2020年10月15日号
次回11月2日更新予定

フォーカス

【ウィーン】コロナ禍を生きる──排除と存在の否定に抗して

丸山美佳(インディペンデント・キュレーター)

2020年10月01日号

ウィーンの中心地には観光客が戻り、9月頭より国立オペラなど大型劇場が再開し、例年どおりアートフェアやフェスティバルなど秋の文化イベントが入場制限をしつつ開催され、表面的には活気を取り戻し始めているように見える。3月のロックダウンとは打って変わって街はとてもリラックスした雰囲気であるし、レストランやカフェには多くの人々が友人たちとの時間を楽しんでいるようだ。しかし9月中旬より再びコロナウィルスの感染拡大にも直面している。EU内の複数の国からも危険エリアに指定され、数日毎に規制が書き換えられ、そのたびに現場はその変化への対応を求められている。移動には大きな負担と制限がかかっており、自身の目で実際に見ることのできる活動が狭まり、未来への見通しがたたない現状において、ここ半年を簡単に振り返りながら、オーストリアを中心にコロナ禍の政治やそれを取り巻く芸術の実践を捉えてみたい。

ウィーンでのBLMデモ

今年の5月末から、アメリカのミネアポリスに始まり世界中に広がりを見せ続けているBlack Lives Matter(以下、BLM)はオーストリアでも大きく展開された。警察による黒人への暴力はオーストリアの黒人コミュニティにとっても他人事ではなく、6月頭に開催されたデモは主催者の予想を大きく上回る5万人が参加したと言われている。今年3月頭にイタリアでの感染拡大を受けて欧州のなかでも厳しいロックダウンを敷いていたオーストリアにおいて、規制が解除され徐々に外出し始めた直後に開催されたデモは、多くの人にとって久しぶりに人々と触れ合う機会でもあっただろう。二日間に渡って行なわれたデモの参加者の多くが若者であったのも印象的だった。デモが通る道に面した窓から野次を飛ばしたり水をかける人がいたり、一瞬ひやりとした場面もあったが、穏やかな天気の下に終始和やかに行なわれた。


ヴォティーフ教会前のシグムント・フロイト公園(2020年6月5日)[筆者撮影]


一日目のデモはミュージアム・クォーターにあるマーカス・オモフマ(Marcus Omofuma)を追悼した記念碑から始められた。この記念碑は1999年、ナイジェリアの亡命希望者だったオモフマがオーストリアから強制送還されている最中に警察の暴力によって機内で死亡したことを受けて作られたものである。この事件はその後のオーストリアにおける反人種差別ムーブメントの象徴でもあり、彼の名前を掲げたプラカードも見られた。



マーカス・オモフマの記念碑
Marcus Omofuma Stein, Ulrike Truger - 2003, Mariahilferstrasse/Wien
[Creative Commons Attribution-ShareAlike 3.0 Unported (CC BY-SA 3.0)]


二日目はアメリカ大使館からヴォティーフ教会前のシグムント・フロイト公園へと向かって行なわれた。2012年に難民の待遇の向上を求めた抗議キャンプが占拠したのがヴォティーフ教会であったことから、一緒に歩いていた友人たちはその運動とのつながりを想起しているようだった。

オーストリアにおいてBLMが問題視する構造的な人種差別を考える際には、いまも現在進行形で起こっている移民や難民への暴力の問題と切り離すことはできない。デモ自体も(少なくとも主催者側は)、アメリカで起こっていることに対する抗議だけでなく、オーストリアで起こっている黒人に対する暴力とともに、難民排除、人種差別、反ユダヤ主義、反イスラム主義に対しても一堂に抗議していた。2ヶ月ものロックダウンの後に、悲しい暴力が発端となっているとはいえ、異なる形の連帯が緩やかに続いているという実感が、オンラインだけでなく物理的に存在するということの重要性を感じたときだった。

とくに、コロナ禍において世界中でナショナリズムが強化されるなか、オンラインにはあらゆるコンテンツが増えたと同時にあらゆるフォビアや排除の言葉がますます蔓延している。それはオンラインを超えて、10月に市長選挙を控えた現在のウィーンの街中やメディアでも同様に繰り返されており、それに抵抗し、声をあげていくための連帯はまだまだ必要とされている。



