フォーカス

市民の、市民による、市民のためのアート
バーゼルのケーススタディ

木村浩之

2013年10月01日号

パブリック・スペースとアート・イベント

 クレディ・スイス銀行バーゼル支店は、数年間にわたり季節限定のパブリック・アート・プロジェクトに建物のファサードを貸していた。クラウス・リットマンが仕掛けた、「ディスプレイ・ウインドウ・プロジェクト」(2002、2003、2004年)だ。イギリス人アーティストのジェラルド・ライングとピーター・フィリップスが「ランダム」に選んだ12色のコンビネーションに建物を塗り替えるというプロジェクトだった。旧市街と18世紀の新市街の境目にあり、歴史的環境保護区域にあたるため、古い建物の外装変更は不可、新しいものはがんじがらめの規制内のみで建設可という場所だ。たまたまクレディ・スイスの建物は規制が厳しくなる前(おそらく70年代)に建てられたガラスビルで、歴史的建造物に囲まれ違和感をかもし出している。そこへ強い色彩のレイヤーがかぶせられることで、建物自体は背景へと沈み、その場をまったく異なった祝祭的な雰囲気へと変貌させていた。
 アート・バーゼルにも出展するほどのギャラリストだったクラウス・リットマンは、2000年台にギャラリースペースを閉じ、パブリック・アート・プロジェクトへとフィールドを移す。建物のファサードだったり、公道だったり、あるいは大改修前の歴史的建築物だったりと、メディウムは変えつつも、毎回複数のアーティストにコミッションを与え、期間限定のプロジェクトを、公共空間にて実現している。
 2002年、まだ現在ほど知られていなかった西野達の「Engel 天使」プロジェクトをプロデュースしたのも彼だ。それは、バーゼル大聖堂の屋根の頂上にある天使像を取り囲むように部屋を作成するインスタレーションで、現在の西野作品に多く見られる手法のものだが、歴代の作品のなかでも、おそらく最も地面から離れた高所にあるものなのではないだろうか。そして、高さだけでない。プロテスタントながらも大聖堂の屋根の上だ。許可を得る難易度も相当高かったに違いない。このプロジェクトの実現で、リットマン・カルチャー・プロジェクトは、バーゼルの一般市民のあいだでも広く認知されることになった。
 2013年のリットマンのプロジェクト「Skultur II」は、バーゼル市内のある公園に期間限定でアート作品を設置するというものだ。鉄、ブロンズ、コンクリートなど、主に全天候型のものを中心に20作品以上を設置している。構図としては、数ある屋外彫刻美術館などと似ているため、建物のファサードを覆ったりした過去のプロジェクトと比較すると、法規・消防・安全・防犯面などのあらゆる点で難易度は低いように思われる。しかし、それでも役所、特に市の公園課との協議・許可申請などの準備に1年半を要したという(ちなみにSkulturというタイトルは、Skulptur[彫刻]とStadt・Kultur[都市・文化]を掛けたものと思われる。またIIは以前にも同名のパブリックスペースでの彫刻プロジェクトがあったため。内容は異なる)。
 例えば、公園の中央に設置されているキース・へリングの鋳鉄の作品は、重さ10トン以上あり、高さも数メートルある。子どもが登っても安全か、強風で倒れないか、スプレーなどいたずらはされないかなどの運営上の安全確保のために多くの時間が費やされた。それに加えさまざまな技術面──木々に囲まれた公園の内側に設置するために、まずクレーンをどのように、どのルートで搬入するか、その場合の樹木・芝の保護、そしてこの重たい作品を安定させるための数メートルの深さの基礎の工法、構造計算書の確認、工事車両の通行、そしてそのすべての撤去・現状復帰方法など──も一つひとつ念入りにバーゼル市当局と協議・確認し、認可を得ていったという。


「Skultur II」 キース・ヘリング 《無題(Head Through Belly)》(1997)
スウェーデン発のゲーム「クッブKUBB」の第10回スイス・オープン大会がこの公園で開催される直前とあり、クッブに耽っているグループを多く見かけた[著者撮影]


「Skultur II」 ベルンハルト・ルジンブール《ベテルギウス巨像 Dickfigur Beteigeuze》(1996)
期間中常設の15作品に加え、イベント・ハプニング的に短期間のみ設置された作品もある。厳密にはアート作品ではないが、中国製のフェイク戦闘機(風船)も、この公園が戦時非常事態には飛行機の離着陸が出来る場所として確保されていた(実際には使われていない)ということを受けて2日だけ設置された。他、オノ・ヨーコの『ウイッシュ・ツリー』も既存の樹木を利用して、彼女の参加のもとで短期間行なわれている[著者撮影]


「Skultur II」 ヨハネス・ブルス《2頭の馬 Zwei Pferde》(2007)
手前のキース・へリングの作品とともに、このコンクリート製の馬は子どもに大人気。リットマン氏いわく、意図的に破壊されたり、スプレーされたりといったことはいままで起きていないという[著者撮影]

宝くじとアート

 バーゼル市当局に加えて、リットマンにとって重要なパートナーは、スイス宝くじ基金だ。
 市当局が認可に「協力的に」(リットマン氏)かかわる一方で、スイス宝くじ基金は、資金面でのバックアップを行なっている。
 スイス宝くじも、日本宝くじ協会同様に、利潤を利用してさまざまな社会貢献を行なうことを目的としている。ただ、日本宝くじ協会の主な貢献対象分野は社会福祉・健康であって、文化・美術分野はあまり多くない。そのため、スイス宝くじ基金にとって主な社会貢献分野が文化・芸術だということが、日本人には意外に映るかもしれない。実に、スイス宝くじ基金では年間300億円以上の額にのぼる支援総額の約半分が文化・芸術に充てられている(バーゼル市では総額約11億円のうち約5億円)。
 スイス宝くじ基金ではプロジェクト単位で資金援助が得られるようになっているようだが、リットマン氏はそこのいわば大口常連で、彼がバーゼル市で行なっている大きなパブリック・アート・プロジェクトの大半に対してスイス宝くじ基金から毎回のように千万円単位の資金援助を受けている。
 この資金は、税金とも寄付とも異なるが、無数の市民が「共有の目的に使われる」(スイス宝くじ基金)という合意のもとに集めた、市民の意思の表われと考えてよいだろう。
 こうしてリットマン下でのパブリック・アートの「パブリック」にはもはや「官製」のニュアンスも、さらには一部の裕福層だけ──ノブレス・オブリージュ──のニュアンスもない。こうして市民一般というその語のもつ最も狭義の意味合いにおけるパブリック・アートの可能性を示していると言えるだろう。

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