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美術館が出来上がるまで──バーゼル市立美術館の歴史と現在

木村浩之

2016年06月01日号

 2016年4月、1年ほどの閉館期間を経て、バーゼル市立美術館が新館を伴いリニューアルオープンした。美術館の変遷と歴史を振り返ってみたい。



バーゼル市立美術館新館(中央)、本館(右から2番目)と旧国立銀行の事務・研究棟。向かって左側にはクリストフ・メリアン財団の建物と、背後に聳え立つロシュタワーが見える(ヘルツォーク&ド・ムーロン設計)。道路はかつて市壁と堀があった場所で、旧市街と新市街を分けている。[筆者撮影]

美術館創立

 ことの始まりは、バーゼル市とバーゼル大学(1460年創立)が1661年に、インキュナブラと呼ばれる活版印刷初期の印刷業者だった、地元のアマーバッハ家のコレクションを引き継いだことだ。コレクションに関心をもった大学関連の人々のイニシアチヴが原動力となって引き取ることになったのだという。権利問題などで揉めたとのことだが、10年後の1671年にはバーゼル大聖堂近くの既存の建物を利用するかたちで図書を含むコレクションが一般公開された。ここに西洋での最古のパブリック・コレクションが誕生したのであった。ちなみに大英博物館は1759年に個人コレクションの寄贈を受けて国立博物館として一般公開され、仏ルーヴルはフランス革命直後の1793年に王室所有のコレクションを一般公開するかたちで創設されている。どちらも1世紀近く遅れての一般公開だ。

拡張・移転

 開館後の足取りを追ってみよう。1770年ごろから、コレクションのリスト化を開始。1849年に、市民からの寄付などで新築された建物に移転。当時はまだ美術コレクション、美術図書館と自然史コレクションが同居していた(後に分離する)。1856年にはすでに増え続けるコレクションの場所の確保のために中世のコレクションを分離していた。
 余談だが1839年にバーゼルの芸術協会が設立され、1872年にはその自前の企画展示スペースとしてクンストハレが建てられている。クンストハレとは作品の収蔵はせず、同時代アーティストの展覧会を行なうことが活動の中心となる場所だ。このクンストハレという施設も、バーゼルのものがヨーロッパで最古と言われている。クンストハレは、増え続けるコレクションに悩まされるバーゼル市立美術館があったからこそ生まれた施設だったのかもしれない。
 1894年に、倉庫として使われていた教会の廃墟を改装して中世コレクションの展示にあてた。ちなみにその教会は宗教改革時におこった偶像破壊運動(1529)にて大きな被害を受け、その後まもなくして俗化され、しまいには倉庫となっていた。解体の危機に晒されていた元教会を展示施設とすることで救ったかたちになる。ここは現在でも「死の舞踏」壁画を含む中世の遺品を展示するスペースとなっている。
 1896年に図書部門が分離独立。1922年にはいよいよスペースが足りなくなり、絵画コレクションの一部まで別の場所で保管せざるをえない状況になっていた。
 1936年に、それまでの数倍の大きさの新築の建物に居を構え、当面は落ち着いていられるかと思えた。しかし早速1939年にはナチス・ドイツから流れてきた作品群をオークション等で大量に買い込むなど、またすぐ窮屈になるのは目に見えていた。
 1980年には、本館から徒歩5分程度の場所にまたまたヨーロッパでは最初と言われる単体での現代美術館が分離独立している。製薬会社ロシュの創業者の息子未亡人、マヤ・ザッハー(1896-1989)が建設費の大半を出すことで実現している。ちなみにバーゼル市は土地や運営費を負担した。
 それでも手狭は解消せず、2003年、マヤ・ザッハーの孫にあたるマヤ・オエリ(1955-)設立のラウレンツ財団により、それまで現代美術館に委託されていたエマニュエル・ホフマン・コレクションが「シャウラーガー」として独立した。シャウラーガーとはドイツ語で「見る」と「倉庫」を合わせた造語。バーゼルの建築事務所ヘルツォーク&ド・ムーロンの設計で、作品を研究用に見やすいように壁に架けた状態で保存するスペースとしてつくられた。一般の鑑賞用ではないので、引きもとれず、隣接する作品ともスペースをあけずに詰められた状態で架けられているが、布袋や箱に入れられて収納されている通常の倉庫内の状態と比較すると、アクセシビリティという点では雲泥の差だ。もちろん、必要面積は飛躍的に増えるため経済性は劣るが、美術研究・保存の場の新しいタイポロジーとして打ち出したインパクトとはとてつもなく大きい。



上部の文字列はいわゆるLEDによる表示面だ。レンガとレンガの隙間を影として利用し、光センサーにて採取したデータに基づき隙間のLEDを点灯させることで、隙間の影を外面と同じ明るさに照らし、結果として影の部分が文字・映像を結ぶ仕組みをiartと共同開発している。3階構成で、3階にはトップライトがあるため、窓が開けられていない。1階右側ファサードに見える大きな開口は搬入口だ。トラックがすっぽり中に入れるようになっている。[筆者撮影]

