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みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2018

白坂由里(アートライター)

2018年10月15日号

東日本大震災の前後から全国的に広がった「芸術祭ブーム」は、美術館に足を運ばない層の人々にも作品に親しむ機会や、屋外インスタレーションを得意とする作家の活躍の場を広げたが、ともすれば単調な作品巡礼にもなりがちで、1、2回で終了してしまうケースも少なくない。しかし、「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ」は、コンパクトな形態を保ちながら今年で3回目を迎え、地元の美大である東北芸工大が中心となり、学びの場や地元での仕事を作り出している。その魅力とこれまでの変遷を、各地の芸術祭に足を運んできたアートライター・白坂由里がレポートする。

山が見えるまち

坂道を降りる周遊バスの窓から、同じ速度でついてくる山を見ていた。

東北芸術工科大学が主催し、絵本作家でアーティストの荒井良二が芸術監督を務める「みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2018」。3回目となる今年は「山のような」をテーマに、アート・食・映画・音楽・ファッションなどの多彩なプログラムが行われた。

この芸術祭は丁寧に手の届く範囲でデザインされていて、エリアもコンパクトだ。山形駅から周遊バスで10分の七日町に位置する「とんがりビル」や山形県郷土館「文翔館」を中心とした「文翔館エリア」と、そこからバスで15分の「東北芸術工科大学エリア」との2エリアで、1日で回ることも不可能ではない。小高い山の上にある大学とふもとの街場を上り下りするような地理感覚。山が見えるまち。山は街場の生活とも地続きだろうか。


文翔館。広場にはトラフ設計事務所+石巻工房の《さんもん》を設置。[撮影:志鎌康平]

9月15・16日の1泊2日の旅。山形ビエンナーレに行くのは初めてだったが、プログラムディレクターの宮本武典を、アーティストとして活動していた1990年代から知っていて、6月にインタビューする機会があった。東日本大震災の後に芸術祭が立ち上がった経緯を先に振り返ってみたい。

東日本大震災を契機として立ち上がった芸術祭

山形市には現代美術を紹介する美術館がない。14年前に東北芸術工科大学美術館大学センターにキュレーターとして赴任した宮本は、当初は東京と同様の重厚でカッティングエッジな展覧会を企画していたが、山形に縁がないと地元のメディアに紹介されないことに気づく。そこで、アーティストがフィールドリサーチをしてつくりあげるレジデンス型の展覧会を実施。その過程を実践的に学んだ学生たちも、次第に自らまちに出て、地元と協働するようになった。古いビルや蔵をリノベーションしてオフィスや店を立ち上げたり、行政機関に就職してまちづくりに参画したりと、山形に残る卒業生が増えていく。

宮本が「山形ビエンナーレ」の前身となる「山形じゃあにい」から山形出身の絵本作家・荒井良二と協働しているのは、「大地の芸術祭 越後妻有アートトリエンナーレ」で田島征三の「絵本と木の実の美術館」を見て、絵本作家のもつ多様性に気づいたのがきっかけだった。2010年と2012年の展覧会「山形じゃあにぃ」の間に東日本大震災が起き、山形に避難してきた母子同士をつなぐようなワークショップも行なった。そのなかで「被災地には色がない」という声が挙がり、2014年から「山形じゃあにぃ」を拡大して「山形ビエンナーレ」を立ち上げ、荒井を芸術監督として、東北が有する四季による色彩の豊かさ、コミュニティの絆の強さなどの復活を目指した。


荒井良二[撮影:志鎌康平]

山形ビエンナーレは、アジアで最初の国際ドキュメンタリー映画祭として1989年から続く「山形国際ドキュメンタリー映画祭」と交互に開催。東北の暮らしや地域文化への深い共感と洞察から地元のための新しいお祭りをつくろうとするなかで、ジャンルも広がっていく。

「みちのおく」=道の奥には、3.11後、世界の方向性が見えない=「未知の奥」という意味も掛けられている。そんな状況における「みちのおくの芸術祭」は芸術祭をつくるワークショップだと荒井と宮本は語り続けている。そして、芸術祭のない日常においても創造性が発揮されるまちにしたいと、回を重ねてきた。例えば、閉店していた古書店「郁文堂書店」が2016年の山形ビエンナーレを契機にリニューアルオープンを果たし、今回もビエンナーレ会場となっていた。芸術祭を見て東北芸工大に入学する学生も現れるほど、日常への還元が見られる。

