フォーカス
ついにオープン、これからが肝心 —— 韓国光州 アジア文化殿堂
コ・ジュヨン(インディペンデント・プロデューサー)
2015年10月01日号
ここ数年、海外の知人に会うたびに聞かれた質問がある。「アジア芸術劇場はどうなっている?」。その質問は国内でも同じで、仲間たちが集まるといつも「アジア芸術劇場、どう思う?」と。私は今年に入るまでは何の関わりもなかったのに、「韓国」の舞台芸術業界で働いているというだけで、答えを求められていたのだ。聞き覚えのない、韓国人ですらあまり行ったことのない光州(グァンジュ)という都市に、なんと「アジア文化中心都市」を掲げて、莫大な国の予算で何かが作られているという話に、誰もが驚くのはむしろ当然だろう。彼らの見せる驚きの中には本物の好奇心があり、それと同時に皮肉もあったことにも気づいていた。
そして、2015年9月、噂の絶えることのなかったアジア芸術劇場がついにそのベールを剥いだのだ。
光州プロジェクトの始まり
話は2003年の韓国大統領選にさかのぼる。当時大統領候補だった盧武鉉は光州を文化首都として成長させるというマニフェストを発表した。このマニフェストはただ光州に限ったことではなく、飽和状態に至っていたソウル首都圏の一部の機能を地方に移し、均等な発展を図るという政策の一環で、その中には文化都市として全羅南道(チョルラナムド)の光州、行政都市として忠淸南道(チュンチョンナムド)の公州(コンジュ)などが挙げられた。
光州という都市は韓国の南部地方に位置する広域市のひとつで、韓国の中では6番目の大都市である。昔から広大な平野での農業を中心として発展し、湖南地方(現在の全羅道)の中心都市であったが、産業を牽引する鉄道路線から外れたため、経済面でどんどん衰退していった。そんななか、1980年、軍事政権に反対する学生や市民による民主化運動が勃発したのが5.18(光州事件)である。この5.18は韓国の現代政治において大変大きな転機になった事件であり、韓国現代史を語るのに絶対に欠かせない出来事である。しかし、その歴史的存在の大きさとは裏腹に、光州は民主化の聖地、言い換えると「赤の故郷」というあだ名がつけられ、政治的な判断によりさまざまな政策からは大きく排除されてきた。そういった光州を文化により復権させるのが盧元大統領の狙いだったのだ。それに、光州には軍事政権が終わって誕生した韓国の初めての文民政府である金泳三大統領時代に立ち現れた光州ビエンナーレという立派な国際アートイベントという土台も存在していた。もっとさかのぼると光州の辺りは朝鮮時代の流刑地であったため、地方でありながらも外からの文化を受け入れる姿勢が整っていたこともあり、近代から街中の小さな店舗でも必ず絵が飾ってあるくらい、文化やアートへのこだわりのある都市でもあった。こういった歴史の流れが5.18、そして文化都市計画に繋がるのを想像するのは難くない。
2003年、盧大統領が誕生し、光州文化中心都市計画は早くも現実化していく。2003〜2004年には現在の施設の元になる計画がつくられ、2008年に工事が始まった。途中で、5.18民主化運動の拠点だった旧都庁舎を巡る争議 — 最初は建て替える予定だったが、遺族や市民の反対で保存されることになる— などで長引き、結局約10年の工期がかかって竣工した。殿堂の設計は光州の名前にちなんで「光の森」というタイトルで、すべての空間が地下に広がり、建物の屋上は公園や広場として使われるコンセプトになっている。
正式名称、国立アジア文化殿堂(Asia Culture Center、ACC)は、民主平和交流院(Culture Exchange)、文化情報院(Archive & Research)、文化創造院(Creation)、子供文化院(Children)、そして芸術劇場(Arts Theatre)の5つの施設から成る複合施設だ。地下4階、地上4階建て、延床161,237平米の広大な面積を有する。芸術劇場と文化創造院はそれぞれ舞台芸術とビジュアルアートの創作を通じてアジアがともに成長を図る場として設けられた。民主平和交流院は5.18の精神に基づき、民主、人権、平和などの価値をアジア全域に広げる役割を担う。文化情報院はアジアの文化を研究、アーカイブし、教育や出版を通じてシェアする役割を、子供文化院は文化を通じた子供のための教育活動を展開する施設である。9月4日にオープンしたのは芸術劇場、文化情報院、子供文化院で、11月中旬に、創造院と民主平和交流院の一部がオープンする予定になっている。
