フォーカス
アピチャッポン・ウィーラセタクン──政治と日常の親密さ
徳山拓一(森美術館アソシエイト・キュレーター)
2017年03月15日号
2016年以降、日本でアピチャッポン・ウィーラセタクンの作品を観ることができる機会が増えている。劇場映画では最新作『光りの墓』(2015)の公開に合わせ、過去作品を含む多くの上映会が開催された。また、美術作品では横浜美術館での「BODY/PLAY/POLITICS」展から始まり、さいたまトリエンナーレ、東京都写真美術館の「亡霊たち」などが開催された。今年に入って、「TPAM - 国際舞台芸術ミーティング in 横浜」で初のパフォーマンス作品「フィーバー・ルーム」が上演された際は、大変な注目を集めた。
アピチャッポン・ウィーラセタクンの作品世界には独特の時間が流れている。それは夏休みの夕暮れ時のような、親密で弛緩した時間だ。『トロピカル・マラディ』(2004)の熱帯の日差し、『世紀の光』(2006)の田園風景、『ブンミおじさんの森』(2010)の夜の密林、『光りの墓』(2015)の公園の噴水など、その光や音を感じた瞬間に懐かしい情緒が去来し、作品世界に引き込まれる。アピチャッポンの作品はその肌触りの良さとは裏腹に、簡単には解せないものが多く、結果的には、観客は不可解な世界を彷徨うことになる。しかし、飽きることなく(映画の途中で寝たことは何度もあるけれど)彼の作品を見続けてしまう。アピチャッポン・ウィーラセタクンは、どのようにしてその魅惑的で複雑な世界を描き、それは私たちに何をもたらすのか。
私は2013年に当時キュレーターをしていた京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA(アクア)で、ワークショップの講師として招聘したことをきっかけに、翌年に同ギャラリーでアピチャッポン・ウィーラセタクンの個展「PHOTOPHOBIA」を企画することができた。森美術館に移籍した現在も、いくつかのプロジェクトが進行中だ。展覧会企画や準備の過程で作品の制作現場に立ち会えたことや、その後の個人的な交流を通じて、私は作品世界の成り立ちやその魅力の根底にあるものに少しだけ触れることができたように感じる。ここでは、そうした経験を通して知り得た私的な観点から、アピチャッポンの作品世界について考えてみたい。
政治的なしなやかな抵抗
アピチャッポンの作品の特徴としてよく指摘されるのが、その政治性と社会批評性である。直接的な政治、社会状況への言及は少なく、一見すると叙情的な作品がじつは政治的な内容を含んでいることが多い。その特徴が顕著になったのは、2009年に発表された「プリミティブ」プロジェクト以降だといえる。
「プリミティブ」プロジェクトは7つのビデオ・インスタレーションと2つの短編映画、そして長編映画からなる一連のプロジェクトだ。長編映画『ブンミおじさんの森』もひとつの要素とされることは、共通の題材や一定期間に制作された多様な作品群を同一プロジェクトとして捉えるアピチャッポンの特徴を表わしている。「プリミティブ」プロジェクトは、タイ東北部にあるナブアを題材として、2009年から2010年に取り組んだプロジェクトである。ここではそのなかのビデオ・インスタレーション作品《ナブアの亡霊》(2009)について、その政治性を考えたい。
《ナブアの亡霊》
物語性は低く、初見ではなにを意味しているのか理解し難い。断片的な疑問が観客の頭をよぎるだろう。少年達は火傷をしないのか、火事にならないのか、こういった儀式やスポーツがこの土地にはあるのか、プロジェクションの映像は、雷は、プロジェクターの光は一体何を意味するのか、ナブアとは関係があるのか、そもそもナブアとは何なのか──。
ナブアは、アピチャッポンが幼少期を過ごしたイサーン地方にあるタイ東北部の村だ。1965年8月7日に共産主義の農民と全体主義の政府がナブアの稲田を舞台に銃撃戦を繰り広げ、多数の犠牲者を出した。これが契機となり、タイ国軍は60年代から80年代初めまで、共産主義の反逆分子を制圧しようとナブアを厳重な統制下に置いた。村の男たちは密林へ逃げ、多くの女がレイプされた。男が少なくなったナブアには、偶然にも、男を誘惑して連れ去るという未亡人の幽霊の伝説がある。
