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毛利悠子 しなやかなレボリューション

荒木夏実(東京藝術大学准教授)

2018年11月15日号

10月27日(土)、毛利悠子の個展「ただし抵抗はあるものとする」が十和田市現代美術館で始まった。2015年の日産アートアワードグランプリ受賞以降、芸術選奨文部科学大臣新人賞の受賞(2017)、コチ=ムジリス・ビエンナーレ 2016(インド)およびリヨン・ビエンナーレ2017(フランス)、パリやニュージーランドでのグループショーへの招待、ロンドンでの個展開催、そして来たる11月24日から始まるオーストラリアのアジア・パシフィック・トリエンナーレへの参加など、国際的アートシーンでの快進撃が続く毛利。それゆえに今回が日本国内の美術館での初個展と聞いて意外な気がした。


《ただし抵抗はあるものとする(カウンターレリーフ)》展示風景 2018
[撮影:小山田邦哉]

しかし考えてみれば、20〜30代のアーティストの個展が日本の都市部の美術館で開かれることは珍しい。東京などの美術館で若いアーティストを扱う個展がなかなか行なわれないその保守性は問題だが、それだけに地方の美術館でのチャレンジングな展覧会のもつ意味は大きい。本展はキュレーターの金澤韻と毛利の息がぴったりと合ったクオリティの高い企画である。

筆者はロンドンのカムデン・アーツ・センターで開催された個展「Yuko Mohri: Voluta」(2018年7月6日〜9月16日)を見る機会に恵まれた。展覧会名の「Voluta(ヴォルータ)」とは、巻貝や渦を示すラテン語に由来する言葉で、バイオリンのネックの渦巻き模様やイオニア式柱の装飾を示す際にも使われる。渦巻きや循環、見えないエネルギーが巡っていく有様に焦点を当てたこの展覧会は、十和田での展示につながる、あるいは対となる毛利の仕事として捉えることが可能だと感じた。両展覧会を通して彼女の表現について考えてみたい。

カムデン・アーツ・センター個展「Volta」の展開


カムデン・アーツ・センターは、ヴィクトリア朝時代の図書館を改装した現代美術館で、優れた展覧会を開催するとともにアーティスト・イン・レジデンスや地域に向けた教育プログラムにも力を入れている。そのような美術館の方針とクラシカルな建築、カフェや庭が有機的につながって親しみやすい雰囲気が生まれ、スノビッシュになりがちなロンドンのアートスペースとは一線を画した場所となっている。日産アートアワードグランプリ受賞の特典としてロンドンに滞在した毛利は、2016年にこの場所でのレジデンスを体験している。

毛利の展示に与えられた二室のうち広い方のギャラリーは、空調や冷暖房設備のない部屋で、アーチ型の高い天井や出窓から降り注ぐ自然光など、ホワイトキューブとは全く異なるさまざまな要素(ノイズ)に溢れている。建物の歴史や屋外の日常が感じられるユニークな、しかし制御しにくいこの空間を毛利はポジティブに捉え、楽しんでいることが伝わってくる。自然の「エラー」を作品に取り込む毛利にとっては、展示環境への挑戦もまた制作の一部なのだろう。



「Yuko Mohri: Voluta」展 展示風景 2018
[Photo: Damian Griffiths Courtesy: Camden Arts Centre]

部屋に入ると耳に入ってくる楽器の音。部屋の中央にある改造されたオルガンが、主なきままに音を鳴らしている。さらにひときわ目を引くのは入り口付近に置かれた水槽だ。シンプルな木製の台に設置された水槽の中に、黒い金魚が3匹泳いでいる。目を移すと、丸い鏡の上に置かれた円状のコイルとコンパスの針、垂れ下がるチェーンに触れながら回転するスプーン、天井に吊られときおり開閉するブラインド。この新作インスタレーション《Flutter》は、水槽に設置された光センサーが金魚の動きに反応し、その信号がオルガンのペダルへ、さらにその先へと伝わることによって動きが連鎖していく仕組みになっている。



《Flutter》2018
[Photo: Damian Griffiths Courtesy: Camden Arts Centre]

同じ部屋にあるもうひとつの作品《Voluta》を見ると、ガラス板を載せた箱型のコンクリートの彫刻からコイル状に巻かれた黒いケーブルの束が垂れ下がり、そのそばに吊られたレンズ型のガラスの円盤と小さな金属のオブジェが接触してチリチリと神経質な音を立てている。音楽がアンプを通して電気信号に変換され、さらにケーブル内で発生する磁力によって揺れが生じるという仕掛けである。