デモの後に道端に残されたチョークの跡(2020年6月5日)[筆者撮影]


BLMは9月中旬から始まったアートとアクティビズムのオルタナティブなフェスティバルである「WIENWOCH」にも引き継がれている。アフリカ系LGBTQI+のグループ「Afro Rainbow Austria」の創立者ヘンリー・デニス(Henrie Dennis)が共同ディレクターでもあり、今年は「POWER & PRIVILEGE」と名付けられ多くの場がノンバイナリーやクィアな有色人系アーティストたちによって占められていた。これらのオルタナティブがあるとはいえ、オーストリアの(白人中心主義的な)アートシーンがBLMに対して単に言葉だけの連帯を示したりしていたこともあり、人種差別主義に対して無自覚であるという点においてはまだまだ大きな変化が望まれている。



1920年代の社会主義時代のウィーンを下敷きに倒錯的にウィーンの変革を目指すアートプロジェクト「SODOM VIENNA」は、WIENWOCH内で移民街の中心やドナウ川で反人種差別、反ファシストのパフォーマンスを行なった。[撮影: Sarah Tasha Hauber]

ロックダウン下での「排除」の動き

芸術と観光業で維持されているウィーンのコロナ下では、もちろん芸術がいかに存続していくかということも大きな議論として上がっていた。5月にはオーストリアの芸術の現場や現状──劇場や美術館をいかに開いていくかという公共的な側面よりも、その領域で働いている人々の生活をいかに維持していくかという問題──をまったく理解していないという理由から、芸術文化大臣が着任してから4ヶ月で辞任に追い込まれた★1

一方でオーストリアは複数の芸術家協会があるため、常に助成金や支援の情報を提供したり相談に乗ってくれたり、またアーティストたちによって政府や市からの不透明な方針に対する抗議が何度も起こったりしていた。もちろん支援は十分ではなく、支援対象からこぼれ落ちるアーティストもいるなど多くのグレーゾーンを残しているが、需要に合わせてさまざまな助成や支援が用意されてきている。アーティストどうしの助け合いも多くみられたが、アーティスト・ラン・スペースなど非営利ギャラリーが多いウィーンにおいて、どれだけの組織が今後残ることができるかは大きな課題として残されている。



ウィーンで異なるスペースを運営するキュレーターやアーティストの有志が集まり、壊される家を展示会場にした「Haus Wien」。多くが屋外の展示であったため、アーティストどうしのコミュニケーションの場にもなっていた。 [Photo: eSeL]


しかしロックダウン直後は、まだよくわかっていないウィルスに対する恐怖よりも、芸術に携わる者としてどのように活動の場を保持していくのかという問題とともに、そのウィルスを封じるために取られる国家的な手段や、EUの難民問題の先送りと難民キャンプ支援からの撤退、アジア人に対する偏見の加速、また滞在許可更新などの行政手続きの不確かさが切実な問題として、筆者の心を占めていたように記憶している。オーストリアの警察がロックダウンの見回りをしている最中に「安心してください、私はオーストリア人です」とアナウンスしていたことが一時SNS上で問題になっていたように、コロナの世界的な流行は社会において誰を「ウィルス=排除すべき相手」としてみなすのかを単純化し普及させ続けている★2。「死政治」という言葉も頻繁に目にするようになり、生政治による管理と死政治による生の服従が同じ地政学的な空間のなかで行なわれることが身近になってしまったのではないだろうか。

ウィーンを拠点とするアジア系の FLINT*★3のアーティストコレクティブであるマイ・リン(Mai Ling)は、アジア系の人々に対する差別的な振る舞いや暴力が増えてきた状況に合わせてオンラインプログラムを組んでいた。そのインタビューのなかでニューヨークを拠点とするアジア系アメリカ人のアーティストで「WE ARE NOT COVID-19」「StopDiscriminAsian」を始めたケネス・タム(Kenneth Tam)は「コロナウィルスの流行について語るためには、アジア人に対する差別や暴力の増加という話を抜きに語れない」と5月の頭に語っていた★4。その直後にはBLMが広がりをみせ、コロナとともに語られるべきものは増え続けているが、ほとんどの問題が今年になっていきなり登場したものではないことは心に留めておく必要があるだろう。

