フォーカス
新ホイットニー美術館 2015年春華麗にリニューアルオープン
梁瀬薫
2015年08月01日号
「美術館とはシカゴの郊外で育ったような私だけでなく、一般の子どもたちにとってもあまり縁のない場所でした。何か特別な人のためにだけにあるような敷居の高い場所だったのです。本当は違います。どんなバックグラウンドの人にも美術館はあるべきなのです。私たちはホワイトハウスをできるだけ多くの人に解放しようと試みました。ホワイトハウスは政治家だけのためにあるのではないのと同じように、美術館は一般大衆のためにもあるべきなのです。ホイットニー美術館のようにすべての美術館が青少年に開放してもらえるよう願っています。アメリカは他の国にはない複雑な背景と社会問題を抱えています。ホイットニー美術館が提示するアメリカのアートは、美術を通して私たちに多くの質問を投げかけてくれます。個々が抱えるストーリーが作品の一部になるのです。アートは何かひらめきを与えてくれます。作品からヒントを得て、次のオバマ大統領が現われるかもしれないのです。アートは私たちが人間であるということを立証してくれるのです」
──ミシェル・オバマ 2015年4月30日 開館記念式典にて
歴史
ホイットニー美術館は、その正式名称「ザ・ホイットニー・ミュージアム・オブ・アメリカンアート」のとおり、設立当初からアメリカ美術を収集し、近・現代アメリカ美術史に貢献している美術館だ。アメリカ在住の若手やあまり知られていない作家を2年ごとに選出して紹介するホイットニー・バイエニアルは、世界のアートシーンでも重要なアートの祭典として知られる。
美術館の創設者ガートルード・ヴァンダービルト・ホイットニー(1875-1942)は20世紀はじめ、パリのモンマルトルでアートと出会い、ロダンに師事して彫刻を学んだアーティストでもある。鉄道王コーネリアス一世の曾孫にあたるホイットニー夫人は裕福な銀行家と結婚し、早くからアメリカの若手作家の作品を蒐集するようになる。1914年マンハッタンのグリニッジヴィレッジにホイットニー・スタジオ・クラブを開き、駆け出しの若手作家や展示機会に恵まれないアメリカ人アーティストたちを積極的に支援する。1929年にはコレクションは500点を超え、メトロポリタン美術館に寄贈を申し出たが却下される。そして1931年には個人の資産で美術館を設立することになった。アメリカ美術のみを展示するという当時では前代未聞のコンセプトを打ち立てた。1954年には手狭になったヴィレッジから54丁目に移り、1966年には単一形態の重要性を重視したモダニズムの父と呼ばれるマルセル・ブロイヤーの建築デザインによる新しい美術館がマディソン街の75丁目にオープンした。
また、企業基金による美術館の分館設立を成功させたアメリカ初の美術館でもある。現在ニューヨークのダウンタウン、7番街と52丁目のイクイッタブル・センター、コネチカットのチャンピオン・インターナショナル・コーポレーション、パーク・アヴェニューと42丁目のアルトリア(元フィリップ・モリス社)が分館となり、企業による美術館分館としての機能を果たしている。600点の個人収蔵作品から始まったコレクションは現在3,000人以上のアーティストによる作品で21,000点にも及ぶ。
新ホイットニー
そして2015年春、美術館は劇的なリニューアルオープンを遂げた。グッゲンハイムやメトロポリタン美術館がある、いわゆる上品なアッパー・イーストサイドから、いまや世界で最もファッショナブルなカルチャー地区となったミートパッキングのガンズヴール・ストリートへの移転は、場所的な変化だけではなく美術館自体の大きな変化となったのだ。まず、ここでの集客は若い世代と世界中からのツーリストである。観光名所となっているハイライン、ギャラリーのメッカ、チェルシー、ハイエンドのファッションブティック、セレブが集うホテルやラウンジが集結するエリアはマディソン街のクラウドとは異なる。ハイラインのスタート地点であるガンズヴール・ストリートに新設されたモダンな美術館はポンピドーセンターも手がけたレンゾ・ピアノの建築だ。ランドアートの先駆者ロバート・スミッソンの「都市は徐々に自然の状態に回帰する」という思想を反映したという建築デザインだということで、コンセプトは周囲の建築物や空間を意識し、環境、コミュニティと密接な繋がりを持った都市と自然の中にある。屋外展示場空間が十二分にあり、どのフロアからも周囲の景色が展望できる開放感のある空間が特徴だ。ダウンタウンの風景、ハイライン、ハドソン河、自由の女神、エンパイアステートビルが美術館風景の中に入り込む。これまでマディソン街のグレーの空間で見てきたエドワード・ホッパーの《日曜日の早朝》(1930)やジョセフ・ステラの《ブルックリン・ブリッジ》(1939)といったアメリカ美術史に残る名作は、周囲の景色を巻き込んだ空間の中で鮮やかに蘇る。カルダーの《サーカス》も明るい空間で時めく。
自然光がふんだんに取り入れられ、その開放感は従来の美術館にはないカジュアルな装いで、アートをこれまでとは違った角度で見せてくれる。そしてカフェとショップのある一階ロビーの展示は無料で解放されているほか、夏の間は木・金・土曜日は夜10時までオープン。夜の長いダウンタウンタイムだ。
ロックコンサートもファッションもコンピュータゲームもスポーツ観戦も楽しみたいヤングジェネレーションにとっては、アートはもはやエンターテイメントの一貫といっても過言ではない。コンテンポラリー・アートは、まるで最先端のファッションを追うような短いサイクルのビジネスともなってしまうなかで、美術館の役割も多様化している。ヨーロッパ美術がアートシーンの中心だった当時、ホイットニー夫人はあえて若手作家を起用しアメリカ美術の基盤をつくった。80年を経たいま、ホイットニー美術館は美術館の枠を超えた新しいアートの空間で、新しい時代に臨む。
リニューアルオープン記念展 America Is Hard to See 5月1日〜9月27日まで
直訳すれば「アメリカは理解し難い」という企画展は、異なる人種、文化、宗教、階級が混在するアメリカ合衆国という国を多くの視点からヴィジュアルで問うと いう内容だ。コレクションから、400人以上のアーティストによるおよそ600点の作品により過去150年のアメリカ美術の流れをみる。展示は 8階が1910年から1940年、7階は1925年から1960年、6階は1950年から1975年、5階は1965年から現在までが年代に分かれ、さらに23のチャプターがある。ホイットニー夫人がニューヨークの8丁目にオープンしたスタジオに関連するチャプターは現在の美術館の出発地点だ。そして世界中に数あるカルダー作品のなかでも最も愛されている《サーカス》(1926-1931)は今展チャプターのメインとなっている。ほかに屋外に展示されているメアリー・ヘイルマンのインスタレーション《サンセット》、オバマ夫人も絶賛のエレベータ内に施されたリチャード・アーシュウェガー(1923-2013)の最後のコミッションワーク作品も印象深い。キュレーターのドンナ・デ・サルヴォは「この企画はホイットニー夫人のDNAを受け継いだアメリカアートがいかに、複雑で微妙で、素晴らしいかを再考することが根底にありますが、多種多様な社会、文化と芸術が渦巻くこの国を一言で表わすことがどれだけ困難であるか、ということを同時に立証していきます。これまでの美術史を見直し、新しい解釈を提案します。その先には、では何を基準にアメリカ人アーティストなのかというという問いが待っているのです」と供述する。
新しいホイットニー美術館がグローバルな国際社会においてどのようにアメリカ美術と向き合っていくのか、期待は大きい。