《Voluta》2018
[Photo: Damian Griffiths Courtesy: Camden Arts Centre]

1934年製のリードオルガンの美しくもユーモラスな音、スプーンが鳴らす鈴、ガラスと金属から生じるわずかな音。さらには表の通りから聞こえてくるパトカーのけたたましいサイレン音や来館者たちの話し声が入り混じって、スペースは音に溢れていた。遅くまで日が高いロンドンの夏の夜のギャラリーでは、人、魚、モノたちの幸せな饗宴が繰り広げられていた。あらゆるノイズを音楽に取り入れようと試みたジョン・ケージによるサウンド・パフォーマンス《ヴァリエーションVll》(毛利は2011年に足立智美らと共に日本初の再演を行なっている)に倣って金魚を使ったという毛利にとって、この状況は満足な結果だったに違いない。



《Flutter》(部分)2018
[Photo: Damian Griffiths Courtesy: Camden Arts Centre]

さらに普段は読書室として使われている小部屋には、もうひとつのインスタレーションである《鬼火》が展示された。扇風機の風に揺れるカーテンが、微弱な電気を流した網戸に触れると火花を放って通電し、ケーブルを伝って鉄琴が鳴るというもの。暗闇のなかで生じる花火のような光とガムランに似た音色が、陽光が降り注ぐ広いギャラリーの展示とは対照的なミステリアスな精神世界を表現し、メリハリを見せていた。



《鬼火》2013-/2018
[Photo: Damian Griffiths Courtesy: Camden Arts Centre]

また、初の試みであるシルクスクリーン2点が新鮮な印象を与えていた(図版《Untitled #01》)。イオニア式柱の柱頭やカセットテープ、電線のコイルなどをコラージュしたこれらの作品は、本展のテーマであるヴォルータ、すなわち渦巻きとその循環性を象徴するものである。モノクロの銅版画のようなトーンが古風な雰囲気を醸し、いにしえと現在とをフラットに捉えようとする試みにも見える。



《Untitled #01》2018
[Photo: Damian Griffiths Courtesy: Camden Arts Centre]

続く「渦、螺旋、回転」のテーマ


この「Voluta」展を始まりとすると、十和田市現代美術館での「ただし抵抗はあるものとする」はその第二章ということができるだろう。カムデン・アーツ・センターで見えないエネルギーが渦のように巡って物体を動かし、音楽を奏でる様を軽やかに表現した毛利は、十和田で改めて螺旋や回転体に注目し、よりパワフルで硬質な印象を与える展示を構成した。

その中心となる作品《墓の中に閉じ込めたのなら、せめて墓なみに静かにしてくれ for V.T.》に焦点を絞り、毛利の試みを探りたい。パリのパレ・ド・トーキョーでの「子ども時代」展(CHILDHOOD: Another banana day for the dream-fish, 2018年6月22日〜9月9日)で最初に発表した作品をヴァージョンアップしたもので、迫力あるインスタレーションとして完成された。展示室に入ると、天井までそびえる螺旋階段、そして3台の回転するスピーカーが異彩を放つ。三脚の上に据えられたメガフォンのような形の一対のスピーカーは、高音部のホーンと低音部のローターを回転させて音の広がりの効果を生むレスリースピーカーに着想を得たもの。このレスリースピーカーは、パイプオルガンの音を再現する電子楽器ハモンドオルガンに使われることが多い機器だという。会場いっぱいに電子音と鐘の音が混ざったような独特の音が鳴り響く。ギターのエフェクターであるイーボウでピアノ線を振動させて作ったという音源は、スピーカーの回転が加わることで複雑な音色に変わる。それぞれのスピーカーは止まったり動いたりとプログラミングによって異なるシーンを見せ、音の組み合わせもまた次々に移り変わる。さらには鉄製の螺旋階段も回転し始める。明暗が変化する光によって、動くオブジェのシルエットが影絵のように床や壁に映し出される。このシアトリカルなパフォーマンスは17分で一巡し、繰り返されていく。



《墓の中に閉じ込めたのなら、せめて墓なみに静かにしてくれ for V.T. 》展示風景 2018
[撮影:小山田邦哉]