街場を彩る文翔館エリア

こうした経緯が重なって見えてくる芸術祭。まずは宮本がプログラムディレクターをつとめる街場の文翔館エリアから振り返ろう。 

山形市の近代史を綴る資料館「文翔館」では、野生動物を描いたミロコマチコの絵画インスタレーション《みみなり》、山形の伝統的なこけしづくりとインタラクティブなメディアアートをカップリングしたWOWの《ハレとケ》などが、回遊型の建物のなかで楽しめる。デザイナー大原大次郎の《もじばけ》は、文字になる前の絵のような文字を、映像や写真、立体などで空間に浮遊させていた。言葉になる前の目に見えないもの。


大原大次郎《もじばけ》展示風景[撮影:根岸功]

敷地内にある議場ホールでは、荒井の新作絵本『山のヨーナ』を立体絵本にしたような空間が広がっている。そこで荒井とミュージシャンの寺尾紗穂のライブを見た。観客に小さな紙片が配られ、「ヨーナの店で売っていそうなものは?」という問いに自由に言葉を書いて返した。集められた数々の言葉を、観客から選ばれた数名が次々と読み上げる。「ぶどうジュース」「土偶」「オーロラのカーテン」……。荒井は小屋の屋根の上で(アスリートのように)描き続けるドローイングが、会場に張られたロープを滑るように運搬された。

文翔館エリアの展覧会のトーンは、子どもとおとなの領域を行き来するようなこの荒井のキャラクターに依るところが大きい。リラックスして観客のなかに溶け込み、直感的に行動する。それは、子どもから飛び出す「今」に嘘のない即興に近い。この芸術祭に家族連れが多いのは、親しみやすいからばかりではなく、子どものなかにある人間の本質を大人たちが思い出すような場だからだろう。まず音を出してみるように、そこにある限られた素材を組み合わせて、楽しく暮らしていく技術やアイデアを持ち寄る。そんな即興力が、震災をはさんだ「山形じゃあにぃ」以降、発揮されてきたのかもしれない。


荒井良二と寺尾紗穂の即興ライブ『山のヨーナ』文翔館議場ホール[撮影:志鎌康平]

文翔館から少し歩く「とんがりビル」は、現在の山形の気運を象徴する。古いビルをリノベーションし、帰郷または移住した若い世代のデザイナーや写真家のオフィス、カフェなどが寄り集まっている。そこでは、多摩美術大学卒業後「食とそのまわり」で活躍する「山フーズ」の小桧山聡子が、最上郡真室川の伝承野菜農家を中心とした、豊かな自然とともに生きる人々の「食をめぐる生命の現場」を取材して料理を創作。東京暮らしの自らの揺らぎも含め、写真や映像などでドキュメンテーションを展開した。

とんがりビルの前は、いまは名前だけが残る「シネマ通り」。ワタナベアニが撮影した架空の映画のポスターが、かつては映画館で賑わった通りに張り出された。少し先の長門屋ひなた蔵・塗蔵では、映像作家・写真家の茂木綾子の新作ドキュメンタリーが上映展示されていた。修験道の聖地・出羽三山を訪ね、老山伏の薫陶を受けながら、山と人の関係を撮り下ろした『山と人』『火の子』の2編。そしてトチノキの原生林のほとりで蜜蝋キャンドルをつくり続ける職人を撮った『森の光』。


山フーズ《ゆらぎのレシピ》展示風景[撮影:志鎌康平]


茂木綾子『火の子』2018[撮影:根岸功]

茂木のカメラは滝行する老山伏に近づき、勢いよく流れ落ちる雫までもとらえる。その滝の線の束からときおり見える山伏の顔。山伏が語った「人間が生まれたときには誰もが感じる知性を持っている。成長するにつれて、感じる知性を忘れてしまい、考える知性でものごとを判断するようになる」という言葉が胸に響いた。この日、茂木と夫のヴェルナー・ペンツェルが監督した『幸福は日々の中に。』に収められたしょうぶ学園の施設長・福森伸のトークもあり、この言葉はその中でも重要視された。

その夜、山形駅方面の映画館「フォーラム山形」でペンツェルとの共同監督『ZEN FOR NOTHING〜何でもない禅』と茂木綾子監督『山と人』『火の子』『森の光』特別編集版の特集上映会があり、中山ダイスケ(東北芸術工科大学学長)とのトークも行われた。『ZEN FOR NOTHING』は、スイス人女優のサビーネ・ティモテオが兵庫県にある曹洞宗の寺院・安泰寺を訪れ、夏から春の一年間修行する姿を追った作品。住職はネルケ無方というドイツ人で、さまざまな国から集まった男女の修行——清掃、薪割り、農作業や料理、座禅など生きるための仕事、合間にギターを奏でるなど休息する姿も描かれる。雷や雨、揺れる樹木の葉、みみずなど、絶えまなく移りゆき、つながっていく命。日々のリズム・作法・規則あるいは畳や板目・座布団までもが「フレーム」に見え、その枠のなかに当てはめられるようで苦しかったが、「ただ、それをするだけになった」と境地の変化を語るサビーネ。この作品も「今」を生きよと語りかけてくる。しかもそれは「欲望」でも「選択」でもなく「必然」ということなのだろう。


