フォーカス
事故の発明、旅の発明──可能性としてのツーリズム
暮沢剛巳(美術批評、東京工科大学デザイン学部准教授)
2013年09月15日号
観光というと、従来は気楽な物見遊山が連想されることが常だった。しかし近年では、馴染みのない土地を訪れ、日常とは異質な経験を通じて何かを学ぶという目的に基づいた新しいタイプの観光が提唱されている。例としてグリーンツーリズム、ヘルスツーリズム、メディカルツーリズムなどが挙げられるが、今回まず注目してみたいのがダークツーリズムだ。
『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』
これは、1990年代以降に提唱された比較的新しい概念で、戦争や災害など、人間にとってはつらい体験を学びの対象とし、古戦場や戦争遺跡、災害の被災地などを訪れる観光のことを指す。広島の原爆ドームやアウシュヴィッツ=ビルケナウの強制収容所などは以前から有名だったが、近年はさらに新たな観光スポットの開発が進められている。
その意味では、『チェルノブイリ・ダークツーリズム・ガイド』と銘打った本書は、密かなブームを呼びつつあるダークツーリズムに棹さす一冊である。言うまでもなく、チェルノブイリとは1986年4月26日に大規模な爆発事故を起こした原子力発電所の所在する土地の名前である。多量の放射性物質をまきちらし、広域な土地や多くの人々に被害を及ぼしたあの悲惨な原発事故は発生から27年経過した現在も記憶に鮮明だが、旧ソ連のウクライナという日本と馴染みの薄い国で起こった事故でもあり、原発事故後のチェルノブイリについて詳しく知る人は決して多くはなかった。本書の第一部では、現在のチェルノブイリがダークツーリズムのメッカとして賑わいを見せ、多くの観光客が押し寄せている事実が、多くの見どころや細かな関連情報を交えて詳しく紹介されている。
もっとも、観光ガイドそのものといった感じの第一部とは対照的に、「取材」編と銘打った第二部は、立ち入り禁止区域庁副長官や博物館副館長、NPO代表といった要職者へのインタビューや観光地化するチェルノブイリの現状を考察した論考によって構成されるなど、俄然ルポルタージュ的な色彩が強くなる。これは、編者の東浩紀をはじめとする本書の執筆陣が、チェルノブイリに福島の姿を重ね合わせているからに相違ない。2011年3月11日の東日本大震災に起因する福島第一原発事故は発生から約2年半が経過した現在も、汚染水の漏出をはじめとするさまざまな問題に直面している。福島原発事故とチェルノブイリ事故はともにレベル7の大惨事であり、本書に採録されているさまざまなデータは、この二つの大事故が他にも多くの点で共通していることを示している。はたしていまから四半世紀後の福島原発周辺が、ダークツーリズムの対象として観光地化されているのかどうかは予見できないが、現在のチェルノブイリの事例に学ぶべき点が少なくないのは間違いない。「今後原子力を推進するにせよ放棄するにせよ、とりあえずは事故の記憶だけは失わないようにせねばなりません」という巻頭文の一言は、けだし至言であると言えよう。
コンテンツツーリズム
他方、ダークツーリズムとはまた異なる学びの機会を提供する観光の形態として注目されているのがコンテンツツーリズムである。これは、物語の舞台となった土地を訪ねて回る旅行の総称であり、映画やテレビドラマのロケ地回りを例にとれば、コンテンツツーリズムの観点からは、各地の舞台を訪ねて回るファンの立場と、観光客の誘致に取り組む自治体や商工会議所の立場の双方向から考えることが求められる。その点で、特に注目に値するのが「聖地巡礼」と呼ばれる社会現象である。これは特に熱狂的なファンが多い作品のロケ地回りに対して言われることなのだが、実はその大半を占めるのがアニメ作品である。日ごろアニメを見ない人には、実写でもない作品の舞台に多くの観光客が押し寄せるという事態は俄かには信じがたいかもしれないが、実在の土地を舞台に綿密なロケハンを行ない、その地域とのタイアップによって作品の知名度の向上を図る手法は、近年のアニメ業界でしばしば試みられている。霊験あらたかな場所を訪ねるという本来の意味とは全く異質な「聖地巡礼」の興隆にも、コンテンツツーリズムの浸透ぶりをうかがうことができるだろう。
