2019年11月15日号
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廃墟利用の建築トリエンナーレ「Time is Space」
──高揚するジャカルタ経済と宙づりにされる記憶

本間久美子

2015年09月01日号


トリエンナーレの会場となった廃墟「チプタ・ニアガ」。オランダ植民地時代のインドネシアで活躍したオランダ人建築家エド・カイパースによる設計(1912)。十分な天井高をもつ3階建ての商館で、その豪華さは周辺の商館と比べても目を引く。[撮影:筆者]

成功のための3つの意志

 2015年7月25日から8月8日にかけて、「Time is Space」をテーマとする建築トリエンナーレがジャカルタ北部のコタ・トゥア地区で開催された。同地区は、オランダ植民地時代の西洋建築を数多く残す旧市街で、80を超える建物が文化財に指定されている。今回、会場として使用された「チプタ・ニアガ(「貿易を創造する」という意味)」と呼ばれる建物もそうした西洋建築のひとつであるが、瀟洒なつくりの元商館は廃墟と化してすでに久しい。
 このトリエンナーレは、プリタ・ハラパン大学と建築専門のイベントオーガナイザーであるアナバタの共同企画である。「Time is Space」を表現したインスタレーション作品や、コタ・トゥア地区の文化財の再利用案が展示されたほか、会期中は17に及ぶディスカッションやワークショップが催された。最終日には、建物内のホールを大胆に改装した特設ステージで、日本から招聘した建築家石上純也氏と、インドネシアの建築家ブディ・プラドノ氏によるプレゼンテーションが行なわれた。


廃墟の1階から3階まで、時間と空間を解釈した大小の展示が並ぶ。[撮影:筆者]

 企画者であるプリタ・ハラパン大学は、インドネシア経済界を代表する華人系財閥のひとつであるリッポグループが運営する私立大学で、同グループが大々的に不動産開発を手掛けたカラワチ地区に校舎を構えている。インドネシアの標準的な教育機関を思えば、同校の設備は突出していると言えるだろう。自由な発想を促し、新しい挑戦を可能にするには、ことインドネシアにおいては、潤沢な資金は極めて重要な要素であり、その一押しの意味は大きい。
 一方、今回、プリタ・ハラパン大学のパートナーとなったアナバタは、今年に入って立ち上げられたばかりのまだ若い組織である。二人の建築家が主導するアナバタにとって、このトリエンナーレが最初の大型イベントだったが、精力的かつ粘り強いスポンサー集めと、当地建築家のニーズを踏まえつつ期待以上の驚きを与えてくれるであろう海外建築家の選定・招聘まで、当初は「できるわけない」と一蹴された同イベントを大盛況に終わらせた。関係者にもボランティアを強いることなく、徹底した予算管理を行なった点は、まさに彼らのプロ意識の表われである。これまで多くの外国人が「熱意の共有」を謳い文句に、自らは助成金を享受しながらインドネシア側には無償協力を強いてきた。アナバタの登場は、よりフェアでプロフェッショナルな態度とは何かという基本的な問いを、われわれ外国人に突きつける。
 トリエンナーレを成功に導いたのは、プリタ・ハラパン大学とアナバタだけではない。成功の立役者となったのは、官民コンソーシアムのジャカルタ旧市街再生会社(Jakarta Old Town Revitalization Corporation、以下JOTRC)である。コタ・トゥア地区を経済特区として再開発するうえでのイニシエーターの役割を担うJOTRCは、教育・啓蒙目的での建物利用を歓迎し、ジャカルタ特別州が所有するチプタ・ニアガの無償提供を決めた。プレマンと呼ばれる町のチンピラに法外な利用料を支払わなければならないという悪しき風習への懸念は、官民コンソーシアムの介入により取り除かれ、その結果、トリエンナーレ自体への予算の集中投入が可能となった。
 プリタ・ハラパン大学とアナバタ、そしてJOTRCという三者が共鳴した結果、廃墟は連日活気づき、最終日のプレゼンテーション・イベントにはジャカルタ内外から300名が駆けつけた。

若い記憶の問いかけ


プリタ・ハラパン大学建築学部によるインスタレーション「Statis dan Kinetis」[撮影:UPH]

