フォーカス
【ニューヨーク】グローバリゼーションにおけるアメリカ現代美術の行方──ホイットニー・バイエニアル2017
梁瀬薫
2017年06月01日号
1932年から開催されている、バイエニアル展はアメリカ美術の動向を明瞭にする展覧会として毎回世界中から注目を集めている。2015年ダウンタウンのミートパッキング地区に移転してから初めての展覧会となる。アップタウンの落ち着いた美術館とは異なるロケーションでは観客の層と集客数も劇的に変わり、美術館の展示内容にも反映している。レンゾ・ピアノの建築による明るい空間とダウンタウンを四方に見渡すことのできる屋外展示スペースを駆使した今年のバイエニアル展は、ダイバーシティを掲げ、新しい時代へ向けてのアメリカ美術の方向性を明確にした。
多様性溢れる作品群
78回目を迎える本展は、アソシエイト・キュレーターのクリストファー・Y・ルウとインデペンデント・キュレーターが企画。総勢63人のアーティストによる多様性に溢れる作品が選出された。
今回展示されている、格差、性差別、人種、暴力、宗教、移民といったテーマはアメリカ社会が抱える現実だ。本年は政権が変わったため、トランプ新大統領を直接的に訴える作品の出展も予想していたが、表面的に非難するような作品は1、2点で、むしろ人種問題や宗教、社会構造の本質的な問題を奥深く探り、示唆する作品が際立っていた。加えてVRやオプティックイリュージョンなどの体験型作品や、環境や協調を啓示した作品は特に印象に残った。
ポリティカル・アート、ダイバーシティ、ヒューマニティー
ポストコモディティ《ベリー・ロング・ライン》
Postcommodity, A Very Long Line
まず、ポリティカルな作品では、2007年に結成されたポストコモディティの《ベリー・ロング・ライン(とても長い列)》(2016)。ヴィデオインスタレーションにより米国とメキシコの国境問題を掲げた作品だ。部屋の四方の壁にフェンスの映像が物凄いスピードで回り続ける。映像から放出されるフラッシュライトの刺激とスピードに着いて行くのが精一杯だが、フェンス越しに国境問題、アメリカ人はもともとどこから来たのか、ランドスケープ、経済問題などなど多くの疑問が駆け巡っているのだ。
GCC《地元警察が見つけた呪文が書かれたフルーツ》
GCC, Local Police find fruit with spells
屋外テラスの展示作品で印象的だったのは《地元警察が見つけた呪文が書かれたフルーツ》(2017)。巨大で有機的な造形が空に向かって立てられており、圧巻だ。一見では正体不明なユニークな作品。これはクウェート、ニューヨーク、ロンドン、ベルリンを拠点に活動している、アラブ首長国連邦のメンバー8人により2013年に結成されたGCCというグループによるもの。ヨーロッパをはじめ、ニューヨークではホイットニー美術館やニューミュージアム、MoMA PS1などでも展覧会が開催されている、国際的に活躍しているアート・グループで、ポリティカルな作品を提示している。コミュニケーションはすべてWhatsApp(ワッツアップ)で行なわれているというのもユニークだ。
今回披露されたのは、「ブラックマジックのような呪文が書かれ、釘が刺された瓜が流れてきて、地元の警察に通報し騒ぎになった」というストーリー。タブロイドニュースにひっかけたようなストーリーだが、つまり湾岸諸国の政府が、地域の文化遺産を排除していること、またヨーロッパの植民地主義がユビキタスな現代社会にどう影を落としているかを、記念碑的に表現した。
ジョーダン・ウォルフソン《リアル・ヴァイオレンス》
Jordan Wolfson, Real violence
最も究極な表現で鑑賞者の興味をそそり、論議を呼んだのがジョーダン・ウォルフソン(1980年ニューヨーク出身)の《リアル・ヴァイオレンス》(2017)だろう。17歳以下鑑賞禁止のVR作品だ。映像は、道端の男性を野球のバットで血みどろになるまで滅多打ちにするという極めて暴力的なもの。
