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いまこのタイミングで「移民」についての言葉を交わすこと──4人の日系アメリカ人グラフィックデザイナーを通して
野見山桜(デザイン史・デザイン研究)
2021年11月15日号
日系アメリカ人のデザイナーやアーティストと聞いて、まず思いつく人物はイサム・ノグチだろうか。しかしそれ以外の人物の活動や作品を即座に挙げられる人は、おそらくそこまで多くないだろう。日本で生活する多くの人にとって、日系アメリカ人は近いようで遠い存在として捉えられているのが実情である。
デザイン史研究者の野見山桜氏は、2020年春より、ポーラ美術振興財団からの助成を得て、4人の日系アメリカ人グラフィックデザイナーについての調査研究を行なっている。近代デザイン史を専門とする野見山氏は、展覧会「デザインの(居)場所」(東京国立近代美術館工芸館、2019)の企画や、書籍『クリティカル・デザインとはなにか?』(ビー・エヌ・エヌ新社、2019)の翻訳など、デザイン史を通じた社会の考察を試みる活動を続けている。今回のテーマに関連して、2021年12月4日(土)から18日(土)まで「Overpassing the Bounds 4人の日系アメリカ人グラフィックデザイナーについて」というイベントも開催予定だという。
日系アメリカ人デザイナーの、特にグラフィック分野の研究に着手する人はこれまであまりいなかったというが、今回のテーマに野見山氏が辿り着いた経緯や、その研究活動に広がりを持たせるために考えていることなどについて、示唆深い原稿をご執筆いただいた。(artscape編集部)
僅かにしか知らなかった日系アメリカ人のこと
遡ること2年、2019年の話。CNNニュースに出演していたジョージ・タケイの姿が目に止まった。タケイは、アメリカのテレビドラマシリーズ「スタートレック」のヒカル・スールー役(日本語版だとミスター・カトー役)で知られる人物だ。それは、第二次世界大戦中に日系アメリカ人である自身が体験した強制収容所への違法収容が、今度はイスラム教徒の移民に対し繰り返されるのではないかと訴えている様子だった。当時、アメリカでは、トランプ政権下で広がる国家内の分断と移民問題に対する人種差別的な対応が日々ニュースで報道されており、その話には現実味があった。
戦時中、日本軍の真珠湾攻撃をきっかけに日系アメリカ人が強制収容所に入れられたことは、学生時代に歴史の授業で学んでいたし、美術家のイサム・ノグチやルース・アサワ、デザイナーのジョージ・ナカシマが体験した戦時下の強制収容所内の生活について、少しばかりだが文献などで読んだことがあった。それなのに、タケイの話に軽い衝撃を受けたのだった。その大きな理由は二つあった。ひとつは、過去のおぞましい出来事が再び繰り返されるのではという恐怖から。もうひとつは、日系アメリカ人について私が知っていることは本当に僅かだと気付かされたからだ。
それ以降、私は日系アメリカ人の情報サイトを見たり、その歴史に関する文献を手に取るようになった。目にした情報のなかには、日系アメリカ人だけでなく、「移民」について考える上で、議論されるべきことや問題が数多くあった。例えば、アジア系の移民に対するステレオタイプ的な見方について、教育や政治参加の権利など。国外から多くの人が移り住む日本でも積極的に取り上げられるべき内容だ。
二世、三世のアイデンティティ
特に関心を引いたのは、日系アメリカ人二世、三世のアイデンティティについてだ。日系アメリカ人とは、アメリカ国籍の日本移民およびその子孫を指すが、アメリカ大陸に渡った日本人移民の最初の世代を一世とする。一世の多くはアメリカ国籍を持たず、アメリカにいながらも日本の生活様式や文化を踏襲し、大切にした。これに対し、二世、三世は、アメリカで生まれ、教育を受けているため、異なる価値観や考え方を持つ。日本とアメリカという二つの国を背景に持つということが彼らにとって何を意味するのか。日系アメリカ人のアイデンティティについて語る際、特に二世、三世は、一世との家族としてのつながりが強いために、この疑問がつねにつきまとう。