周辺を見渡せば、3月末には隣国であるハンガリーで以前より極右のナショナリストとして悪名高かったオルバーン・ヴィクトルによって首相の権限を大幅に拡大する法案が可決されたり、トランスジェンダーの人々の法的な認定が否定された★5。8月のポーランドの選挙ではLGBTQ+の人々が獲得してきた権利を破棄するような政策へと大きな一歩を歩み出してしまった。東欧諸国はコロナや難民排除を国の安全というレトリックにすり替え、男性優位のナショナリズムが主導する保守的な同質化へと確実に歩みを進めているようにみる。そのあからさまな変化もコロナ禍の芸術における大きな懸念であった。

カロル・ラヂシェフスキのクィア・アーカイブ

3月の中旬、ヨーロッパ全体で国境が閉じられる直前、筆者はスロベニアの首都リュブリャナにいた。ポーランドを拠点とするアーティスト、カロル・ラヂシェフスキ(Karol Radziszewski)のメテルコヴァ現代美術館での個展「QAI/CEE」を観るためだった。昨年の12月にワルシャワのウジャドゥスキー城現代美術センターでの個展「The Power of Secrets」を観て以来、マスキュリニティに関わるテーマに始まり、クィアな人々をインタビューで特集する雑誌「DIK FAGAZINE」を作り、東欧のLGBTQIとクィアの印刷物やオーラルインタビューをアーカイブする「Queer Archives Institute(以下、QAI)」を運営し、またアーティストとして両者の活動を内包するような制作の方向性とその複合的なあり方に興味を持っていたからである。彼の活動とは、語られなかったり消されてしまったりした歴史や記憶を掘り下げ、現在においてさまざまな方法で語り直しながら、同質化のために使われる言説や歴史を「クィア」していく──批判的に攪乱させながら異なる物語を語り直していく──ことである。

後者の展覧会は、ブラジルを拠点とするトランスジェンダーのアーティストであるラエルテス・コウチーニョ(Laerte Coutinho)のインタビューで非西欧の「クィア」と共鳴するように始まり、ヴォルガルフ・ティルマンスやジェネラル・アイディア、ナタリア・LL、チェコの写真家リブシェ・ヤルコフチャコヴァ(Libuše Jarcovjáková)らの作品とともに、QAIのアーカイブからポーランドやクロアチアのトランスアクティビストのインタビュー、アンダーグランウンドのカルチャーの隠れたスポットの資料やオブジェ、ラヂシェフスキの絵画作品が並んでいた。彼の絵画作品は過去のクィアに関わる人物や作品、アーカイブ、史実をアプロプリエーションしたものであり、その膨大な歴史を掘り下げて現代に甦らせながら、その歴史を立体的にし、切断されていた断片を繋ぐような展覧会であった。彼の作品やQAIを媒介にしてそれぞれの文脈を結びつけるそのやり方は、彼自身の活動が重層化されているがゆえ「場所」として機能しており、さまざまな声や語りをとおしてあらゆるクィアする行為が同時に行なわれ、その見えなかった姿たちを増幅させるような効果を持っている。



Karol Radziszewski「The Power of Secrets」展 展示風景 Ujazdowski Castle Centre for Contemporary Art [Photo by Bartosz Górka]



Karol Radziszewski「The Power of Secrets」展 展示風景 Ujazdowski Castle Centre for Contemporary Art [Photo by Bartosz Górka]


あるセクシュアリティや生き方が犯罪であったり否定されたり、歴史から消されたりする場所や時代が過去にも現在にも存在しているように、クィアの歴史の多くは「記憶しかアーカイブするものがなく」、それゆえQAIの多くの資料がオーラルにならざるをえないとラヂシェフスキは語っている。また、アーカイブが溢れている世の中で、コンテキストを離れた資料は保守系の人々によって悪用されたり間違った解釈を与えられたりするため、彼の作品や展覧会はその資料をガイドするようなものであるとしている★6

