フォーカス

新型コロナがもたらした装いの変化について考える

廣田理紗(島根県立石見美術館)

2020年11月15日号

2020年、私たちの暮らしは一変した。その要因は、現在でもその正体が十分にはわかっていない新型コロナウイルス(以下「新型コロナ」とする)の登場と、その世界的な流行にある。外出制限や都市封鎖(ロックダウン)など、世界中でいまだかつてなされたことのない大規模な規制がかけられ、街は廃墟のように閑散とした。そんな様子が連日報道され、戸惑った人も少なくないだろう。

これという有効な薬がないなか、特に基礎疾患のある方や高齢者が罹患すると命を落とす危険が高い、罹患しても症状の出ない人がいる、症状が出なくても他者にうつしてしまう危険がある、などさまざまな情報が飛び交い、とにかく予防に最も有効なのは、人どうしの接触を減らすことだと考えられた結果の大規制だった。リモートワークが推奨され、外出時にはマスクの着用と、他者との「適切な距離」の保持(「密」を避ける行動)が求められている。

こうした行動制限を多くの人々が受け入れ、あれよあれよと言う間に仕事も飲み会も帰省も自宅からオンラインで行なう、長い「おうち時間」が始まった。現在行動制限は随分と緩和されたが、この間に人々の装いにはさまざまな特徴的変化が生じた。

その最たるものが、マスクの常用化ではないだろうか。

ファッションブランドの受け止めと反応


これまで日本では、春や秋の花粉の時期に使う人が限定的に増えていたが、新型コロナの流行を受けた現在では9割以上の人が着用しているように見受けられる。行政機関が行なう新規感染者に関する記者会見ではマスクをした担当者の姿がテレビやネットを通して繰り返し伝えられ、厚生労働省からも「咳エチケット」の一環としてマスク着用を推奨する知らせが出されている★1。マスクなしでは入ることができない店舗や施設も増えており、マスクを持たずに外出することは難しくなったといえよう。

特効薬の開発が待たれるなか、今しばらくは付き合いが続きそうなこのアイテムだが、ファッション業界にとっては小規模ながらも新たな市場となり、また企業の社会参加の場ともなった。スポーツブランドからは飛沫の拡散を防ぎつつ、通気性や伸縮性などに優れた高機能なマスク★2の発売が相次いだ。衣類メーカーからは自社オリジナルのテキスタイルアーカイブを活用したもの★3、綿や麻、竹や紙など自然素材を用いたもの、そして、そぎ落とされたシンプルな形状のものもあれば耳にかけるゴムを紐やリボンに置き換え、ヘアアクセサリーと一体となった装飾的なデザインのものなど、各ブランドの「らしさ」を踏まえた多様な提案が見られた。

こうしたさまざまな例から見えてくるのは、各社のセルフイメージや未来への姿勢表明のようなものであったように思う。マスクを、ファッションを彩るアイテムのひとつとして提案するにとどまらず、自社の特徴と購買層をどう捉え、今後ブランドとして、企業としてどのようにありたいか、どうみられたいかがプレゼンテーションのなかにうかがえる。アンリアレイジは「日本をつなぎ合わせたい」という願いを込めて小さなピースを20以上つないだ1点もののマスクを製作、売り上げの一部を国立国際医療研究センターに寄付した★4。同様に「医療現場に適切にマスクを回すため」という意識で自社の持つ布からマスクの製造、配布・販売を行なったブランドは少なくない★5



手作りのマスク


「自分で作ろう」という動き


さまざまにあった提案のなかで、筆者が面白く見ていたのは、「自分で作ろう」と消費者を製作へ誘う動きである。

老舗の古着店、DEPTは、在庫として所有していたヴィンテージのバンダナをリメイクし販売するだけでなく、その製作方法も、店主でデザイナーのeriが自身のインスタグラムにイラストで投稿するかたちで公開した★6。元々販売前の古着のメンテナンス(補修、プレス、クリーニングなど)を入念に行なうことで知られる同店のこの試みは、手を動かすことでものの価値を引き上げてきた店のあり方に沿うものだった。マスクが不足している状況下にあって、一人ひとりができることを実行しよう、という真面目な呼びかけだったが、新しく買わなくても楽しみながらこの困った状況を脱していけるという可能性を、説得力を持って示したように思う。