掘り起こされた山形。東北芸術工科大学エリア

翌日は、東北芸術工科大学を会場とし、全体を三瀬夏之介がキュレーションした展覧会「山のような100ものがたり」に足を運んだ。教授も学生も区別なく作家として参加し、これまでの「山形らしさ」のイメージからは見えてこない部分に足を踏み入れ、民俗・博物資料やアート作品、地域の土産など100作品を展示。「驚異の部屋(ヴンダーカンマー)」の様相だ。「美」を軸として近代化の歴史を掘り起こしながら、キナ臭い時局にも警鐘を鳴らしている。

そのうち本館7階で行われた三瀬と宮本晶朗のキュレーション「現代山形考」は、井戸博章の「文化財修復」から始まる。「作品の寿命はあるのだろうか? 収蔵され保存が続けば永遠に生きているのか」と作品にとっての生死について考え、問いかける。大江町の廃村の神社に残された風神雷神像。明治初年の神仏分離令によって本殿の仏像は撤去され、この2体だけが残されたと推測されてもいる。素朴な造形と存在感に衝撃を受けた大山龍顕は、光背をイメージした二曲屏風を制作した。

続いて、未婚で亡くなった人の供養のため、近親者が婚礼の様子を描き奉納する「ムカサリ絵馬」がずらりと展示されている。せめて死後の世界で結婚を、という近親者の思いのもと遺族から奉納されたこれらに、絵の源のようなものを感じながらも展示物としていいものかと逡巡する。このムカサリ絵馬からインスピレーションを得たハタユキコと狩野宏明の絵画も展示。

また、仏師修行後に上京して西洋彫刻を学んだ山形出身の彫刻家・新海竹太郎に光を当て、ブロンズ像の石膏模型などを展示。そこから発想し、型そのものを作品化した深井聡一郎は、彫刻を問う集団「AGAIN-ST」のメンバーでもある。奥の工芸棟では、冨井大裕、藤原彩人らとともに、ゲストにL PACK.らを迎え、展覧会「カフェのような、彫刻のような」を開いていた。カフェ空間のなかに彫刻を展示する喫茶店「NEL MILL」と山の上の陶器市で、「ものづくり」とは異なる角度から、工芸とアートとの境界線をもゆるやかに超えようとしていた。


右壁/ムカサリ絵馬。正面の壁、左/ハタユキコ《ワンダフルニッポン》2014 右/狩野宏明《M》2018 「現代山形考」展示風景[撮影:根岸功]

新海竹太郎作品と現代作家の共演。「現代山形考」展示風景 [撮影:根岸功]

彫刻のある喫茶店「NEL MILL」[撮影:根岸功]

楕円の夢

2つのエリアの方向性は対極的ともいえ、どちらかを選ばなければいけないのかもしれないが、観客は「大学」と「街場」で、読解や体験の仕方を自ずと変えていたようにも思う。特に年配者は仏像彫刻に日頃から慣れ親しんでいるようだった。

16日の寺尾紗穂のライブ「たよりないもののために」でラストに歌われた『楕円の夢』にはこんな歌詞がある。ちなみに、この歌は、花田清輝のエッセイ『楕円幻想』から発想されて作られたものだ。「ほんとはどちらか知りたいの どちらもほんとのことなんだ そんな曖昧を生きてきた」「明るい道と暗い道 狭間の小道を進むんだ」「世界の枯れるその日まで 楕円の夢をまもりましょう」。3.11以降の現在において、文翔館エリアは“それでも明るく生きる”ヒントがあり、「100のものがたり」は“暗がりを忘却させない”展覧会であった。前者がこれまでの積み重ねで復興を叶えつつ、後者がその過程で見ないことにしてきたものはないかと、問い返す。相反するようでいて、同じ軌道を周回している。「山形ビエンナーレ」は真円ではなく、2つの焦点がある楕円だった。

そしてこのように迷い、葛藤し、笑い、挑戦する姿がまちの人たちにも見える状況で、次の世代が引き継げる器をつくっていく。その過程に、山形ビエンナーレのような、長い時間をかけて継続している芸術祭の「価値」があると思う。


弾き語りライブ「寺尾紗穂/たよりないもののために」[撮影:志鎌康平]


みちのおくの芸術祭 山形ビエンナーレ2018「山のような」(終了しました)

会期:2018年9月1日〜24日の金・土・日・祝日13日間
会場:山形県郷土資料館 文翔館/東北芸術工科大学ほか
詳細:https://biennale.tuad.ac.jp/

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