ナブアの歴史を知った途端にそれまで観ていた情景は一変する。《ナブアの亡霊》に映される火の玉や雷の閃光は銃火を連想させ、過去を映し出すプロジェクターの光は、そこで繰り広げられた残忍な記憶を想起させる。無邪気に戯れる現代の少年達は1960年代に残虐行為を行なった軍人の姿と重なる。厳密には彼らは被害にあった農民たちの子孫であるにもかかわらず。そのほかにも、韓流スターのような少年たちの髪型、軍服を着た少年、亡霊、闇の先に広がっている密林などのあらゆる事象が、ナブアが包摂する複層的な物語をメタフォリカルに語り始める。
特筆すべきなのは、それらの事象が持つ両義性である。例えば、閃光や少年たちは享楽と残酷性を意味し、密林は安堵とともに恐怖を意味しているのだろう。作品全体に底流するこの両義性が諸要素を繋ぎ合せ、作品の世界観を構築している。それぞれの事柄が持つ本来の定義の図式や境界を曖昧にし、無効化している。また、それが作品に叙情性を与えてもいるのである。
ジャック・ラカンは特定の社会における語彙の二項対立図式に関して、「これらの対立は現実的な世界から導き出されるものではありません。それは現実の世界に骨組みと軸と構造を与え、現実の世界を組織化し、人間にとって現実を存在させ、その中に人間が自らを再び見出すようにする、そういう対立です」
と説明している。アピチャッポンは、逆に、社会(権力)によって規定された定義の図式や骨組みを曖昧にし撹乱することで「独自の世界を組織化し、自身にとっての現実を存在させ、自らを再び見出している」のである。これがアピチャッポンの作品における政治的な抵抗なのだ。政治的要素を明示せずに抗おうとするこの“しなやかさ”が、叙情性を担保しながらも、作品をきわめて政治的にしている所以なのだ。この「しなやかな抵抗」による政治性は、間違いなくアピチャッポン作品の魅力なのである。日常への溢れる愛情
その政治性とも深く結びついているあるエピソードを紹介したい。これはアピチャッポンの作品世界のもうひとつの魅力についても説明することになる。
2014年6月14日に京都市立芸術大学ギャラリー@KCUA(アクア)で始まった「PHOTOPHOBIA」展の直前の5月20日、タイでは陸軍総司令官のプラユット・チャンオチャによりクーデターが宣言された。展示の準備に来たアピチャッポンは大きな怒りを抱えていた。その矛先はタイ国軍部や煽動され狂ってゆく大衆、そこから生まれる社会的差別に向けられており、正義感からくるものであることは確かだが、発言の節々には、残酷にも聞こえるほどの冷徹さを感じた。彼の政治への関心の高さと誠実さが伝わってきた。
アピチャッポンと私には共通のタイ人の友人がいる。私と彼は18年来の友人で、私は彼にアピチャッポンを紹介してもらった。彼は「プリミティブ」プロジェクトにも出演しているミュージシャンで、アピチャッポンとも公私を通じて親しい間柄だった。「PHOTOPHOBIA」展のオープニングにも駆けつけてくれ、京都で楽しい時間を過ごした。
同年の8月25日にプラユットは国王ラーマ9世の任命を受け、正式に第29代首相に就任し、軍事政権が発足した。問題は、そのミュージシャンの友達が、政権成立を祝う大々的なセレモニーで海軍楽団のオーケストラの伴奏で国歌を歌ったことだ。その様子は国営放送で放映された。私のほかのタイの友人たちのほとんどが軍事政権を批判しており、もちろん政権のために国家を熱唱した彼も批判した。そのなかでも凄まじい罵声を浴びせたのがアピチャッポンだった。私はタイ語がわからないので、どんな罵倒だったかはタイ人の友人から伝え聞いただけだったが強烈な内容だった。それ以降、2人は親交を絶った。その友人はアピチャッポンを恐れるようになった。
それから2年が経った昨年の9月、アピチャッポンがさいたまトリエンナーレのために来日していた際、偶然にもその友人も来日していた。ためらったが、思うところもあり、私はその友人が来日していることをアピチャッポンに伝え、一緒に食事をすることを提案してみた。「忙くて会えないし、会いたくもない」との返事だった。しかし案の定、数日してから「やはり会いたい」との連絡があった。2人は2年振りの再会を果たした。政治のことは話題にせずに、焼き鳥を食べ、楽しい時を過ごしただけだった。政治のことについて語っていたときの表情とは対極の、子どものように喜び、嬉しそうにしている姿が印象的だった。