自身の作品として手芸本の発表を続けているデザイナー濱田明日香★7は、マスク自体は生産も販売もしなかったが、マスクの作り方を丁寧な動画で配信した★8。濱田の製作スタイルは、自身で設定したテーマに沿って、手を動かしながらデザインを模索するというもの。そうしたなかで感じる「面白さ」を伝える手段のひとつとして、手芸本を重視してきた。濱田が考えるこの「面白さ」とは、すでに服に備わった(だれかが作った)価値を、購入し着用することで得るのとはちがい、自ら新たに価値を生み出し獲得することにあるのだろう。マスクが自分の顔の半分を覆うものであることを考えれば、マスクを作る行為は自分の顔を作るようなものとも言え、単に不足しているから補うとか、おしゃれをするという以上の意味があるだろう。自分で作るマスクにはセルフイメージが、誰かが作ってくれたマスクには、作り手が思う着用者のイメージが強く投影されているのだ。そう思うと明日から手作りマスクをしている人を見つめてしまいそうである。そして、このことを思えばまた、マスクをめぐるファッションブランドのプレゼンテーションのなかに、それぞれが思い描くセルフイメージや未来像が投影されていたことにも合点がゆく。

衣服よりも製作工程の少ないマスクは、多くの人に新しい遊びの場を開き、ファッションという消費行動と強い結びつきのある領域に刺激を与えたように思う。もちろん今までも多くの手芸愛好家は存在していたが、2月から4月を中心にマスクが入手困難な時期には、綿ガーゼやゴム、ミシンや裁ちばさみなど、手芸の材料や手芸用品が全国的に品薄になった。筆者の住む島根県でも購入制限がかけられ、綿ガーゼはひとり1メートルまで、裁ちばさみは連日入荷待ちの状態が続き、ゴムを売っている店の情報が同僚のあいだで飛び交った。これを期に「にわか」でも、作ってみようと試みた人がたくさんいたのだろう。衣服は自分らしさを表明する場ともなると言われるが、マスクはその際たる場かもしれない。

社会の変化に伴う服装の変化



1914年と1920年のスカート丈はこれほど変化した
左:ジョルジュ・バルビエ《テオルボを奏でる人、パキャンの夜用コート》『ガゼット・デュ・ボン・トン』より、1914、島根県立石見美術館蔵
右:シャルル・マルタン《ヒンドゥスタン、ポールポワレのコートとドレス》『ガゼット・デュ・ボン・トン』より、1920、島根県立石見美術館蔵


過去に目を向けてみると、今回の新型コロナのように、人々の暮らしが一変する出来事があると、その装いも大変化を遂げていることに気づく。第一次世界大戦前後、ヨーロッパでは足首まであった女性のスカート丈がふくらはぎの半ばまで短くなった。その背景には逃げるときに足を運びやすいという直接的な理由と、男性が戦地で命を落としたり、負傷して働けなくなった代わりに勤めに出る女性が増加し、彼女たちの社会参加が進んだという二つの理由がある。スカートが短くなると靴がファッションアイテムとして新たに注目され、ラメやスパンコールなど光る素材のついた靴が流行した。その後暮らしが落ち着いた1930年代にスカート丈は再び長くなる。