興味の赴くまま調べていくなか、建築家・デザイン批評家であるアレクサンドラ・ランゲ(Alexandra Lange)がオンラインメディアCurbedに2017年に寄稿した「The forgotten history of Japanese-American designers’ World War II internment」という記事を見つけた。建築家のミノル・ヤマサキなどを筆頭に日系アメリカ人二世のデザイナーやアーティストの功績を紹介する内容で、戦時下の話にも触れており、読み応えがあった。この記事を通じて、「日系アメリカ人」というくくりで美術史やデザイン史を捉えることの意義や可能性を感じた。
アーティストやデザイナーの創造活動を分析する上で、彼らが置かれた立場や社会的背景を理解することは重要な作業である。なかでも、作者のアイデンティティに関する考察は必要不可欠だ。彼らが生み出した作品を媒介やきっかけにして、その思考を巡らせるのは、手法として面白いと思った。
「Masters of Modern Design - The Art of the Japanese American Experience」(KCET、2019)という番組も刺激になった。内容はランゲの記事に近いが、アーティストやデザイナーのポートレイトに加え、彼らの作品画像が軽快な音楽に合わせて流れ、ワクワクさせる構成だ。親族のインタビューなども含まれており、資料としても貴重な内容となっている。戦時下の話が含まれると沈んだトーンになりがちだが、主題であるデザインと美術がそれをうまく中和している。さらに、それらがその背景にあるさまざまなトピックへ人々の関心を引くきっかけとしてもうまく作用している。
私は、タケイの話を入り口に日系アメリカ人の文化史に関心を抱いたが、それとは逆に、デザインや美術作品を、日系アメリカ人について知る入り口にすることもできるのではないかと、これら二つの先例をきっかけに考えるようになった。自分のフィールドであるデザイン史研究だけでなく、日系アメリカ人の文化史・社会史の研究やその普及に何かできることはないかと思うようになったのだ。
「どこ」にも属さないという意識
さて、前置きが長くなってしまったが、ここで調査研究の内容について話をしたいと思う。まず対象となる人物は、レイ・コマイ(1918-2010)、ニール・フジタ(1921-2010)、トモコ・ミホ(1931-2012)、ジェームズ・ミホ(1933-)の4人である。コマイ、フジタ、ジェームズ・ミホは日系二世、トモコ・ミホは日系三世のアメリカ人である。全員、第二次世界大戦を体験しており、強制収容所に入っていたことがあった。戦後に、それぞれ広告や音楽業界、インテリアといった分野でグラフィックデザイナーとして活躍した。なかには、そのキャリアの過程で家具、テキスタイル、プロダクトのデザイン、あるいはデザイン教育に関わった者もいる。ここでは各人のプロフィールは省略するが、その名を知らなくても、彼らが携わった仕事を聞くと驚くものもあるだろう。
代表的な仕事を挙げると、コマイは1970年の大阪万博にアメリカ館の展示デザイナーとして参加しているし、フジタは小説・映画『ゴッドファーザー』の手のイラストが入ったタイトルをデザインした。トモコ・ミホは家具メーカー、ハーマン・ミラーの販促物のデザインを担当し、ジェームズ・ミホは電子製品メーカー、サムスンのデザイン教育プログラムを立ち上げたメンバーのひとりだ。
また、彼らが取っていた「日本」や「アメリカ」に対するスタンスも興味深い。例えば、コマイは、日系であることで戦時中に厳しい生活を強いられたが、キャリアの後半にはアメリカ政府の情報局に所属して、デザイナーとしてアメリカのイメージを生み出す仕事に従事した。日本にも数年駐在して、アメリカ大使館の仕事を行なっている。先に挙げた万博の仕事もその一環だ。その後、さまざまな国を転々とし、スイスで亡くなっている。コマイのデザイン活動を見ていると、家具やテキスタイル、エディトリアル、空間や展示と何でもこなす多才さが特徴だ。この二つの点には、彼の「どこ」にも属さないという意識が反映されているように思えてならない。
他分野に比べ未開拓なグラフィックデザイン研究
さて、次に他分野のデザイナーではなくグラフィックデザイナーを対象にした理由について述べたい。日本ですでに広く知られている日系アメリカ人デザイナーや美術家を考えたときに、大抵の人は、冒頭の私のように、ジョージ・ナカシマやイサム・ノグチの名前が思い浮かぶのではないだろうか。もちろん、この2人以外にもいるはずだが、これまで彼ら以外の者にスポットライトが当たることはあまりなかった。特に、グラフィックデザイナーの仕事は、ドメスティックかつ商業活動の一環で生み出されることが大半なので一過性のものが多く、ほかのデザイン分野より研究が進んでいない印象だ。これが大きな理由のひとつだ。加えて、私が近年やってきた研究は、戦後のグラフィックデザインに関することが多く、それで得た知識や情報、ネットワークをうまく活用できることがモチベーションになった。
