フォーカス
ファッションの現在系──日本の若手デザイナーによるいくつかの試み
蘆田裕史(批評家、キュレーター)
2012年05月15日号
シリーズ「××の現在系」。日本のファッション、音楽、映像、身体表現等は、いま、どのように見ることが可能か。さまざまなシーンの動向や課題を探ります。今号より1ジャンルずつ連続掲載予定。初回はファッションについて。[artscape編集部]
ファストファッション──近代ファッションの帰結
ファッションと美術はしばしば比較され、また、その違いを強調されもする。たとえば、いわゆるファッション業界にいる人たちの多くは「ファッションはビジネスであり、美術とは違う」と言う。もちろん、ファッションと美術はそれぞれ固有の歴史を抱え、作品の様態も違うため、両者が同じものではないという意見には何の異論もない。だが、ファッションがビジネスであって美術がそうではないというのは当を得た見解とは言い難いだろう。美術家がパトロンの庇護下で作品を制作していた時代ならともかく、現代においては美術もやはり市場の論理に支配されるビジネスでもあり、美術家自身も作品を売って生計を立てていかねばならないことは言わずもがなである(これは作品を見るときに市場的価値を考慮に入れないといけないというわけではもちろんない)。だが、両者のビジネスの方法論の違いとして、ファッションの場合は美術と異なり、マスを相手にしたビジネスが可能なジャンルであると言うことはできるだろう。そのもっともわかりやすい形態として、ファストファッションがある。
19世紀後半に生まれたオートクチュール(高級仕立服)と呼ばれるシステムは1960年代から翳りを見せ、プレタポルテ(高級既製服)に取って代わられるようになった。その頃、オートクチュールのメゾンのなかにもプレタポルテのブランドを始めるところが現われる。また、それ以降もライセンス・ビジネスを始めたり、ディフュージョンライン(セカンドライン)と呼ばれる、より低価格のラインをつくったりするブランドが増加の一途をたどることとなる。つまり、王侯貴族やブルジョワジーのものだった高級仕立服が既製服へと移り変わり、されには価格を落とすことで、マスをも対象とすることになったのだ。そう考えると、オートクチュールに始まる近代ファッションの帰結がファストファッションであることは容易に理解されるであろう。
「ブランド名」と「デザイナー名」の不一致
だが、現在の日本のファッションに目を向けてみれば、ファストファッションへ至る歴史と逆向きの方向性を持ったブランドが現われており、しかもそれは欧米の状況とはやや異なるように思われる。
20世紀には記号としてのブランド消費というあり方がピークを迎えたが、そのブランドがますます記号化していくという事態が起きている。すなわち、ブランド名とデザイナー名の不一致である。たとえばMAISON MARTIN MARGIELAやHELMUT LANGなど、創業者がまだ存命であるにもかかわらず、ブランドから去ることとなり、他人がデザイナーを務めるという例が少なからずある。創業者がすでに亡くなったブランドは別として、以前はブランド名=デザイナー名であったが、デザイナーが変わるというのは、ブランドの記号化が促進されたと考えることができるだろう。老舗ブランドであるLeonardのデザイナーに20代のマキシム・シモアンスが抜擢されたことからもわかるように、若手のデザイナーもやはり巨大なファッション・システムにからめとられている。しかしながら、日本においては、記号化されたファッションではなく、むしろ衣服それ自体に真摯に取り組む若手デザイナーが増えているように感じられる。ここでは三つほどその特徴をスケッチしてみたい。
生産者が見える服
まずはじめに、衣服への物語性の付与がある。たとえばASEEDONCLÖUDの玉井健太郎は、各コレクションにおいてひとつの職業──服を育てる服育師や、旅をしながら街をつくる街作家といった──を設定し、その人の服にはどのような機能が備わっているか、あるいは彼/彼女はどのようなライフスタイルを持っているかなどを考え、それらを服に反映させる[図1]。FUGAHUMの三嶋章義と山本亜須香は、ブランド名と同名の架空の国を設定し、その国におけるひとつの側面を各コレクションで表現している。
このような物語を設定するやり方は、ファストファッションの対極にあるものである。ファストファッションはその制作過程において、効率をもっとも重視するため、不必要な要素は可能なかぎり削ぎ落とされる。つまり、衣服のもつ情報量がきわめて少ないのだ。その反動とは言えないまでも、日本のハイ・ファッションにおいては衣服の背後にある物語を膨らませるほうに向かっていると言える。
ASEEDONCLÖUDやFUGAHUMの例では文字通りの物語が問題となっているが、ここで言う「物語」はそれだけにとどまらず、もっと広い意味を込めて衣服に含まれる「情報」と言い換えることもできる。表面に現われていなくとも、生産プロセスなどの情報はたしかに衣服の背後にある。一部のファストファッションのメーカーでは発展途上国での低賃金労働など、倫理的な問題をはらんでいることもあり、この情報はメーカーによって可視化されることはない。そうした問題を解決したエシカルファッションというジャンルが普及しつつあるが、玉井ら現代のデザイナーはそれをこれ見よがしに標榜することなく、むしろ自然なスタイルとして取り組んでいる。再度食べ物の例を出すのなら、近年、野菜や肉などの食材にしばしば生産者が明示されているが、それと同様に生産者が見える服が目指されていると言えよう。
地方からの発信
次に、東京に一極集中しがちだったデザイナーが、地方に活動の拠点を据えはじめていることも興味深い点である。その筆頭がEatable of Many Ordersの新居幸治・洋子であろう。熱海を拠点とする彼らは、これまで東京やパリといった各国の中心地で行なわれるのが通例であったファッションショーをも熱海で行ない、しかも、その際に地元の住民にモデルを依頼したりし、完全に地元のコミュニティに溶け込んでいる[図2]。その一方で、展示会は東京やパリでも行なうなど、地元のみにとどまることなく世界を視野に入れてもいる。新居以外にもPOTTOの山本哲也(2011年に岡山に移住)やproefの斎藤愛美と五十嵐勝大(2012年に大阪に移住)など、地方へと拠点を移すデザイナーが増えるなか、今後、彼らのようなデザイナーによって地方発信のあり方が模索されれば、日本のファッション・システムが作り替えられる可能性があるだろう。
隣接領域での活動
最後の特徴は、他への換喩的な侵入である。例えば、色鮮やかな刺繍をワンピースドレスやバッグなどに施すsinaの有本ゆみこは、keisuke kandaやwrittenafterwardsといった他のブランドの作品に刺繍を加えることによって、そこに自らの存在を滑り込ませる[図3]。また、彼女はファッションから離れ、女の子や食べ物の刺繍それ自体を作品として成立させてもいる。あるいはポップな柄のプリントを得意とするmintdesignsの勝井北斗と八木奈央がグラフィックデザインの仕事をしていたり、ASEEDONCLÖUDの玉井がseedsという種を使った震災復興プロジェクトに携わっていたり──ASEEDONCLÖUDというブランド名は幼少期につくった絵本『くもにのったたね』(A seed on cloud)に由来し、商品のタグに種が付属している──と、彼らは一歩ずつ足を踏み入れるようにして、隣接領域へと入っていく。彼らは、1990年代から2000年代のファッションデザイナーのように、服と何の関係もない映像作品や美術作品をつくったりするような跳躍はしないのだ。
上で述べたような特徴はもちろん、現在のファッションの一側面でしかない。だが、今後のファッションがどこに向かっていくのか、あるいはどこに向かうべきなのか、そのひとつの方向性を指し示しているのではないだろうか。