フォーカス
アメリカンカルチャーはまるで終わりのないホラーコミック。「ジム・ショー:終わりはここにある」展
梁瀬薫
2016年02月01日号
西海岸アートを代表するジム・ショー(1952年ミシガン州出身)の30年に及ぶ活動をまとめた大規模な回顧展がニューヨークのニューミュージアムで開催されて話題を集めた。アメリカ現代美術シーンで最もビジョナリー(概念的)なアーティストと賞賛されるジム・ショーの世界が炸裂。
インスタレーションやパフォーマンス、ぬいぐるみを使った作品で知られる同世代でアーティスト、マイク・ケリー(1954-2012)とは、ミシガン大学時代にノイズ・ミュージック・バンド「デストロイ・オール・モンスターズ」で活動を共にしている。また、挑発的で過激な作品で知られるポール・マッカーシーとも比較される。70年代からロサンゼルスを拠点に活動するショーの作品は、ポップアート、抽象表現主義、コンセプチュアルアート、ロック、パフォーマンスなどを駆使し、日常に潜む個人のレベルからアメリカ固有の土着性を描写してきた。1990年LAアートシーンを見せた「ヘルタースケルター」展、91年のニューヨークのメトロピクチャー画廊での個展が知られる。アメリカ文化と社会の真髄を本音で語るジム・ショーのアートの特徴は一言では表現しきれないが、強烈でポップでキッチュ。痛快でしかも暗く、ずっしりと重い。
作品は美術館の3フロアに展示。キュレーションは同美術館学芸員マッシミリアーノ・ジオニ、ギャリー・キャリオン=ムラヤリ、マルゴット・ノートンによる。(Massimiliano Gioni, Gary Carrion-Murayari and Margot Norton)
舞台絵画で見るアメリカの歴史と政治
4階の会場は、芝居やミュージカルなどの舞台背景に使われたアンティークの絵画や垂れ幕に、西洋絵画の名作などを描き、コラージュした新しい手法の絵画作品による巨大なインスタレーションによって埋め尽くされている。ショーがバックドロップ・ペインティングと呼ぶ垂れ幕絵画も披露。
ベニヤ板を張り合わせ、その上にキャンバスを貼り付けたチープな板にも異なるストーリーが描写されている。ピカソ、ゴヤやダリの戦争画や、革命画、ニクソンの顔などが登場し、政治色の強い舞台が広がる。
70年代カリフォルニア芸術大学でジョナサン・ボロフスキーに学んだショーの《ラビリンス:ジョナサン・ボロフスキーより背が高いことを夢見て》(2009)や、タロット占いの絵柄やカートゥーン(漫画)のおばけのキャスパー、ミレーの“祈り”が描かれている新作の《ムーン》(2015)は新しい試みだ。9.11同時多発テロ事件をテーマにしたという《判決》(2015)は背広姿の死んだヤッピーたちが中央のエイリアンに促されて水に沈んでいく様子がなんとも皮肉っぽい。どの作品も漫画風で一見親しみはあるが、多くの要素やストーリーが混在する世界は極めて謎めいている。「時に、誤解は真実を知るよりずっと深い」。ショーに言わせれば、問いは多いほどいいのである。
隠された世界──宗教とアート
3階は70年代から蒐集している「スリフトストア・ペインティング」のコレクションと、「隠された世界」の膨大な量の宗教団体が配布する印刷物やバナーなどのコレクションが圧巻だ。
「スリフトストア・ペインティング」シリーズはガレージセールや骨董品屋、スリフトショップ(不用品を扱う中古品販売店で収益が福祉事業に回る)などで買い集めたものが並ぶ。日曜画家や名もないアーティストによるヌード像や意味不明の画面、風景画など、まったくオフビートな絵の数々だ。しかしこれこそがショーが追い続けているアメリカポップカルチャーの起源とも言うべき代物なのである。91年にメトロピクチャー画廊で同コレクションが展示された際には、誰が描いたのかわからない風変わりな絵画作品コレクションの提示というコンセプト自体が話題となった。プロのアーティストにとって素人の絵は自由で魅力的なのかもしれない。土着性ともキッチュとも言える絵はなかなか描こうと思っても描けない部類の作品なのだ。数百点にも及ぶ無名画のコレクションの一部がベルギーのコレクターに買い上げられたことも、同展の功績を表わしている。後にジョン・カリンやエリザベス・ペイトンなどイラスト風絵画作家の注目を集め、さらに現在脚光を浴びているアウトサイダーアートへの理解を深めるきっかけとなったのである。
