フォーカス
【デン・ハーグ】オランダのアーティストのスタジオ獲得方法
佐脇三乃里(アート・コーディネーター)
2019年02月01日号
2000年代に入り、日本では観光や地域振興と一体となり地域資源を活用したプロジェクト型のアートの祭典が全国各地域で展開されるようになった。美術館など既存のビルディングタイプにとらわれない空間を活用したアート活動は、アーティストに自らのアイディアを発展させる機会を提供するとともに、都市や地域に新たな価値を創出する機会となっている。時代とともに制度や風潮が変わりゆくなか、アーティストたちは制作のための環境を求めて移動を繰り返したり、ある時は共同体を形成することで独自のスタイルによる場を作り出している。
アーティストはどのようにしてスタジオを獲得するのか。オランダ、デン・ハーグにおける実践を歴史的な背景と合わせて紹介する。
スクォット・ムーブメントの始まりと終わり
スクォット(squat)とは、1年以上使用されていない建物に所有者の許可なくその建物を占拠し利用することができる行為のことで、オランダでは法的に禁止となる2010年まで続いていた
。この始まりは、1960年代のオランダ住宅不足が関係している。当時、多くの空き家が存在していたにも関わらず、不動産所有者は市場価格の上昇を待ち続け、建物を何にも使わずに空き家を放置していたのである。こうした状況に対して人々からの反発は大きくなり、居住地を確保するために使われていない建物を占拠するようになっていったのである。このスクォットが法的に認められたのは1971年のことで、この時、投機目的で不動産を一年以上空き家のままにしておくことが法律上禁止となったのである。スクォットをする人たちはスクォッターと呼ばれ、集団をつくり、物件のリサーチや実行計画を念入りに行なうのである。占拠の際は、ベッドや椅子、テーブルなどの家具を室内に持ち込み設置することで建物を占有していることを示すのである。こうしたスクウォットの手法はハンドブックになるほど広がりを見せていったようだ。
1980年代に入るとスクウォッターの運動はますます加速していく。特にアムステルダムでは警察によるスクォッターの立ち退きが実行され、機動隊が出動するほどの事態に発展した。このように街が荒れた状況は1980年4月30日のベアトリクス女王の戴冠式の時まで続いた。スクォッターたちは“Geen Woning, Geen Kroning (家がなければ、戴冠式はない)”をスローガンに掲げ、機動隊との間で激しい対立を起こしたのである。「都市戦争」とまで呼ばれたこの歴史的な事実は、さまざまな物議を醸すようになる。本来は経済的な理由などから手頃な場所を確保するために始まったスクウォットだが、ムーブメントとして広がりを見せるなかで少しずつ当初の姿が変わり、2010年10月に終わりを迎えた。
スクォットによって誕生したアーティストのスタジオは、現在もデン・ハーグ市内に複数存続している。そのひとつが1992年にパン工場だった場所をスクウォットして設立したQuartairというアーティスト・イニシアチブである。メンバーはKoninklijke Academie van Beeldende Kunsten(デン・ハーグ王立芸術アカデミー)の卒業生で、デン・ハーグではスクォットによってスタジオを作った最初の世代と言われている。
当時、王立芸術アカデミーを卒業したばかりの若いアーティストたちは、手頃なスタジオを見つけるためのネットワークが少なかったため、アーティストとしての活動を続けることが困難だった。そんななか、自分たちのスタジオを確保しようと、当時アムステルダムで盛んだったスクォットを模倣しながら実践する若者たちがデン・ハーグにも出現したのである。現在は11人のアーティストが自分のスタジオを構えている。設立当初より国際交流の場としてオランダ国外からアーティストやキュレーターを招いた展覧会の運営も行なっている。
建物所有者との間でしばしば争いが起こるスクォットだが、Quartairの場合は建物の所有者である個人オーナーから活動についての理解と信頼を得た良好な関係を築いていた。途中で行政が建物を購入したことでオーナーが代わるわけだが、この時ちょうど行政内部でも建物を管理する所管がDSOという都市開発系からOCWという文化を担当するセクションに代わったタイミングだった。このことが何を意味するかというと、OCWもまたQuartairの活動を良く理解し、当時、他では見ることのなかった国際交流の活動について高く評価したのである。アーティストの地道な取り組みは信頼と評価を得て、活動継続の維持に繋がっているのだろう。
不動産管理の新たな手法──テンポラリーであること
1990年代初頭、スクォッターに建物を占拠されることと防ぐためのアンチ・スクォット(anti-squat)と呼ばれる仕組みが誕生したと言われている。アンチ・スクォットは建物の所有者の権利を尊重しながら一時的に空き物件を管理し、低い賃料でその場所を貸し出すという仕組みだ。この手法は一見、手頃な価格の住宅不足の問題を解決する糸口となるかのような規約であるが、利用者は低い賃料で場所を使える代わりに、いくつかのリスクを負わなければならない。建物のセキュリティあるいは管理者として利用すること、退去勧告を受けたら約1ヶ月以内に退去しなければならないこと、建物の買い手がいつ訪れてもよいように空間を劇的に変化させることはできないこと、などである。利用者にとって空間の自由度が低く、ましてやアーティストなど創造的な活動をする者にとっては制限の多い仕組みなのだ。
2008年にデン・ハーグに設立されたANNA Vastgoed & Cultuur(以下、ANNA)は、アンチ・スクウォットの仕組みを使い、空き物件を一時的に管理し、クリエイティブな分野での活動に対してスタジオのレンタルを行なう民間の団体である。管理する建物のオーナーはデン・ハーグ市や中央政府の不動産庁など公的機関が多く、市内を中心に24件の建物を管理している(2018年10月時点)。ANNAのディレクターのウィレマイン・デ・ボア(Willemijn de Boer)は「使われていない空間にターゲットとなる人をマッチングさせることは建物に新しい活力を生み出し、それ自体が創造的な活動の第一歩になる」と話す。
