フォーカス
ベトナム大都市の現在──写真集『ホーチミン・メガシティ』
岩元真明
2014年04月01日号
2014年2月、写真集『ホーチミン・メガシティ(原題:TP. Hồ Chí Minh: MEGA City Photo Book)』
が出版された。急速な経済発展と近代化を遂げつつあるベトナムは投資・観光・文化など各方面から注目を集めているが、その都市や建築の現在を描いた書物は驚くほど少ない。ドイツの研究者たちを中心として制作された『ホーチミン・メガシティ』は、600点を超える豊富な写真を通してベトナム最大の都市ホーチミン市の現状を生き生きと伝える極めて貴重なドキュメントである。
あらゆる差異をのみ込む「ジェネリック・シティ」
ベトナムのとある建設現場を眺めてみよう。石膏ボードはフランス生まれ、プラスチックのサッシはドイツ製で、洗面台と便器はアメリカン・スタンダード。照明は中国製でセキュリティシステムは台湾製。ペンキは日本製でフローリングはラオスから。スイス生まれのグラウト(補修材)、SIKAは、現場のミスを繕うマジックワードだ。竣工後には、人々は四種類のコンセント規格(A, C, BF, SE)に悩ませられることになるだろう。
2年間外国人としてホーチミン市に暮らし、ベトナムでの建築設計に携わった。しかし、私にはいまだに都市と建築にベトナムの固有性と呼べるものがあるのかわからない。ホーチミン市の特徴を説明するにふさわしい言葉が見つからないのだ。それほど、この都市では輸入品や海外生まれの技術とイメージが混ざり合っている。歴史的に見て、ホーチミン市ほど劇的な近代を体験した都市はほかに少ないだろう。中国の影響を色濃く受けた東アジア的な中世都市にはじまり、サイゴンと呼ばれたフランス植民地時代を経て、1975年まではアメリカの傀儡政権の支配化におかれ、それ以後はソヴィエトの影響が強い状態が続いた。1986年のドイモイ(開放政策)以後は、グローバル経済の奔流にのみ込まれ、急速な都市化を経験している。ホーチミン市の一見カオス的な相貌は、東洋趣味、中国的風水、フランス植民都市、アメリカ的近代、共産主義体制、金融資本主義などの近代のあらゆるイズムのショーケースなのである。現代建築家レム・コールハースは20世紀後半に生まれた新興都市を「ジェネリック・シティ」と呼び、それがあらゆる差異をのみ込み全体としては没個性的な「無印の」都市であると考えた。ホーチミン市はまさにこのような「ジェネリック・シティ」の典型と呼べるかもしれない。
『ホーチミン・メガシティ』は、この一見すると捉えどころのないこのような大都市を即物的に映し出し、そこにアイデンティティを見出そうとする意欲的な写真集である。著者のミヒャエル・ヴァイベルとヘニッヒ・ヒルベルトはドイツ人の研究者であり、「メガシティ・グループ」というドイツ政府の支援を受けた学際的ワーキンググループに属している。発足からすでに6年、グループはホーチミン市を来たるべき重要なメガシティ
ホーチミン市の可能性──熱帯的寛容さと雑食性
2006年から2013年に撮影された600枚を超える写真は、ホーチミン市のさまざまな風景を極めて包括的に捉えている。ヘム(Hem)と呼ばれる伝統的な路地の些細な日常から、高層マンションが林立する開発の光景まで。バイクのひしめく街路から、新たに建設された伸びやかな高速道路まで。高級ブランドのビルボードの足下では肉体労働者たちが身体を休めている。ここでは対比的な風景が意図的に選ばれており、ヒルベルトはこの「対比」こそがホーチミン市のアイデンティティであり、魅力であると結論する。「ホーチミン市の魅力とは対比的な物事の共存である。フォーの屋台がファストフード店の正面で商売をしていると思えば、セダンがバイクの間を縫うように走り抜けている。古い建物のファサードは派手なビルボードで覆われている。究極的に言えば、ホーチミン市は古さと新さ、豊かさと貧しさ、即興と構想から出来ているのだ」。
確かに数々の写真はヒルベルトが見出した「対比」を生き生きと描き出している。しかし、対比が生む混乱こそがホーチミン市独特のアイデンティティかと言われると疑問が残る。本書に散見されるカオスという言葉は、急速に発展するアジア都市を描写する際の常套句であり、何十年も前から東京や香港などを描写するために使い回されてきた。しかし、1990年代以降、アジアの大都市ではラフなストリートライフがスムーズな現代生活に置き換わり対比は薄れていった。シンガポールはその典型であり、ホーチミン市もまた多かれ少なかれ同様の路線をたどりつつある。本書で見出された対比は写真で切り取られた一瞬の出来事であり、その意味では都市の持続的なアイデンティティというよりも時代の一断面と呼ぶ方がふさわしいように思われる。
むしろ、ホーチミン市のアイデンティティは対比そのものにあるのではなく、どこよりも寛容に対比を許容する雑食性にあるのではないだろうか。ホーチミン市は諸外国で生まれたさまざまなコンセプトや技術、イメージを南国的なこだわりのなさをもって受容し続け、それらを地層のように積み重ねてきた。言い換えれば、グローバリゼーションの究極の受け皿であり続けてきたのだ。このようなホーチミン市の寛容さを場当たり的と切り捨てるのはやさしいが、そこにはジェネリック・シティから逸脱する都市像の萌芽が潜んでいるかもしれない。目先の対比のみに注目するのではなく、その深層にある熱帯的な寛恕の精神に新たな可能性を見出すことはできないか。『ホーチミン・メガシティ』に続くさらなる研究が望まれる。