芸術劇場、オープニング・フェスティバル
今回オープンした3つの施設の中で、その規模やラインアップで最も話題を呼んだのは断突で芸術劇場だった。グランドオープンにふさわしい、アジアを中心とした著名なアーティストの作品を3週間にわたって披露したのだ。
アッバス・キアロスタミ、アピチャッポン・ウィーラセタクン、ツァイ・ミンリャン、足立正生、山下残、マーク・テ(Mark Teh)、ス・ウォンチ(Su Wench)、岡田利規、川口隆夫、ラヤ・マティン(Raya Martin)など、巨匠から若手まで、ロシアからタイまで全アジアをまとめつつ、アフリカやヨーロッパまで、今の時代を率いる先端アーティストの作品が一箇所でまとめて観られる、観客にとってはかなり豪華なラインアップだった。これらの作品の多くは単なる招聘ではなく、初代芸術監督が任命された2013年から委嘱制作や共同制作で作られたものだった。作品を観るためにはるばるソウルや韓国の他の都市から足を運んだ人も少なくなく、同時に開催されたいくつかの国際会議のために海外からもかなり多くのプロフェッショナルたちが光州を訪れた。
巨匠の作品が集中していたフェスの最初の頃は、光州市民の姿が見えず、どこかヨーロッパの有名なフェスか見本市に近い風景で、やや訝しかったが、フェスの後半になって一般の観客にとっては馴染みのあるドラマ演劇や北京オペラなどが上演されるようになるにつれ、少しずつ韓国国内や地元からの観客が増えていったのは興味深い。地方の公共ホールのやり方や仕組みに慣れている観客にとっては、演目やチケット代のハードルが高く感じられたかもしれないが、そのハードルがじょじょに下がっていくのをこの目で確認することができた。
一つひとつの演目についての感想は人それぞれなのが当たり前。なので、ついにベールを剥いだ芸術劇場のレベルがどうだとはとても言えないが、確かなのは、これで一回きりになるかもしれないフェスのプログラムを通じて、芸術劇場は現在進行形の現代芸術を幅広く紹介し、その作品が見せている現在、現システムについての問いにスポットをあてることができたといえよう。
熊本で展開している「新政府」の光州版を作り、劇場の外から革命の地、光州に潜んでいる新たな可能性を見出した坂口恭平の《ゼロ リ:パブリック》、欧米から抑圧された非欧米の身体に着目したブレット・ベーリーの『展示B (Exhibit B) 』、北京オペラの様式を使って革命を語る、中国国家京劇院の『紅燈記 (Legend of the Red Lantern) 』など、国立の劇場としては —少なくとも韓国の— 想像のつかない、ある意味政治性の高い演目を大胆に紹介したのだ。美学そのものに集中する作品と並んでこういった作品を選んだことに、芸術劇場の持っている「同時代性」への考え方をうかがい知ることができる。
華麗なるオープニングから
3週間のオープニングフェスを終えた芸術劇場は、これから2015 − 2016シーズンプログラムに入る。フリー・ライゼン(Frie Leysen)のキュレーションで、アジアのみならず、世界の舞台芸術にくっきりとした足跡を残したマスターピースを紹介する「アワー・マスター」、アジアの若手アーティストやプロデューサー、批評家、ネットワークなどを招く「アジア・レジデンシー」、アジアのキュレーター何人かが同時代の共有する問題をテーマとした作品をとりあげる「アジア・ウィンドウ」、光州の地元アーティストからの現代作品を発信する「コミュニティー・ウィンドウ」などが来年5月まで繰り広げられる。
プレイベントを含め、芸術劇場初のシーズンプログラムを率いている初代芸術監督キム・ソンヒは早くも2016年5月で3年間の任期を終える。彼女以外にも各施設のディレクターを巡ってさまざまな議論が続いているし、当初、光州文化都市計画を呼びかけた政権とは対する側の執権が続き、この国策事業自体が危ういという噂すら流れている。施設の運営組織と中身(コンテンツ)を作る組織の関係も懸念される。これらの状況からみても、10年かけてやっとオープンしたアジア文化殿堂は落ち着いたとは言いがたい。このあり得ないくらい巨大な施設の孕んでいる種々の問題は、その受け取り方はさまざまであるにしろ、誰もが気付いていることだ。しかし、簡単なことではないだろうが、問題は解けばすむ。政治がどうであれ、人がどうであれ、この施設をアジアの同時代に問いかけ続ける施設にすることが一番の解決策だろう。単なるアジアに誇る最大級のハコを望んでいる人は誰もいないと信じたい。