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【NY】ホイットニー・バイエニアル2022にコロナ以降のアメリカ現代社会を見る

梁瀬薫(アート・プロデューサー、アート・ジャーナリスト)

2022年06月01日号

1932年から開催されているホイットニー・バイエニアルの80回目。今回の参加は63作家。
昨年はコロナ禍の影響で延期となり、3年ぶりの開催となった今年のオープニングは多くのメディアやアーティストで賑わった。ホイットニー・バイエニアルは開始当初から、アメリカ社会の声を反映するようなアート作品が常に論議を呼び起こしてきた。さて、今年のバイエニアルはどんな物議を醸しているのだろうか。

本年のオープニング会場に居合わせた評論家やアート関係者たちからは「意味がわからない。最悪の年だ」「今年のレビューを書くのは骨が折れそう」「これまでのバイエニアルで一番良い展示」「可もなく不可もなし」など、さまざまな声を耳にした。メインの会場は美術館の5階と6階の2フロアだが、まったく異なる様相にまず驚かされる。6階の会場は全体が黒で統一された闇の迷宮のような空間で、じっくり見せるフィルム作品が多く、人間の生命や社会的なメッセージの強い作品が特徴的で、もう一階は光が差し込む解放された空間がり、平面作品や大きな彫刻作品、写真、マルチメディア作品など、ジャンルの異なる作品がブロックごとに展示され、一見アートフェアのような楽しい空間となっている。まるで異なる企画展のような極端な構成だ。



オークションで入手したというニューヨーク市のバスや地下鉄で使っていた膨大な数のトークンによるローズ・サイレンの作品《64,000 Attempts at Circulation(64,000回の循環)》(2022)は5階に展示[筆者撮影]


アメリカ社会の「隠されている明白な事実」とは

5月24日、テキサス州の小学校で銃撃事件により7歳から10歳の19名の子どもたちと2名の教師が命を落とした。日本歴訪から戻ったばかりのバイデン大統領は「もううんざりだ。いつになったらわれわれは銃規制に立ち向かうのか。この殺戮に対して何も出来ないなどと言わないでほしい。こんな乱射事件はほかの国では滅多に起きない」と話した

一方で、当のテキサス州知事は今後も銃規制をする考えはないとしている。そして、前回大統領選で敗北したにもかかわらずいまだに多くの熱い支持者をもつトランプ氏は27日、全米ライフル協会総会で演説し、「バイデンは銃のロビー団体のせいにしたが、左派(民主党)が押し進める銃規制ではこの惨劇は防げなかった。今後はすべての学校に警官や武装した警備担当を置くべきだ。ウクライナに400億ドルの支援ができるなら、子どもたちを守るべきだ」と持論を展開した。米国では昨年1年間で学校での乱射事件が26件も起きている。銃規制の議論はいまに始まったばかりではないが、平行線のままだ。異なる宗教、文化、人種、習慣、思想が入り混じる大国アメリカを分断する溝とコントラストが今展と重なった。

このビエンナーレのサブタイトル「Quiet as It's Kept」は、口語体で表現されているという。通常、何か「秘密にしておかなければならない明白なこと」を話す前に使われるフレーズだ。キュレーターのデイビッド・ブレスリンとアイドリアン・エドワーズの声明では、黒人文学の立役者的小説家のトニ・モリソン、ジャズドラマーのマックス・ローチ、アーティストのデイビッド・ハモンズらから影響を受けているという。

本展が企画され、準備が始まったのは2019年末。新型コロナ感染症のパンデミック、Black Lives Matter(BLM)運動に始まる制度や構造への問題提起、現代資本主義がもたらす支配と従属の問題、ジェンダー問題など、根底にある状況は新しいものではないが、ずっと燻っていたさまざまな問題が可視化していた。そして2020年のアメリカ大統領選の前というタイミングで、キュレーターはひとつのテーマではなく、過去、現在、未来が折り重なるような状況をつくり出し、アーティストたちにそれぞれの定義や疑問を語らせる方法をとった。

展示されている作品は絵画、彫刻、吊り物、バナー、レディメイド、写真、ビデオ、ビーズ細工、工芸品、パフォーマンス、そしてコンピューターゲームのイメージまで、あらゆる形態における作品が発表された。


今回のバイエニアルでは、何が起こりうるかわからない不安定で即興的な現代社会のなかで生まれるアートと対峙し、時間軸や空間を超えて解釈することが鑑賞者に委ねられている。まさに現在進行形の展覧会となっているのだ。