増築

 同じころ、バーゼル市立美術館本館では、マヤ・オエリから隣接する旧国立銀行の建物の寄贈(1999)を受けて、増築の計画が始まった。2001年に増築の設計競技が行なわれ、チューリヒのジゴン&グイエ(ギゴン&ゴヤー)設計事務所が入賞したが、増築案は市議会の決議により取り下げとなっている。その代わり図書室や執務部を旧国立銀行側へと移動させるだけで本館内の展示スペースを若干増やすという縮小案が実施された(2007)。それではもちろん展示スペース不足は解消しなかった。企画展専用スペースがない状態で、常設展の一部をその都度転用するという手間のかかる運営を強いられていた。
 2001年にバーゼル市立美術館館長に就任したベルンハルド・メンデス=ビュルギ館長にとって2度目となる増築のチャンスは、早くも縮小増築改修翌年の2008年に訪れた。その年、再度マヤ・オエリが、旧国立銀行とは反対側に隣接する建物の購入費をバーゼル市に寄付したのだ。寄付を受け、直ちに設計競技が行なわれたが(2009)、また頓挫することを危惧したのか2010年3月には建設費の半分となる約55億円を追加で寄付することをマヤ・オエリは表明した。ただ厳しい条件がついていた。「2010年末までに美術館増築の議会承認を得ること」。結果としては2010年11月には都市計画の変更と建設費予算が議会承認を得られ、事なきをえたが、イニシアチヴ、レファレンダムなどの市民投票制度があるスイスにて、遅れを出さずに事を進めるために、相当気がつかわれたに違いない。
 2009年に行なわれた設計競技では、134の応募より24チームが選ばれている。そのうち16パーセントにあたる4チームが「成長株」という枠組みでの選出だ。それは実績などの要求を低く設定し若手にチャンスを与える枠で、大手が多く応募する国際設計競技では広く行なわれている手法だ。
 アレハンドロ・アラヴェナ(チリ)、カルーソ・サンジョン(英)、クリスト&ガンテンバイン(スイス)、デイヴィッド・チッパーフィールド(英)、ディーナー&ディーナー(スイス)、ジゴン&グイエ(スイス)、HHF/アイ・ウェイウェイ(スイス・中国)、ジャン・ヌーヴェル(仏)、OMA(オランダ)、ペーター・ズムトー(スイス)、ラファエル・モネオ(スペイン)、SANAA(日本)、ソウト・デ・モウラ(ポルトガル)、安藤忠雄(日本)、ザハ・ハディド(英)など、そうそうたる面々が名を連ねている。
 最終的に選ばれたのは、バーゼルの若手設計事務所のクリスト&ガンテンバインだった。両者は1970年と1971年生まれのスイス人。コンペ当時で40歳前後だ。彼らは2002年、30歳そこそこでスイス国立博物館の増築の設計競技に入賞し、一気に注目を浴びた。その後もコンスタントにスイス国内外のプロジェクトを設計競技にて勝ち取り続け、バーゼル市立美術館の後も、ケルンの美術館、パリの集合住宅などの設計競技に入賞している。

新館

 明るく明瞭な矩形の展示室、淡いトーンでざらざらの質感のロビー、印象深い階段など、本館の建築的モチーフを取り入れ、古くもあり新しくもあるような、キッチュなようなミニマルなような、曖昧な内部仕上げとなっている。「建築はあくまでもアート作品を支える背景」(エマヌエル・クリスト)をモットーにしてきただけあって、若干保守的すぎる感もあるが、だからこそ、ロビー・階段などの保守的ななかに潜んだ現代的ディテールが、しっかりと利用者に染み込んでくる。
 通常裏側に持っていく搬入口を前面に持ってきてガラス張りにする点などは、裏をあえて隠さない最近のトレンドでもあるが、ここでもきわめて落ち着いた装いの外観に現代的なニュアンスを与えている。ただ、きわめて制度的で閉じた重たい印象の本館(建てられた当初は開かれた建物だっただろう)よりも、さらに閉じた印象を与える外観は、市民による市民のためのコレクションの建物としては残念だ。新館へのアクセスは、本館から地下展示室を通って向かうため、新館には特に招き入れるジャスチャー(メインエントランス)が必要なかったのかもしれない。しかし、それにしても必要以上に閉鎖的になっている印象が強い。逆に内部にいると開かれた印象で、窓の多さに驚かされる。
 閉鎖的な外観は、上部に設けられたLED文字板の印象を強めるのに役立っている。メディア等のインスタレーションに特化したバーゼルのエンジニアiartとクリスト&ガンテンバインとの共同開発という新しいLED文字板では、光ではなく影が文字をつくっている。
 「Sculpture on the Move」というこけら落としの展示は定年退職する現館長の最後の企画展となった。立体を展示し、壁面には作品を掛けないことで、展示室を背景としてでなく、空間として見せる、つまり建築をも展示物にしてしまおうという意図もあったかもしれない。思いのほか多く思えた、と記した展示室の窓が、ブランクーシなどの作品に自然な立体感を与えていたことが印象深い。
 次の館長は、2004年以来メニル・コレクション(米ヒューストン)の館長を務めているヨーゼフ・ヘルフェンシュタイン(1957-)だ。南部の強い日光をトップライトで柔らかな光として内部に取り入れるレンゾ・ピアノの初期の名作(1987)に10年以上親しんだルツェルン生まれのスイス人が、2016年9月の就任後、新しいような古いような、閉じているような開いているような、この掴みづらい建築をどのように使って美術館を運営していくのか、期待が高まっている。バーゼル美術館は、2013年には英紙『The Times』にて「世界ベスト美術館」の第5位に選ばれている。増築と改修工事によるしばしの閉館のため、その後はリストから外れていたが、現館長の築いた名声と新館が新館長ヘルフェンシュタインのもとで、また名声を取り戻し、多くの人にすばらしい芸術体験を提供できる場となることを祈っている。



外観の印象とは裏腹に内部は自然光に満ちている。中央に見えているのは、床に素材を並べるようになる前のカール・アンドレの初期の作品だ。[筆者撮影]

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