そしてもちろん、今まで述べてきた新しい観光の形態のなかにはアートツーリズムも含まれる。都市部の美術館やギャラリーを訪ねる行為として発達してきた経緯もあり、従来美術鑑賞はツアーのイメージからは程遠く、海外旅行のプログラムの一部という程度にしか認識されていなかった。だが近年では、国語辞典にも「美術館などの展示施設や,野外彫刻などの芸術作品を巡ることで,地域の文化に触れる観光活動」(『大辞林』第三版)というアートツーリズムの定義が掲載されるなど、従来とは違う美術鑑賞のあり方が定着しつつある。
アートツーリズム──「瀬戸内国際芸術祭」「あいちトリエンナーレ」
「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」や「瀬戸内国際芸術祭」が代表格だが、近年の日本では、アートは都市の美術館で観るものという常識を逆手にとった、地方の里山や離島を舞台とした大規模な国際展が開催され、多くの観光客を集めるようになった。上記のアートツーリズムの定義から、多くの人々が真っ先に連想するのもこれらの国際展に違いない。
現在秋季の開幕を控えた瀬戸内国際芸術祭を例に取ってみよう。会場となっているのは瀬戸内海に浮かぶ約10の離島であり、本州や四国とこれらの島々を結んでいるフェリーがほぼ唯一の交通手段である。芸術祭を訪れた観光客は、フェリーを乗り継いで島を渡り歩き、各々の島に設置されている目当ての作品を訪ねて回るのだが、これらの作品の大半は屋外に、もしくは地元の民家のなかに設置されており、作品を取り巻く環境は無機質な壁によって外部から遮断されたホワイトキューブからは大きく異なっているばかりか、作品鑑賞と同時に、それぞれの地域の名産、物産(たとえば小豆島であれば醤油、オリーブ、そうめんなど)も楽しむことができる趣向となっているわけだ。
もちろん、自然豊かな里山や離島ばかりでなく、多くのビルが密集した都市空間も、ホワイトキューブの外に広く作品を展開すれば、新たなツアーの対象となり得るだろう。その格好の事例として挙げられるのが、現在第2回目が開催中の「あいちトリエンナーレ」である。2010年に開催された第1回では、「都市の祝祭」をテーマに掲げ、愛知県美術館や名古屋市美術館といった専用施設のホワイトキューブと、伝統的な繊維街である長者町地区の古い商店や民家を活用した多角的な展示が行われた。今回はそうした前回の枠組みを維持しつつ、新たに岡崎市も会場に加え、名古屋とはまたタイプの異なる作品が設置された。特に市の中心部の商用ビルである「シビコ」では、地元出身で、しかも東日本大震災に被災した経験を持つ志賀理江子の「螺旋階段」をはじめとする興味深い展示が試みられていた。開幕直後の愛知は40度近い猛暑で、会場をめぐっている最中に意識がもうろうとすることもあったが、あるいはこうした過酷な体験もまた、日常とは異質な環境から何かを学ぶ旅の1コマなのかもしれない。
そう言えば、今回のあいちトリエンナーレのテーマは「揺れる大地」という東日本大震災を強く意識したものであったことを唐突に思い出した。この未曽有の災害が貴重な先例ともいうべきチェルノブイリの原発事故に注目したダークツーリズムの企画に直結していることはすでに述べた通りだし、あるいは近い将来、本来の意味とも近年の社会現象とも異なる、被災地を対象とした「聖地巡礼」が生まれる可能性も十分に考えられる。とすれば、それが多くの観光客を動員する国際展の着想源となったことは、別段驚くことでも何でもない。「新たなテクノロジーを発明することは新たな事故を発明することである」と述べたのはポール・ヴィリリオだが、誤解を恐れずに言えば、その一文は「新たな事故を発明することは新たな旅を発明することである」と読み替えることができるのではないか。いずれにせよ、旅を学びの機会として考えるとき、先の震災が多くの示唆を与えてくれることは確かであるように思う。