例えば、暫定2年で管理することとなった旧・在オランダ米大使館(LV102)の建物はデン・ハーグ市が所有しており、ミュージアム地区計画WESTとパートナーシップを組み、通常のスタジオレンタルに加え、ギャラリー機能を持つ文化的な場を作ることをコンセプトに建物の活用が進められている。建物の構造的な問題もあり、当初の予定を大幅に遅れて2019年2月にグランドオープンする予定だ。
という将来構想に位置付けられている。この構想を実行するまでの準備期間も建物をパブリックに開くことが行政から求められ、ANNAは市内のギャラリーこのように、一時的=テンポラリーであることは、管理やセキュリティとしての役割だけでなく、実験的な出来事を許容し、将来の街の姿をイメージする上での手助けの方法となり得る。しかし、旧・在オランダ米大使館に関して残念だと感じるのは、建物の機能として設計されたギャラリーとスタジオがそれぞれ独立した存在となっていて、スタジオを利用するアーティストがただの利用者となっていることだ。ANNAにとって重要な役割は建物をきちんと維持管理すること、そして空間の新たな活用方法について考えることであり、建物の中で活動する人をマネジメントする組織ではないのである。
アーティストのためのスタジオプログラム──メディエイターの存在
Stroomは1990年に設立したアートセンターで、デン・ハーグ市に在住するビジュアル・アーティストを対象にアーティストの活動を支援する非営利組織である。Stroomに登録したアーティストは、助成支援やさまざまな情報提供の機会を持つことができるのである(当然、登録には審査がある)。設立当初より、アートだけでなく建築やデザイン、パブリックアートなど都市環境にも目を向けた活動理念を持ち、幅広いプログラムを展開している。
そのひとつがスタジオプログラムの取り組みである。スタジオプログラムの役割は、その場所にどのアーティストがふさわしいのか、スペースを貸すことでその場所がどのような価値を創出するかを見極めることである。しかしこのことは、地域の発展や活性化をアーティストに要求しているのではない。Stroomは市や国からの補助金を受けているため社会的影響力を求められるが、例えば地域活性の手助けするような多様な領域から働きかけをするようなことでは出来ないという。芸術そのものが本質的に社会を作る価値を持つという理念のもと、アーティストに情報を提供することや人々にアーティストをつなぐことに重点をおき、それが間接的にも社会的インパクトを持つそうだ。そのため、スタジオプログラムではただ単にスタジオを使うということは認めていない。オープンスタジオや展示などを通して一般に開くことが条件に組み込まれている。そのため、スタジオ空間には展示をする機会としての「展示スペース」、自分の作業スペースではできない活動を実践できる場としての「プロジェクトスペース」、食事や会話から情報を集める社交的な場としての「キッチンスペース」の3つが意図的に設けられている。
スタジオプログラムは、アーティストと行政との間に存在するメディエイターのような存在として、行政(文化、都市計画、不動産)そして不動産関係との協働を築き、アーティストが必要とする価格が低く抑えられているスタジオを提供することに努めている。一般的に、不動産の専門領域にいればアートについて何も知らないのが当然だが、そこにこそ両者が興味を持つところがないかをいまも探り続けているのだ。
アートに限定することではないが、オランダには何事も実験的に取り組み、可能性をゼロにしない姿勢があるように思う。デメリットについて考えるよりも、それを解決するために新しいプロセスを生み出そうとするような、そんな寛容性がアーティストの存在や活動の受け皿になっているように感じる。現代アートや音楽、映画、デザインなどジャンル毎に開催されるフェスティバルが多いのも、見る側の興味や理解だけでなく、楽しみや喜びなどといった日常の豊かさをアートの中に自然と求めているような印象も受けた。
場づくりやコミュニティ形成と表裏の関係にある日本のアートプロジェクトもまた、アートを日常の中に取り込もうとしているが、そのためにはアーティストが何者であるかを知ることも必要だし、伝えることも大切だ。Stroomのメディエイターの逞しさは、アートの専門的な知識でもって異なる領域を横断しながら、そこに小さな接点と信頼関係を築くことにあるように思う。
スタジオの獲得方法の行方
ここ数年、オランダでは不動産価格の高騰が進み、住宅価格指数は2018年5月に最高記録を達している
。オランダに住む多くの人が、手頃な価格の空間がなくなることに不安と憤りを感じ、2018年5月1日にデン・ハーグ市内でジェントリフィケーションに対するデモがあった。“een stad voor de mensen geen speeltuin voor de rijken”(都市は人々のためのもので、お金持ちの遊び場ではない)と書かれたバナーを持ちながら約200人に及ぶ行進が続いた。時代とともに不動産に関する制度や仕組みが変容するなか、今もなおアーティストたちは日常の場を探し求めて試行錯誤を繰り返しているような、そんな現実を垣間見たような瞬間だった。空間を必要としているのはアーティストだけではなく、若い人や難民の人たちもまたそれを必要としているのが社会の現状だ。不動産とアートという二つの異なるマネジメントの視点にはそれぞれが捉える創造性への評価に相異があるが、二つが接点を持つことで創造的な場所やアーティスト・イニシアチブを維持するための手法が広がるのではないかと期待を感じている。
ANNA Vastgoed & Cultuur
(Zeestraat 64, 2518 AC Den Haag)
Stroom
(Hogewal 1-9, 2514 HA Den Haag)