ウォルフソンはニューヨーク生まれのユダヤ人で、イエール大学卒業後10年間イスラエルに住む。ユダヤ教の儀式で延々と読まれる経典から、日常に潜む暴力を摘出したという。何のストーリーも歴史も意味もない、純粋な暴力だ。
鑑賞者はジェットコースターに乗る前のように、注意事項を聞かされ、設置されている鉄のバーをしっかり掴み、VRを着用する。閉ざされた世界のなかで残虐な光景を見せられる。その光景からは何の想像もできない。制御不可能とも言えるイスラム過激派の処刑動画を彷彿とさせ、嘔吐しそうになる。2分25秒の映像に耐えられない鑑賞者も少なくはない。
カマシ・ワシントン《Harmony of Difference》
Kamasi Washington, Harmony of Difference
カマシ・ワシントン(1981年ロサンゼルス出身)の《Harmony of Difference(相違する協調)》は、シンプルに人間の心理と知性に訴える最後まで印象に残った作品だった。メロディーの異なるソフトジャズを素材に、ハーモニーの相違を6点(1.欲望 2.謙虚 3.知識 4.視野 5.誠実 6真実)のムーブメントで構成した約30分の作品。映像と音がメッセージとなって耳に優しく浸透し、しばし現実社会のカオスを忘れる。
アニカ・イ《ゲノムのフレーバー》
Anicka Yi, The Flavor Genome
環境をテーマにした作品ではアサド・ラザの《Root sequence(根の因果関係)》(2017)なる鉢植えの木とオブジェによるインスタレーションは何気ない提示で、時の軸を超える壮大な歴史が静かに眠るような空間に足を止めたが、今展で一番印象的だったのがアニカ・イ(1971年韓国出身。ニューヨーク在住。)の3Dヴィデオ作品《ゲノムのフレーバー》(2016)。アマゾンの熱帯雨林と科学研究室で行なわれた実験映像とを構成。タイトルどおり生物が機能的に生活するために必要な遺伝子、環境問題への探求だ。美しく洗練された映像作品だが地球規模の消費への恐怖を秘める。
アートを超えた社会現象
ダナ・シュッツ《オープン・キャスケット》
Dana Schutz, Open Casket
最後に、本展でもっとも話題となった作品のひとつが、ダナ・シュッツ(1976年ミシガン州出身)の《オープン・キャスケット(開けられた棺)》(2016)だ。
シュッツはアートフェアや国際展で人気を博しアメリカの若手女性画家として注目を集めている。大胆な構図のなかに、ファンタジーとホラーとリアリティーが織り混ざるような作品が特徴で、新しい具象表現に挑戦している新時代のアーティストだ。
今回数点出品されたなかで、この作品に白羽の矢が立った。事の発端はあるアーティストの美術館に宛てられた一通の手紙だった。「白人女性が黒人の悲劇を描くのは、一種の冒涜だ。撤去するか、その場で作品を破壊せよ」という内容で、波紋が広まった。新聞や美術雑誌だけでなく、テレビのトークショーにまで話題が広がり、抗議するグループも現われ、作品は一時撤去を強いられた。
シュッツの作品自体は一見抽象的でどこに問題があるのかわからないが、内容が物議を呼んだのである。描かれているのは1955年に殺害された棺の中のエメット・ティルという黒人少年。当時14歳の少年がシカゴからミシシッピの親戚を訪れた際に、白人女性をからかったとされ、その女性の夫と友人にリンチされ、銃で殺害された(女性は10年後証言を撤回している)。シカゴの母親のもとに棺が届くが、その残虐な事実を公開したのだ。殴られたあとの、あまりにも変わり果てた少年の顔写真はシカゴの雑誌にも掲載され、人権運動に火をつけたのだった。歴史に残る黒人の惨事である。
シュッツ自身はこの作品に対して「黒人問題ではなく、一母親としてという強い思いで描いた」。と声明を出している。一枚の絵をめぐり、嫌悪、格差、女性差別、そして表現と報道の自由が問われたのである。
ホイットニー・バイエニアル2017
Whitney Biennial 2017
会場:ホイットニー美術館
会期:2017年3月17日〜2017年6月11日
http://whitney.org/Exhibitions/2017Biennial