2022年10月01日号
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フォーカス

躊躇う時間 / Time of Hesitation

松原慈

2012年08月01日号

物事の最初の方


“Structural-Response 1”, Serge Alain Nitegeka, Galerie Le Manège (Institut Français)

 ビエンナーレ初日、月が高くなった頃、その日の最後の集合場所Institut Françaisのギャラリーをセルジュ・アラン・ニテゲカが漆黒の障害物で埋める。障害物は建物の外部へ飛び出し人を誘い込み、内部で隅々まで容赦なく伸び人を追い出す。そのループに絡まって何周かするうちに、夜が更け、人の数が増え、人々の足が止まる。建物の外に男女が留まり笑い合い、さっきまでの障害物は、残骸のようになる。重なって伸びる絡まった黒い線は、眺める存在になり、過去のことになる。

 人けのない深夜のダカール中心街。影絵のように細長いシルエットが、パイプの煙をくゆらせながら、車道の中央を歩く。丸眼鏡のサングラスにベレー帽。詩を読むように、スローなテンポで、踊るような足取りで散歩する紳士。おどけたように、時々私たちに、歩道を歩くよう促す。友人が「彼がイサ・サムだと思う」と言う。イサ・サムって誰? と訊ねると、友人は「セネガルで一番有名なアーティスト」と耳打ちする。
 その前の晩、私はダカールで出会ったほぼ唯一の日本人、『アフリカの同時代美術』を著された川口幸也先生の誘いで、ある美しい庭へ迷い込んでいた。細い路地を抜けた中庭に、古い洋服やあらゆる生活に関わる品々が浮いている。木々も、紐にかけられた古い品々も、描きかけのキャンヴァスも、全部生き物のようにその庭に生息している。どんなものにも居場所が与えられた完璧なインスタレーション。それがイサ・サムの庭だった。
 この庭に息づく生息物は、時々標本箱に入れられ大陸を渡るだろうが、手折られたとき寿命は縮んでしまうだろう。


Issa Samb aka Joe Ouakam’s Garden

 標本の概念が一部分を観察目的で取り出し一定の保存状態に保つことなら、標本化への抵抗は、ある特定の場で流れ続ける時間を生み出すこと。ダカールの今を象徴していたひとつの場所と、ひとつの世界遺産。



Raw Material Company, “Making Douala 2007-2013”:

 ディレクターのコーヨー・クオーは、この会場のほか、離れた地区にある旧ビスケット工場を改装したLa Biscuiterieで“Chronique d’une Révolte / Chronicle of a Revolt” を展示し、広大なスペースすべての壁を、2011年にダカールで起こった反政府運動のドキュメント写真にディディケートした。このデモ活動は2011年1月にジャーナリスト、詩人、ラップミュージシャンなどの個人が発した抗議活動として始まり拡大した。運動は、結果的に2012年3月のセネガル大統領選挙を平和裡に導いたとされている。



Gorée Island:

 ダカール列車駅横の船着場からフェリーで20分のゴレ島。ここでは、コンテンポラリー・アートは影を潜め、否応なく奴隷貿易の歴史について学ぶことになる。大西洋の水平線を景色にもつ小さな島には世界中から人が訪れる。私が経験として知り得ないアフリカの歴史は、残された建物やその表面に残る痣、景色の切り取られ方で、何の準備もない身体にも不意に流れ込んでくる。古いものも新しいものも身体を通して経験されるとき同時である。旅行者の自由は、ただ通りかかること、そして、立ち去ること。けれど、西洋とアフリカ、アジアとアフリカ、線引きをして移動しているうち、通りがかりの身体に記憶が宿り始め、新しい物の見方が育ち始め、次第にお互い立ち去ることは難しくなるだろう。



 旅に終わりがあるように、この文章がいったいどう終わるのか考え出し、記憶は6年前にさかのぼる。森美術館で開催されたアフリカ・リミックス展のレビューを書いたとき、最後はこうくくられた。
 《次の表現は、異質なものどうしの共存への、さらに具体的な一歩になるはずで、張りつめた期待感が頭をよぎった。それは、ルーツが淡白な人間にとっても、ものを作るのに、一番面白い時代になるという予感でもある。その淡い予感に背中を押され、この展覧会に、次の時代を導く新しいルールを探す。どうやら物事は、順番に起こっているようだし、今は、21世紀なのだし!》★2


Momentum, Marwa Adel © Biennale de Dakar

 物事は順番に起こる、本当に? 本当に。
 ややこしいのは、順番の最初の方で起こっていることが多くの場合、よく見えないこと。それは、物事が起こっていないからではなくて、物事を見る方の目の焦点が合わないために、見えないのだ。空港で長いパスポートの列に並んでいると、たまに、隣の空っぽのカウンターに別の係員がやってきて、唐突に窓を開けたりする。見た瞬間に何が起こっているのかを察して、すぐに列を移る人もいるけれど、多くの人が、すぐにはそちらの方向を向かないか、見ていても10秒くらいは目をこすってばかりで新しいカウンターの出現を信用しない。新しい経路が出現して躊躇う時間が生まれる。ほんの5秒10秒の話。このあと、その列には周りと同じように人が並ぶことになり、結局《物事の最初の方》というのは、一瞬でよくわからなくなる。

 事の始まりは、はなはだ儚く、確実に存在している。
 カイロのタハリール広場をとらえたマルワ・アデルの写真作品が、言い得て妙、そして、妖艶。
 毒は夢の香りで周到に、誘う先は物事の兆し。



★2──アフリカ・リミックス:多様化するアフリカの現代美術 レビュー:
http://www.tokyoartbeat.com/tablog/entries.ja/2006/05/post_49.html

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