、大阪の初代通天閣(明治45[1912]年)、そしてエッフェル塔という近代の展望のための塔の誕生の章が、おそらく本展覧会のハイライト部分だろう。かなり多くの資料による解説がなされていた。最後2つの章は昭和の東京タワー、そして現在のスカイツリーについて。
 ぼくにとって本展は期待通り有意義であった。塔というものに関してある一点で深く考えさせられたからだ。それは「塔とは見るためのものなのか、それとも見られるためのものなのか?」というものだ。


左=「東京愛宕山上愛宕館之図」 玉英画 明治23年(1890)5月 大判錦絵 江戸東京博物館蔵
右=「俳優出世冨士登山寿語六」 歌川国貞(3代)画 明治20年(1887) 木版双六 江戸東京博物館蔵

塔からの眺望が描かれない理由

 本展で塔がどのように定義されるのかはぼくにとっていちばんの期待ポイントだった。すると、最初の導入部ではっきりと「近代のタワーは登って眺望するためのもの」とあった。その意味で信仰の対象である仏塔や、ほんらい軍事的監視塔である天守閣はここでは「塔前夜」のものであり、凌雲閣がその最初のひとつであると、とも。なるほど。
 ところが、前述のように凌雲閣が解説されているパートには大量の絵や資料が展示されていたにもかかわらず、そのすべてが凌雲閣を描いたものであってそこからの眺望のものではなかった。この奇妙な矛盾が本展でいちばんぼくの興味を惹いた点だ。
 いや、矛盾ではないのだろう。それは単に眺望の絵はそれだけではどこからのものかがはっきりしないが故に、描いても意味がないというだけなのかもしれない。高所からのビューは地図的になる。描いた者の視点が議論の外になってしまうものだ。


「浅草公園凌雲閣登覧寿語六」 歌川国貞(3代)画 明治23年(1890)11月 木版双六 江戸東京博物館蔵

 それに関連して「登る塔のない都市・江戸」のパートにあった鍬形蕙斎の「江戸一目図屏風」にははっとさせられた。この絵同様、ぼくらが目にする江戸の街を描いた錦絵の多くが、鳥瞰図の体裁をとっていることにあらためて気づいたのだ。塔のない都市で。これはおもしろい。もしかしたら塔がないからこそ描けたのかもしれない。
 凌雲閣からの眺望が描かれなかったもうひとつの理由は、単にコストの問題で、つまりオブジェクトとしての塔を描くのは容易だがそこからのビューを描くというのにはもっと技術と労力を必要とする、ということなのだろう。現に唯一少しだけあった眺望の図は当時の写真絵はがきであった。
 フォトグラファーとしては、このことにも感銘を受けた。フランス人写真家ナダール(1820〜1910年)は、気球に乗ってパリを上空から撮った。写真の黎明期にすでに都市を俯瞰するビューが撮影されているのだ。カメラには高所からの眺望を収めたくなる魔力があるのかもしれない。
 翻って、東京タワーからの眺望についてだが、率直に言うとあれはあまりおもしろいものではない。本展にもあったが、建設当時はいわゆる「百尺規制」によって高いビルがなかったため、その見晴らしは今とはまったく異なっていただろうが(その眺望写真がもっと展示されているべきだと思った)、現在の東京タワーは都内の各高層ビル群との距離・位置関係が中途半端なのだ。六本木ヒルズの展望台のほうがましなように思う。
 そして東京スカイツリーからの眺望だ。事業関係者であり、すでに展望室に登ってみたという友人曰く「Google mapみたいだったよ」。どうやら高すぎて鳥瞰というよりは航空写真のように見えるらしい。それにしても「メディア・デバイスが規定する」という点からすると、Google map登場前だったら彼ももっと感動のコメントをしただろうになあ、と思ったものだ。ぼくらははあまりに航空写真を見慣れすぎてしまった。
 いまもっとも面白い「タワーからの眺望」は東雲あたりのタワーマンションからのそれだと思う。鳥瞰はプライベートなものになってしまったようだ。


「寒月を背に大東京の夜空に輝く東京タワーを麻布の高台より仰ぐ」 日本電波塔株式会社発行 昭和33年頃 絵葉書 江戸東京博物館蔵 

塔は「登って眺望するためのもの」なのか?

 鉄塔にしろ給水塔にしろ、ぼくのようなマニアがこれらのものに熱中するそのやりかたはあくまで「見るものとしての塔」であるということに気がついたのは、本展を見ての大きな収穫であった。これらの「塔」には登れないのだから当然ではないか、と言われるかもしれないが、そうではなくて、マニアが持つ偏愛の根っこにはやはり「収集する」という心性があってそれはあくまでまずオブジェクトとして愛でるということなのだ。
 それにしても、ほんとうに塔は「登って眺望するためのもの」と定義されていいのだろうか。ランドマークという言葉も使われていたように、やはり塔を眺めて愛でる視線についてももっと考えてもよかったのではないだろうか。そこから眺めるとことそれ自体が眺められることとの狭間に立っているのが塔というものではないかと思うのだ。
 江戸東京博物館を訪れたのは久しぶりだったので、ついでに常設展も見たのだが、そこでぼくはとあることに気がついた。なーんだ、やっぱり江戸にも「塔」はあるじゃないか。富士山だ。
 たくさんの錦絵に描かれている富士山は、やがて高層ビル群によって見えなくなった。ちょうどそのころできたのが東京タワーだ。あれは昭和の富士山なのだ。言われてみれば富士山を縦に細長くしたような形をしている。そしてさらにビル群が増し、その東京タワーも足下から見上げられるようになった今、こんどは東京スカイツリーが完成した。あれは現在の富士山になれるだろうか。デザイン的には「富士山度」が足りなすぎるように思うが。

ザ・タワー──都市と塔のものがたり(東京スカイツリー完成記念特別展)

会期:2012年2月21日(火)〜5月6日(日)
会場:江戸東京博物館
東京都墨田区横綱1-4-1/Tel. 03-3626-9974

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