しかしそれゆえ、ラヂシェフスキはポーランドの一部の極右保守系の政治家やメディアの標的にもなっていたし、ラヂシェフスキの個展開催時期を最後に、ウジャドゥスキー城現代美術センターのディレクターは右極政党に所属するキュレーターに昨年の段階で変更が決まっていたことが心配されていた。ラヂシェフスキのような展覧会は今後開催されないだろうと言われていたが、コロナの感染拡大を経て、事態はより深刻化しているようだし、ラヂシェフスキの生活そのものも脅かされているだろう★7。ただ、今月になって当ディレクターは公共資金の使用先を勝手に変更しホモホヴィックな作品購入に使用したことで訴えられており、ポーランドの文化風景は、しばらくはどのような政治的な手段として文化や芸術が利用されていくのか、またどのように対抗していくことが可能なのか注目に値するだろう★8

ラヂシェフスキのスロベニアでの展覧会はオープニングでの限定的な公開後、ロックダウンのため5月まで閉鎖されていた。そのため、ラヂシェフスキは例外的にQAIのアーカイブをオンラインで公開しているが、その公開は実際の展覧会に足を運ぶことができないという理由以上に、ロックダウンのなかでその膨大な歴史にアクセスできないゆえに消えてしまう、現在進行系で展開されていく記憶があるからなのではないかと思われる。ロックダウン中、そしてポーランド選挙前にはラヂシェフスキのインスタグラムはとても活発であったし、これからLGBTQ+やクィアの観点からも困難が続くポーランドの若者に多くの指南を与える立場になったようにも見受けた。



Karol Radziszewski, ロマナ・バンチック(Romana Bantic)によるインタビューより、2016


この文章を執筆している9月の中旬現在、筆者は10月頭から始まる美術館での国際展準備に携わっていたところ、設営チームがコロナ感染の疑いにより隔離対象となり現場入りすることが出来ず、また、渡欧予定だったアーティストもウィーンが危険エリアに指定されたことからフライトのキャンセルを余儀なくされた。進行スケジュールは大幅に変更され、作品設営はキュレーターの手に委ねられたが、その変更を負担する体力を美術館が維持していくことは難しいようにも感じた。展覧会を鑑賞したり開催したりすることができる喜びとともに、それを遂行するためには、予測不可能な事態への備えが以前よりもさらに必要不可欠である。一方で美術館はプログラムをこなしていかなければ予算を回すことができなくなってしまう場合もある。私は現場で一端を担ったに過ぎないが、この半年間を振り返ったうえで現在を見返すと、あらゆる問題がさらに深刻化したようにも思える。そして劇場や美術館という物理的な空間を運営していくためには、コロナによる規制という意味だけでなく、インクルージョンや労働の点でも本当の意味でどう運営していくのかという議論が必要なのではないかと思う。


★1──辞任したUlrike Lunacekは国際関係やジェンダー平等、女性とLGBTの権利の分野では尊敬される政治家であるが、芸術に関しては全くの経験や繋がりがなかったという。
★2──ロックダウンから数週間後、セバスティアン・クルツ首相が外出規制に応じている「オーストリア人に感謝」と限定的に述べたことから批判も起こっていた。
★3──FLINT*はドイツ語圏で使われている、レズビアンやトランスも含めたジェンダーアイデンティティが女性のインクルーシブなカテゴリーの略語。
★4──オンラインシリーズ「Mai Ling Speakes」(2020年5月7日公開)https://www.mai-ling.org/post/615766304642744320/10-mai-ling-speaks
★5──ハンガリーは2018年には大学においてジェンダースタディーズを禁止するなど、「生物学的性差」とされる男女の性別の認識を覆すようなことは大変難しい状況である。
★6──「QAI/CEE」展のオープニングでの本人による展覧会の解説にて。
★7──極右政党のレトリックとは、ナショナリズム的な芸術(ホモホヴィックなものを含む)こそが公的な議論から周縁化されてしまっているということであり、それをもとにLGBTQI+の存在否定を進めている。
★8──「The Director of a Major Polish Museum Is Under Fire for Using Public Money to Acquire a Homophobic Artwork」(Art net、2020年9月11日)https://news.artnet.com/art-world/poland-acquisitions-1907310

カロル・ラヂシェフスキ「The Power of Secrets」展

会期:2019年11月15日(金)~2019年3月29日(日)
会場:ウジャドゥスキー城現代美術センター(Ujazdowski Castle Centre for Contemporary Art)
Jazdów 2, 00-467 Warsaw

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