多様な「抵抗」と「レボリューション」のかたち


カムデンでの展覧会が「陽」だとすれば、この十和田の展覧会は「陰」と言ってもいいほどに趣が異なり、それはこの作品タイトルにも表れている。「墓の中に閉じ込めたのなら、せめて墓なみに静かにしてくれ」とは、19世紀のフランスの革命家ルイ・オーギュスト・ブランキからの引用だという。長年投獄されていたブランキは、幽閉された要塞内に外からの騒音が伝わって起こる反響音に耐えかねて、この言葉を発したのだという。毛利の作品から生じるうねるような音は、瞑想を誘う魅力を放つと同時に、先の見えない不安定さをも感じさせる。部屋の暗闇に閉じ込められ、この音を聞き続けるとしたら耐えられないだろう。心地よく耳を楽しませる一方で暴力的な存在になりうる音の性質を、ブランキの言葉が示唆している。



《墓の中に閉じ込めたのなら、せめて墓なみに静かにしてくれ for V.T. 》展示風景 2018
[撮影:小山田邦哉]

作品タイトルの最後に加えられたV.T.とは、ロシア・アヴァンギャルドを代表するウラジミール・タトリンのことで、作品中の螺旋階段はタトリンが構想した《第3インターナショナル記念塔》(1919)を参照している。タトリンが設計した金属とガラスを使った回転する塔は、実際の建築には至らなかったが、ロシア革命が起こって間もない頃の社会主義の理想を象徴する画期的なデザインだった。毛利は「レボリューション」という言葉のもつ「革命」「回転」「天体の公転」という複数の意味に注目し、革命家と回転運動、さらには宇宙の動きを結びつけている。先述のブランキは、幽閉中に『天体による永遠』という宇宙論を執筆したという。



ウラジミール・タトリン《第3インターナショナル記念塔》のモデル 1919

展覧会名であり、毛利の新作インスタレーションのタイトルでもある「ただし抵抗はあるものとする」という言葉からも「革命的」なニュアンスが感じられる。これは、物理の試験問題などに記述される「ただし抵抗はないものとする」という条件をもじったもの。問題を単純にするために排除される「抵抗」すなわち毛利が「ノイズ」と呼ぶものは世界に溢れている。「抵抗のレベルは人それぞれで、革命の方法もまた多様だと思う」★1と毛利は語る。彼女の作品は政治や社会問題を声高に語るものではない。しかし毛利は、光、風、電気、磁気、音などの目に見えぬものや、用済みとして捨てられるガラクタや古い楽器が新たに出会うこと、すなわち「巡りあう」ことによって生まれるエネルギーが、人の、歴史の、宇宙のレボリューションにつながることを突き止めようとしている。このたゆまぬチャレンジは、それらをないものとして処理することへの「抵抗」であり革命的態度なのだと思う。

思考のバックボーン


革命や抵抗をキーワードにして、エッジの効いた展開を見せた十和田の展覧会は、毛利のアーティストとしての力強さとポテンシャルを発揮した内容であった。もっとも、彼女の活動の始まりがヴィジュアルアートではなくハードコアバンドでの演奏や実験音楽だったこと、多摩美術大学で三上晴子からメディア・アートを学び(おそらく三上の過激でパフォーマティブな思考や活動からも影響を受けたであろう)、久保田晃弘や畠中実を通してサウンド・インスタレーションに触れたという過去をたどれば、音や動きへの感覚の鋭さと表現の幅の広さには納得がいく。

毛利のアーティストとしての強みは、サウンド・アートやメディア・アートの領域にとどまることなく、独自の連想とナラティブを加えながら作品を開いていくところだろう。そしてデュシャン、タトリン、ケージに到るまで、尊敬するアーティストたちに臆することなく接近し、つながっていく。見る人はそれぞれの体験や知識と作品との接点を探し、楽しむことができる。そのオープンな態度が、国境を超えて多様なオーディエンスに受け入れられる要素となっているのだろう。

ときに軽やかに遊び、ときに重厚さを見せながら回り続ける毛利の世界。しなやかなレボリューションとも呼ぶべきアーティストの思考を、ロンドンと十和田の二つの展覧会を通して確かめることができた。


《ただし抵抗はあるものとする(カウンターレリーフ)》(部分) 2018
[撮影:小山田邦哉]

★1──アーティストトーク(十和田市現代美術館、2018年11月3日)

毛利悠子 ただし抵抗はあるものとする

会期:2018年10月27日(土)〜2019年3月24日(日)
会場:十和田市現代美術館(青森県十和田市西二番町10-9)
□まちなかの会場
会場1:自転車専科ナカムラ(青森県十和田市稲生町16-42)
時間:9:00〜18:30(日曜休み)
会場2:松本茶舗(青森県十和田市稲生町17-5)
時間:9:00〜18:00(年中無休)
※都合により開店時間や休日が変更になることがあります。

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