人選の基準としては、アメリカでその功績が知られていること、アーカイブ等があり資料が手に入ること、そして日本の媒体やプロジェクトでその存在を確認できることが挙げられる。先行研究への貢献度を考えると、最後の点が一番重要である。日本でしか手に入らない情報や資料を集めて、広く共有することは、さらなる研究への布石になるからだ。彼らのなかには、日本で作品を展示したことがある者もいれば、日本のデザイナーと交流した者もいる。少なからず日本のデザインにも影響を与えている可能性があるのだ。
「POP-UP研究室」からの発信
コロナ禍でアメリカでの調査が難しかったため、進行は予定よりも大幅に遅れているが、それでも面白い発見が多数あった。その内容を、この時点で共有し、今後の調査研究の展開につなげたいという思いから、12月にイベント「Overpassing the Bounds 4人の日系アメリカ人グラフィックデザイナーについて」を企画することにした。
このイベントは、展示とオンラインプログラムで構成される。展示は、展覧会のように整然と作品を並べる形式ではなく、ギャラリースペース内に私の研究室を一時的に設けて、イベント期間中に一般公開するというものだ。POP-UP研究室と名付けたこの場所で、これまで集めてきた資料や文献などを用いて、4人のデザイナーの活動や調査研究の進捗を紹介していく。期間中、私はつねに在廊して作業をしているので、希望があれば説明をしたり、質問を受け付けたりする予定だ。
オンラインプログラムは対談とレクチャーの動画配信である。対談は、POP-UP研究室からライブ配信で行なわれ、ゲストを招いて展示や研究に絡めた話をする。ゲストには、日系アメリカ人の文化史や社会史を長年研究されてきたテンプル大学の永井真理子さんをお呼びしている。加えて、私と海外の有識者によるレクチャーを3回に分けて配信する。1回目は私の調査研究について、2回目はThe National WWII MuseumのCollin MakamsonとHeart Mountain Interpretive CenterのGenesis Ranelによるニール・フジタについてのレクチャー、3回目はグラフィックデザイナーで『Ray Komai: Design for America』(2017)の著者であるDoug Clouseによるレイ・コマイについてのレクチャーである。4人のデザイナーの話が起点ではあるが、デザインだけの話ではなく、分野の垣根を超えて、それぞれの専門から知見を交換できることを楽しみにしている。
さて、最後になるが、なぜ研究を終えていないこのタイミングで、イベントを企画したのかについて話しておきたい。一般的に、研究者は何年もかけて完成させた自身の研究成果を展示や書籍といったかたちで発表することが多い。もちろん、私もこれから長い時間をかけて研究を進めていく予定だ。しかし、それと同時に「いま」というタイミングを大切にしたいとも思っている。私がそもそも研究を始めたきっかけは移民に関わる時事問題であり、いま話す必然性を感じたからこそ、こうして取り組んでいる。歴史はずっと変わらずにそこにあるけれど、それを受容する側の態度や反応は、それを知るタイミングで変化する。私はデザイン史研究を社会の営みに少しでも活かす方法を模索しており、この点においてキュレトリアルな姿勢を大切にしたいのだ。イベント「Overpassing the Bounds」はその姿勢を反映した取り組みのひとつと言える。これをきっかけに、4人のデザイナーについて、日系アメリカ人の歴史について、あるいはデザイン史研究に少しでも興味を持っていただけたら嬉しい限りである。
Overpassing the Bounds 4人の日系アメリカ人グラフィックデザイナーについて
会期:2021年12月4日(土)〜18日(土)
※12月6日、13日(ともに月曜日)は休廊
会場:komagome1-14cas(東京都豊島区駒込1-14-6 東京スタデオ 1F)
特設サイト:https://overpassing-the-bounds.tumblr.com/