では、印象に残った作品を紹介しよう。

アルフレッド・ジャー《06.01.2020 18.39, 2022.》(2022)

(Alfredo Jaar:1956年チリ・サンティアゴ出身)


Alfredo Jaar, still from 06.01.2020 18.39, 2022 Video projection, sound, and fans; 5:20 min. [Collection of the artist; courtesy the artist and Galerie Lelong & Co., New York and Paris]


82年よりニューヨークを拠点に活動。戦争や政治腐敗、社会的不平等といった問題を意識させる映像作品やインスタレーションで知られる。ジャーナリスティックな視点でイメージが持つ社会への影響力とその限界を問い続けているジャーならではの体験型インスタレーションが圧巻。狭く暗い空間には巨大な送風機があり、2020年、BLMのデモ行進をヘリコプターで蹴散らかしたときにニュースで放映された映像を凝縮。ヘリコプターの騒音と風力を体感させる。心臓の弱い人にはお勧めしないが、臨場感溢れる恐怖の一瞬だ。

ジョナサン・バーガー《An Introduction to Nameless Love(名もなき愛への序章)》(2019)

(Jonathan Berger:1980年ニューヨーク市出身)


Jonathan Berger, An Introduction to Nameless Love(2019)展示風景[筆者撮影]


53万個以上の錫、ニッケル、木炭を使った大規模なインスタレーション。アーティストのエレン・カンター(1961-2013)との親密な友情にインスパイアされた本作は、従来のロマンスの枠を越えたつながりのうえに築かれた関係を表現しているという。「真実の愛」から連想されるであろう、仕事、友情、宗教、奉仕、指導、コミュニティ、家族、そして人と人、場所、物、動物との間にある絆を検証する。バーガーの言う「名もなき愛」とは、現代社会で認識されない、優しさ、熱意、共感、ケア、脆弱性、救済なのだろうか。愛についての物語が展開するインスタレーション作品の言葉のカーテンが、詩的で喜びに満ちた空間だ。

エレン・ギャラガー《Ecstatic Draught of Fishes》(2022)

(Ellen Gallagher:1965年ロードアイランド州出身)


Installation view of Whitney Biennial 2022: Quiet as It's Kept (Whitney Museum of American Art, New York, April 6-September 5, 2022).[Photograph by Ron Amstutz]


エレン・ギャラガーは、歴史と物質を埋め込んで抽出するという、考古学者のような作品制作を続けている。新作の展示作品には不安定な水の流れの上に同じ方向で女性が嵌め込まれたように描写されている。ギャラガーは「When is a place?(場所とはいつなのか)」と書いており、「置き去りにされるどころか、海の底に沈んでしまった貴重な文化素材が、突然、化石化したネットワークとして再浮上した。取り返しのつかない損失が、反乱の記憶を生んだ。文化は決して物理的なものだけではなく、心のなかだけのものでもないのだ」と作品を語る。文化に対する執拗な破壊的攻撃、反ブラックの着実なビートのあとに、何が生き残るのか? 奴隷制度や奴隷貿易の暴力から環境破壊に至るまで、深い歴史的な背景を描こうとしている。

チャールズ・レイによる屋外彫刻作品群(2021)

(Charles Ray:1953年シカゴ出身)


展示風景[筆者撮影]


見渡しの良い5階のテラスに間隔を開けて設置されたスチールやブロンズによる人物像。一見ごく普通の男性像が俯き加減で腰掛けている彫刻作品だが、そのサイズのせいか、あるいは険しい表情のせいか、見る側の知覚を疑わせるような、どこか奇妙で謎めいた彫刻だ。レイの作品で1993年の《ファミリー・ロマンス》のように、幼い子どもと両親が同じ大きさの家族の像や、記念碑的な大きさの彫刻など、現実と偶像の混在や異質な具象とのリンクを考えさせられる。マンハッタンでいま一番ホットなミートパッキング地区やハイラインを背景に、バーガー、ジェフという名前の付けられている人物像のストーリーが気になる。

アダム・ペンドルトン《Ruby Nell Sales》(2020–22)

(Adam Pendleton:1984年リッチモンド出身)


展示風景[筆者撮影]

暗い空間の中で鑑賞するアダム・ペンドルトンのエモーショナルなフィルム作品。

アンドリュー・ロバーツ《CARGO: A certain doom》(2020)