 「Time is Space」の展示は、廃墟を廃墟のままに利用した。キュレーターのひとり、アンドレアス・ヤヌアルは会場となった廃墟をこう語る。
 「剥げ落ちたペンキ、ガラスのない窓、ひび割れた壁、崩れかけた屋根といった不完全さを通じて、私たちはひとつの古い建物を愛でるのだ……手にすることができるのは、ただ過去からのかけらのみである」(同トリエンナーレのカタログ『Waktu adalah Ruang』より)
 若きキュレーターたちが知っている廃墟の、そして一帯の記憶は、過去と呼ぶにも新しい。ロビン・ハルタント(キュレーター)は、会場であるチプタ・ニアガ前のファタヒラ広場について、自身の記憶を遡る。2007年初頭のそこはただ閑散としていたが、間もなくして車両用の道が通行人専用に変わると、一帯はパブリックスペースとして機能し始めた。まだ物売りなどはなく、自転車に乗る人やサッカーをする人がまばらにいる程度だった。その後、広場は食べ物、洋服、指輪、靴、タトゥー描きなど、さまざまな商売で溢れるようになった。
 直近の記憶のかけらを抱えて、彼らは問う。文化財の保全と同様に重要なこととは何か。コタ・トゥア地区の歴史的建築物の多くは、インドネシアにとって、植民地時代の記憶をとどめた負の遺産であるが、それを踏まえたうえで、保全の重要性を受け止めるだけの成熟がすでにここにはある。ただ、その一方で、集団の記憶とどう向き合えばよいのかがわからない。そもそも集団の記憶とはなんなのか。多民族国家インドネシアにおいて、それは誰の記憶なのか。迫害された者、支配する側に近しい者、ある日それが反転した者。高揚するジャカルタ経済のなかで、それらは宙づりのままだ。独立70周年を迎えた今年、廃墟にて、若い記憶が問いかける。

経済の表層、知覚されない格差


チプタ・ニアガ1階の特設ホール。文化財ゆえ手を加えることができない柱の存在感を生かし、アナバタにより臨場感あるステージが設計された。[写真:アナバタ]

 最終日、チプタ・ニアガ1階の特設会場は300名の観客で埋められた。第12回ヴェネツィア・ビエンナーレ国際建築展で金獅子賞を受賞した建築家の石上純也氏と、大学卒業後に隈研吾建築都市設計事務所を経験し、現在も一年の半分近くを海外でのリサーチやプロジェクトに費やすブディ・プラドノ氏のプレゼンテーションは、ともに観客を魅了した。この日、白い石柱がそびえ立つだけの無機質なホールには、まるでボクシングのリング場を思わせるステージが現われ、四方を客席が囲んだ。現在は廃墟とはいえ、チプタ・ニアガは文化財に指定されているため、釘一本打つことができない。アナバタは、プロジェクター設置用として、白い石柱に沿ってメタリックな骨組みを用意した。スクリーンは客席同様に四方に配され、立体的なライブ会場が整えられた。ブディ氏はステージ上を歩きながらショーを進め、近年のスマホ生活はインドネシアの住宅に変更を迫っていると指摘した(米グーグルによると、現在のインドネシアのスマホ普及率は43%で、2014年の28%から急上昇した)。例えば、浴室である。これまで、インドネシアの浴室は小さな水溜めまたはシャワーのみというのが主流だったが、将来的にはバスタブの要請が増えると予想する。シャワーでスマホはいじれないが、バスタブであれば可能だ。ブディ氏の建築は即座にこれに応答する。


このほどミラノで発表したSubstraksius Table(右)とブディ・プラドノ氏[撮影:UPH]

 一方、廃墟のステージで歴史を振り返るとき、観客は、いまほど国内の経済格差が広がった時期はないと気づく。格差を示すジニ係数は、2011年以来、警告ラインの0.4を超えている。世界銀行の統計によれば、インドネシアの人口の約46%がいまなお1日2ドル以下の生活を余儀なくされている。最終日のこのイベントの入場料は約30ドル。無論、それだけ価値のあるプレゼンテーションであったことは言うに及ばないが、今日のインドネシアにおいて、スマホとバスタブの生活を享受できる層は果たしてどれほどいるのだろうか。廃墟のトリエンナーレは、富の集中するジャカルタの意志を最大限に活用し、不完全な記憶と、この国に大きく横たわる格差と、それらをないまぜにして紡ぎ出す集団の記憶なるものを、いま一度、一人ひとりに問うものであった。

TRIENNALE ARSITEKTUR UPH 2015: WAKTU ADALAH RUANG

会期:2015年7月25日〜8月8日
会場:チプタ・ニアガ
Gedung Tjipta Niaga, Jl. Pintu Besar Utara No.5, Kota Tua Jakarta

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    ──高揚するジャカルタ経済と宙づりにされる記憶

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