隣の会場に展示された宗教関連のコレクションもまた膨大な量である。エピスコパル教の家庭に育ったショーは、10代の頃は古本屋で『ヴィーナスの声』という宗教本を切り抜き、コラージュをしていた。カリフォルニア芸術大学時代にケーブルテレビの新興キリスト教番組「700クラブ」を初めて見て圧倒されたという。在学中ローリー・アンダーソンが教えていた授業では教会に行き、それから頻繁に送付されてくるチラシだけでなく、無料配布されるほかの宗教団体の宣伝やビジュアル資料を集め始める。また集会などで使用される大きな幕やポスター、旧約聖書の絵、パンフレット、モラルを教える写真シリーズ、宗教画のトランプやLPジャケットなどなど、ありとあらゆる資料を集めた。なかにはエホバの証人、モルモン教、幸福の科学なども含まれている。宗教のパワーがケーブルテレビの台頭とともに一般家庭に流れ込んだ背景が伺える。宗教を信じない者にとってはまるで長寿コメディー番組「サタデーナイト・ライブ」でのパロディーだが、原理主義者の熱狂的な説教力と、狂信者のパワーには恐怖すら感じ背筋が寒くなる。ショーの執拗なまでの蒐集は、宗教全体への懐疑というよりむしろ、大衆に浸透しうるイメージの持つパワー、あるいは敬意なのではないだろうか。
「1800年代中期のニューヨークのアップステートにあるフィンガー湖で生まれた。女性神、時の逆流、精神の無常性、フィギュラティブ・アートの禁止を信仰する」という架空の宗教「O-ism」(2002)への展開に続く。ストーリーのあらましは、19世紀モルモン教と同時代に誕生し、「O」という特定像のない女性を神と崇め、それを信仰する「O-ist」にアダム・O・グッドマンという名を持つ人物を想定。グッドマンはO-ismの精神とモダニズムを継承するカラーフィールドの無名画家で商業イラストレーターとして別名を持つ。ショーにとって宗教への執拗な探求は、宗教が啓示する超自然的現象力や未知のパワー信じる力の謎であり、それは芸術への懐疑と同等なのだ。本来宗教(神)とは何か? 誰が決めるのか? 本当のアーティストとしての必要条件とは何なのか?
心理主義と夢
ジム・ショーの絵画といえば、サイケデリックなポスターやコミック風のドローイングが代表的だが、今展2階には初期のエアーブラシを使ったドローイング作品「生と死」のシリーズ、マイク・ケリーも含む「大きな顔のデッサン」シリーズ、俳優のクリント・イーストウッド、デヴィッド・ボウイを描いた「歪んだ顔」のシリーズなどが集結した。どれも緻密な技法で迫力のあるドローイング作品群である。ハイライトは「ドリーム・ドローイング」(1992-99)、「ドリーム・オブジェクト」(1994-現在)と「マイ・ミラージュ」(1985-91)のシリーズ作品だろう。
「ドリーム・ドローイング」はタイトルどおり、夢を描写した漫画のようなコマ割りのドローイングでストーリーが続く。エロチックでポルノグラフィックな描写もある。滑稽だが楽しいストーリーではないことは確か。また単体で描かれた虫や有機物の作品「フェイク・ドリーム・ドローイング」(1992)のシリーズには悪夢のような不気味さが漂う。そして「ドリーム・オブジェクト」はさらにホラー映画を彷彿とさせる。悪夢といえば、ダーレン・アロノフスキーの映画『レクイエム・フォー・ドリーム』(2000)の映像を思い起こす。麻薬に溺れて崩壊するという結末で、そのストーリーはショーの作品とはまったく異なるが、忍び寄る恐怖の感覚描写はすでにアートの範疇を超えている。「マイ・ミラージュ」は(1985-91)170点にも及ぶ作品集でコミック集としても出版されている。油彩、水彩、ドローイング、コミック、シルクスクリーン、コラージュ、ブラックライトなどなど、ありとあらゆる手法で制作された作品群だ。すべて同じ大きさ(29cm×36cm)で展開する。ビリーという男性(ショー自身と高校時代の友人の混合像)がストーリーを展開していく。60年代カルチャー:テレビ、ロック、ドラッグ、ビートオフな思春期の感性を辿る。どの作品も驚くべき手法だが「スリフトストア・ペインティング」のコレクションに見ることのできるアメリカンカルチャーへの謳歌が漂う。