(Andrew Roberts:1995年メキシコ・ティファナ出身)


Andrew Roberts, CARGO: A certain doom, 2020. Tattoo on silicon, 5 7/8 × 20 1/2 × 3 7/8 in. (15 × 52 × 10 cm). [Image courtesy the artist and Pequod Co., Mexico City. Photograph by Sergio López]


アメリカに最も近いメキシコのティファナ出身のアンドリュー・ロバーツ。この不気味な腕はゾンビをアレゴリーとして、身体の酷使やアイデンティティが壊されるメキシコを含むラテンアメリカが直面する環境・政治・経済問題を孕む。


デニス・トマソス《Jail》(1993)(左)と《Displaced Burial/Burial at Gorée》(1993)(右)

(Denyse Thomasos:1964年トリニダード・トバゴ(カリブ海)出身、2012年ニューヨークで没)


Installation view of Whitney Biennial 2022: Quiet as It’s Kept (Whitney Museum of American Art, New York, April 6- September 5, 2022). From left to right: Denyse Thomasos, Jail, 1993; Denyse Thomasos, Displaced Burial/Burial at Gorée, 1993. [Photograph by Ron Amstutz]

息苦しくなりそうな何層もの構造を緻密な線で描いた作品。


スティーブ・キャノンほか《A Gathering of the Tribes / Steve Cannon》(1991-/2022)

(Steve Cannon:1935年ニューオリンズ出身、2019年ニューヨークで没)


Installation view of Whitney Biennial 2022: Quiet as It’s Kept (Whitney Museum of American Art, New York, April 6- September 5, 2022). David Hammons, A Gathering of the Tribes series, 1998-2013. [Photograph by Ron Amstutz]


2019年にニューヨークで逝去したスティーブ・キャノンの「A Gathering of the Tribes」は1991年に設立し文芸誌として始まったプログラムだ。この展示はキャノンの私物やニューヨーク大学のアーカイブから集められた。友人で共同制作者であるデイヴィッド・ハモンズの作品《浮遊する赤い壁》と《髪の彫刻》は、自宅で開催されていた朗読会で知られていた作品。盲目のキャノンは真紅の壁の前に置かれたソファで法廷を開き、有色人種のアーティストや作家、移民、女性、LGBTQなどさまざまな階層の人々が、芸術への愛という唯一の情熱で結ばれて集まる場を提供した。


セイブル・エリース・スミス《Clockwork》(2021)、ウッディ・デ・オテロ《The will to make things happen》

(Sable Elyse Smith:1986年ロサンジェルス出身)
(Woody De Othello:1991年マイアミ出身)


Installation view of Whitney Biennial 2022: Quiet as It’s Kept (Whitney Museum of American Art, New York, April 6- September 5, 2022). From left to right: Sable Elyse Smith, A Clockwork, 2021; Woody De Othello, The will to make things happen, 2021; Emily Barker, Kitchen, 2019. [Photograph by Ron Amstutz]


左奥の遊園地にある観覧車のようなこの作品は、刑務所の面会室にあるテーブルを使った文字通り時計仕掛けのようにゆっくり動き続ける彫刻。
手前にあるウッディ・デ・オテロの《The will to make things happen》は、先植民地時代の陶磁器化からインスパイアされた形を作り、人体や家庭用品を再認識させるという。パンデミックによる日常の疲労感をポジティブに考えた作品。


アリア・ファリドの《Palm Orchard》(2022)

(Alia Farid:1985年クエート、プエルトリコ出身)


Installation view of Whitney Biennial 2022: Quiet as It’s Kept (Whitney Museum of American Art, New York, April 6-September 5, 2022). Alia Farid, Palm Orchard, 2022


建築家の娘としてクエートで生まれ、プエルトリコで育ったファリドは出身地の複雑で断片的な歴史を探求する作品を制作してきた。屋外テラスにそびえ立つ人工のヤシの木は、1980年から88年までのイラン・イラク戦争で破壊された都市バスラのヤシの木に由来する


★──「米テキサス州の小学校で乱射 生徒19人と教師2人が死亡」(BBC NEWS 2022年5月25日)https://www.bbc.com/japanese/61574506

Whitney Biennial: Quiet as It’s Kept

会期:2022年4月6日(水)〜9月5日(月)
会場:Whitney Museum of American Art(99 Gansevoort Street, New York, NY 10014)

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