アピチャッポンは、政治的であるのと同時に、その対極にある日常へ溢れる愛情を注いでいる。それが作品世界を特徴づけているもうひとつの重要な要素になっている。彼がその友人と会うだろうと私が思ったのは、その愛情を知っていたからだった。「PHOTOPHOBIA」という展覧会名は、光を見ると目に痛みを感じる症状の病名である。これは、すべての出来事を覚えておきたいという作家の願望(実際にいつもカメラで写真を撮っている)と同時にすべてを覚えることによって伴う痛みを暗示している
。また、一定の期間に制作された作品群を同プロジェクトとして捉えることも、作品を日常と切り離すことができないという愛着を示唆しているだろう。アピチャッポン作品の魅力は政治的なしなやかな抵抗だけでなく、この日常への溢れる愛情があるからで、それらが補色のように相互の彩度を高め、世界をより鮮やかにしているのだ。
作品と観客の関係の親密性
最後に、アピチャッポンの作品における観客との関係の親密性について考えたい。2012年に制作された《ASHES(灰)》という映像作品がある。これは愛犬の散歩の様子や、恋人や親しい友人たちとリゾートで過ごす様子など、作家のプライベートな日常の断片が映されたもので、愛情に溢れる日常への眼差しを存分に感じることができる作品だといえる。
本作品では一部のシーンが繰り返され既視感を生み出すことで、観る者の記憶を喚起し現実にはたらきかけるなど特徴的な編集が施されている。ほぼ全編がトイカメラ を使用して撮影されていることもあり、そこで何が起きているのかは判然としない。見所は作品の中盤から始まる、作家本人による語りかけるようなボイスオーバーとメランコリックな音楽が挿入されるところからだ。最近見た夢という個人的な内容を語るボイスオーバーは、観る者を一気に引き寄せ、作品との親密な関係に取り込む。音楽が挿入されていることからも、それを意図する仕掛けとしてボイスオーバーが導入されている戦略が分かる。その後、花火が焚かれた寺院の祝祭的な映像に切り替わる 。これは著名な僧侶の葬式の様子だという。最後は暗転し、「ティーム、夕ご飯ができたよ」と恋人に呼びかけるボイスオーバーで終わる。《ASHES(灰)》というタイトルが暗示するように、本作品は、輝いていた日常もその記憶も最後は灰に帰するという、宗教的な大きな時間の流れを感じさせる。それが親密な空間で語られることで、観る者の日常をも包摂しているかのような情緒を生み出している。
語りという手段によって強化されるこの親密性は、アピチャッポンのほかの作品にも底流するものだ。《エメラルド》(2007)や先日TPAMにて上演された《フィーバー・ルーム》(2015) でも前景化しており作品全体のトーンを決定づけていた。さらに、ほとんどの作品に出演している役者のジェンジラー・ポンパットは家族同然の付き合いであることや、サクダー・ケーオブアディは昔の恋人だということからも、作家が他者との関係の親密性を作品の中に取り込もうとする意図をうかがうことができるだろう。
文化人類学者の岩田慶治が、タイとミャンマーの国境に住む山岳民族のカレン族について興味深い考察を記している。カレン族はアピチャッポンの初長編映画『真昼の不思議な物体』(2000)に象使いとして登場している部族でもある。カレン族には竹片を削ってその舌が振動するように細工された、ブーンブーンと蚊の鳴くような低音の振動を伝える素朴な楽器があるという。
「われわれは楽器といい音楽というと、多くの人びとに聞かせるものという先入観があるが、カレン族の口琴は森のなかで、身体を近づけて聞いている恋人にだけ聞こえればそれで十分なのであった。大聴衆に聞かれるからそれが価値の高い音楽だというわけではない。聴き手は一人、それでよいのだ。二人だけの時、二つの時が一つになる時、まことの時がそこに誕生するのである」 。「まことの時」というのは、個々が生きる時間はそもそも違うものであるという岩田の思想に依拠している。バラバラの時間が口琴の親密な響きを共有することによってひとつになり、そしてより大きな時間の流れ、宗教的な時へとつながる、それが「まことの時」であるという。
アピチャッポンの「しなやかな抵抗」や「日常への溢れる愛情」は、「親密な関係」のなかで語られることで、この口琴のように観る者に響き、彼の時と観る者の時とは「まことの時」になるのではないだろうか。だからこそ、その不可解な世界に多くの人が惹きつけられ、ゆったりと流れる弛緩した時間のなかを、心地よくさまよい続けてしまうのではないだろうか。