太平洋戦争下の日本では、ズボン型のモンペが女性の活動衣として国から示され、奉仕活動などの際には着用が推奨された。命の危険と隣り合わせの非常時にあって、避難しやすく動きやすいという利点が、足の形をほのめかすモンペの形状への抵抗感に勝り、女性たちの洋装化を加速させた。この時分、物資不足であったことから、着物を崩して衣服を作ることも推奨される★9。戦中から戦後にかけては着るものを自分の手で作ろう★10と洋裁学校で学ぶことが女性たちのあいだで大ブームとなり、1950年代は布や糸、ミシンが驚くほど求められた。緊急度はまったく異なるものの、新型コロナで生じた状況と類似する環境があったことは注目したい。こうした「手で作る」時間を大変多くの女性たちが経験してようやく、普段着に誰もが洋服を纏うという、衣服の今日的状況は整った。

戦争前後で起きた装いの変化は、一部は継続するか、定番化する傾向にある。必要に迫られ、強制的に促された変化の先にも、心地よいと思える点や新たな習慣と結びつく要素があったからだろう。では新型コロナがもたらしている変化は、どうだろうか。いくら日本中で手作りしはじめた動きが面白かったとはいえ、マスクは着用すれば息苦しくなるうえ、声をくぐもらせるなど、困った部分も多い。夏には熱中症の危険要素ともなり、マスクのせいで人の顔が覚えられないとの声も聞く。毎日つけていれば、スカーフのようにポジティヴなファッションアイテムとして残ってゆくのだろうか。また、マスクのほかにも、「おうち時間」でのスタイルとして「上だけスーツ、下パジャマ」★11や、「恥ずかしくない程度にきちんとしたパジャマ」の登場などが指摘されている。部屋着が外着に変化を与えるのは今に始まった事ではなく、ナポレオンの妻、ジョゼフィーヌが愛用したことで知られる胸の下で切り替えのあるドレスも、補正下着をせずに着用する「下着ドレス」の発展形であったし、その100年後にポール・ポワレが提案したのもコルセットなしのドレスで、いずれも発表当時「下着っぽい」と言われた。オンとオフの時間と空間が混ざり、人々のあいだが分断され、外からの視線・刺激が極端に少ない時間を経験し、見られるために、あるいは見られることを前提にして着られていた服は、いきなり役割を失っただろう。そして、私たちは自分自身を見つめる視線に、じつはいつも晒されていることに気がついたのではないだろうか。誰かが「いいね!」という服ではない、内なる欲求に根付いた服が求められるときが来たように思う。その姿は一様ではないだろうが、新型コロナ前よりも着用者とフィットする服やスタイルがあちこちで見られるようになるのではないかと想像する。



銘仙をくずしたもんぺ、1940年代、橋本コレクション


★1──https://www.mhlw.go.jp/content/10900000/000593495.pdf
★2──ミズノや、アシックス、ユニクロなどのマスクがその好例だろう。
★3──ミントデザインズKEITA MARUYAMAのものがその例として挙げられる。
★4──https://www.anrealage.com/work/detail/100007/2608
★5──ソマルタは、マスク制作の動機として「医療機関にマスクを回すため自分は布でマスクを作り、健康な人にはそれを」と言っている。
★6──https://www.instagram.com/p/B_KkXh0DYL1/
★7──THERIACAデザイナー。手芸本は濱田明日香の名義で出版している。
★8──「手作りマスクの決定版!」として、女性・子ども向け(https://www.youtube.com/watch?v=lAGKl3OW4gc&t=95s)、男性向け(https://www.youtube.com/watch?v=uniR3TIcTCQ) の二つの動画がある。
★9──昭和17年に刊行された長谷川田津恵著『婦人標準服の作り方』には、その「緒言」に、厚生省が発表した婦人標準服の規格として「五、標準服は現下の繊維事情に鑑み退蔵衣類の更生活用、衣料の節約其の他経済上最適たらしめるやう之を考案すること」とある。
★10──戦争未亡人は生きるための仕事を手にするため、家人が負傷した人は家計を助けるためなど、学びの動機はさまざまだった。
★11──本当にこんな格好をした人が実際どれほどいたかはわからないが、何社かのテレビCMにはそうしたスタイルでウェブミーティングに参加する人が登場した。

  • 新型コロナがもたらした装いの変化について考える